「建功寺」の版間の差分

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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建功寺は、永禄4年(1561)に、陶氏の菩提寺である龍文寺12世の長雄和尚が開基した寺院です。<ref>『[[出版物#.E3.80.8E.E7.9F.B3.E8.A6.8B.E9.8A.80.E5.B1.B1.E9.A0.98.E4.B8.89.E5.8D.81.E4.B8.89.E3.82.AB.E6.89.80.E5.B7.A1.E3.82.8A.E3.80.8F|石見銀山領三十三ヵ所巡り]]』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。</ref>
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 川合町吉永の街から少し東に上がった、吉永藩の陣屋跡と推定されている場所の近くにあります。
江戸初期の40年間この地を支配した吉永藩の家老の墓があります.狭い路地の先にあるので,田んぼから眺めての参拝をお勧めします.<ref>「石見銀山領33ヵ寺巡りマップ」お勧めポイントより</ref>
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 大正十年に書かれた石見寺社案内によると元禄元年(1688)4月、昭和八年の石見6郡社寺誌には永禄四年(1561)とあり、周防国龍文寺長雄和尚がこの地に来て建立した寺院だということです。龍門寺は陶氏の菩提寺でしたが、陶氏滅亡後、毛利氏の統治下となっても繁栄した曹洞宗の大寺院です。
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 また、文政十二年(1829)に吉永村の教育書として書かれた「吉永往来」によると、「建功禅院の念寺は名のみ残れり。誹乃気坂の地蔵堂には往来の人々疲れをはらして休みおる。傍には御領塚あり。」と記載されています。
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 御領塚は、建功寺の南側にあった三恩寺にありました。三恩寺は、江戸時代初期の40年間この地を支配した吉永藩の藩主加藤家の菩提寺で、御領塚には家老の墓があります。藩主 加藤明友の祖父 加藤嘉明は吉永で亡くなり菩提寺に埋葬されましたが、のちに加藤家が転封した水口に移されています。
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== 動画 ==
 
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※この動画は'''ダミー'''です。
 
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2026年2月13日 (金) 12:17時点における最新版

石見銀山領33ヵ寺 10番札所
建功寺
10建興寺1.jpg
山号 天王山
寺号 建功寺(けんこうじ)
宗旨 曹洞宗
所在地 島根県大田市川合町吉永1196
観音 聖観音(現在無し)
御詠歌 仰(あおぎ)ミれハ 天(そら)おそろしき 深山(みやま)かな 心(こころ)すつへき 木かくれもなく
スタンプ設置場所 円応寺薬師堂

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 川合町吉永の街から少し東に上がった、吉永藩の陣屋跡と推定されている場所の近くにあります。

 大正十年に書かれた石見寺社案内によると元禄元年(1688)4月、昭和八年の石見6郡社寺誌には永禄四年(1561)とあり、周防国龍文寺長雄和尚がこの地に来て建立した寺院だということです。龍門寺は陶氏の菩提寺でしたが、陶氏滅亡後、毛利氏の統治下となっても繁栄した曹洞宗の大寺院です。

 また、文政十二年(1829)に吉永村の教育書として書かれた「吉永往来」によると、「建功禅院の念寺は名のみ残れり。誹乃気坂の地蔵堂には往来の人々疲れをはらして休みおる。傍には御領塚あり。」と記載されています。

 御領塚は、建功寺の南側にあった三恩寺にありました。三恩寺は、江戸時代初期の40年間この地を支配した吉永藩の藩主加藤家の菩提寺で、御領塚には家老の墓があります。藩主 加藤明友の祖父 加藤嘉明は吉永で亡くなり菩提寺に埋葬されましたが、のちに加藤家が転封した水口に移されています。

動画[編集]

※この動画はダミーです。

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脚註[編集]