「安楽寺(善養山)」の版間の差分

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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 粕淵の18番圓光寺から安楽寺へは、県道40号から志君川沿いの銀山街道に入り、「やなしお道」※の坂を上って小松地まで進み、県道186号、291号を通って歩きます。急な坂道を避けるのであれば、「やなしお道」に入らず志君川沿いに進んで県道291号を左折、突き当りの君谷川で右折、500mほど進むと赤いポストと「石見銀山領19番安楽寺跡」の看板がみえます。看板横の細道を上ると広い野原があり、正面に大正時代に建てられた旧君谷村尋常高等小学校の講堂が残っています。その左奥に安楽寺跡がありますが、跡地には首のないお地蔵様を含め数体があるのみです。
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寺があったとされる敷地内には大正時代のお洒落な旧内田小学校講堂が現存しています.近隣には、古いお寺や神社が多くあり当時の賑わいがしのばれます。<ref>「石見銀山領33ヵ寺巡りマップ」お勧めポイントより</ref>
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 邑智郡誌によると、慶長年間、小笠原長時の家臣・岡表右衛門が内田村に居住し安楽寺を設立、開山は三谷村長江寺八世の廣山全永大和尚とのことです。
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 昭和四十年代まではご住職がおられ、地蔵堂もあったそうですが、現在は長江寺に合併され建物はありません。地元内田の岡さん(濱野屋)が安楽寺の薬師如来像(木像)を祀るために山手に小さなお堂を建て、しばらくの間、長江寺さんに読経をしてもらっていたそうですが、その後、長江寺薬師堂に移動、安置されて今に至っています。令和七年(2025)、観音像が信者さん宅から戻され、こちらも薬師堂に安置されています。
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※広島県尾道市につながる旧街道は「銀山街道」と呼ばれています。この銀山街道の中で、美郷町小松地から湯抱にかけては「やなしお道」と呼ばれており、その由来には様々な憶測があり定かではありませんが、やな(たくさんの)塩を運んでいた道だからという説が有力とされています。やなしお道は、今から約600年以上前の時代から山陰と山陽を結ぶ主要な道として、江戸時代以降は銀を運ぶ要路として利用されていました。文化庁の「歴史の道百選」にも指定されており、一部は中国自然歩道として整備されています。(島根県HPより)
  
 
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|スタンプ設置場所 = 安楽寺跡地前にある内田集会所前
 
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2026年2月16日 (月) 11:16時点における最新版

 粕淵の18番圓光寺から安楽寺へは、県道40号から志君川沿いの銀山街道に入り、「やなしお道」※の坂を上って小松地まで進み、県道186号、291号を通って歩きます。急な坂道を避けるのであれば、「やなしお道」に入らず志君川沿いに進んで県道291号を左折、突き当りの君谷川で右折、500mほど進むと赤いポストと「石見銀山領19番安楽寺跡」の看板がみえます。看板横の細道を上ると広い野原があり、正面に大正時代に建てられた旧君谷村尋常高等小学校の講堂が残っています。その左奥に安楽寺跡がありますが、跡地には首のないお地蔵様を含め数体があるのみです。

 邑智郡誌によると、慶長年間、小笠原長時の家臣・岡表右衛門が内田村に居住し安楽寺を設立、開山は三谷村長江寺八世の廣山全永大和尚とのことです。

 昭和四十年代まではご住職がおられ、地蔵堂もあったそうですが、現在は長江寺に合併され建物はありません。地元内田の岡さん(濱野屋)が安楽寺の薬師如来像(木像)を祀るために山手に小さなお堂を建て、しばらくの間、長江寺さんに読経をしてもらっていたそうですが、その後、長江寺薬師堂に移動、安置されて今に至っています。令和七年(2025)、観音像が信者さん宅から戻され、こちらも薬師堂に安置されています。

※広島県尾道市につながる旧街道は「銀山街道」と呼ばれています。この銀山街道の中で、美郷町小松地から湯抱にかけては「やなしお道」と呼ばれており、その由来には様々な憶測があり定かではありませんが、やな(たくさんの)塩を運んでいた道だからという説が有力とされています。やなしお道は、今から約600年以上前の時代から山陰と山陽を結ぶ主要な道として、江戸時代以降は銀を運ぶ要路として利用されていました。文化庁の「歴史の道百選」にも指定されており、一部は中国自然歩道として整備されています。(島根県HPより)

石見銀山領33ヵ寺 19番札所
安楽寺
19安楽寺1.jpg
山号 善養山
寺号 安楽寺(あんらくじ)
宗旨 曹洞宗
所在地 島根県邑智郡美郷町内田343(建物無し)
観音 如意輪観音(現在無し)
御詠歌 生れて すくに迷の 世なりけり やすく楽(たのしく) 後の世をいき
スタンプ設置場所 安楽寺跡地前にある内田集会所前
備考 長江寺に合併

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