「圓城寺」の版間の差分

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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圓城寺は、石見国三十三所巡礼の六番札所にもなり、「音に聞 わしの御山の 月
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 霊椿山圓城寺は、石見には二寺しかない天台宗の古刹です。三瓶町野城の三瓶ダム湖の上を通る県道から500メートル上った山中にあり、境内から三瓶山がよく見えます。寺伝によれば、平安時代の朱雀天皇の御代(931~945)に開かれた勅願の霊場とされています。
影も 光は同じ まどかなる寺」という御詠歌が伝えられています。<ref>『[[出版物#.E3.80.8E.E7.9F.B3.E8.A6.8B.E9.8A.80.E5.B1.B1.E9.A0.98.E4.B8.89.E5.8D.81.E4.B8.89.E3.82.AB.E6.89.80.E5.B7.A1.E3.82.8A.E3.80.8F|石見銀山領三十三ヵ所巡り]]』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。</ref>
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 山号「霊椿山」の由来は、開基の朝満上人がこの地を訪れた際に、所持する椿杖を虚空に投ぜられ「われもしこの山に開基の因縁あらば、この投ずるところの椿杖は、まさにのびさかえるであろう」と呪願して去られ、数年後に再びこの山に来て椿杖を探したところ、根は深く張り枝葉茂っているのに感激し寺院建立の基礎をつくられたことによるものと伝わっています。
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 中世には、神仏習合の形態をとりながら「四十八坊」を数える広大な寺院として隆盛を極めましたが、戦国時代に毛利氏と尼子氏による石見銀山争奪戦の戦火に巻き込まれ、全山が焼失しました。往時には、円城寺一円(野城、小屋原、池田、多根、市野原)及び大田町の一部にわたって寺領3千石を有しており、市野原の円立寺、川合の福城寺、浄光寺も四十八坊のひとつであったと伝わっています。
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 近世には規模を縮小しながらも再興され、「石州6番の札所」として民衆の信仰を集めました。明治維新の神仏分離令により鎮守であった蔵王権現は、元奥の院の場所に野城神社として分離されました。
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 「境内にはいたるところに古寺の面影が偲ばれ、特に山上からの三瓶山の眺望はことにすばらしい」として大田市の指定史跡・名勝となっています。
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 安来市の画家で、恒久平和を願い続けて戦後フィリピンの刑務所に収容されていた日本人戦犯釈放に尽力した加納莞蕾は、圓城寺に逗留されていたことがあり、ここから見える三瓶山をとても愛していました。
  
 
== 動画 ==
 
== 動画 ==
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== 画像ギャラリー ==
 
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2026年2月15日 (日) 11:28時点における最新版

石見銀山領33ヵ寺 14番札所
圓城寺
14圓城寺1.jpg
山号 霊椿山
寺号 圓城寺(えんじょうじ)
宗旨 天台宗
所在地 島根県大田市三瓶町野城イ420
観音 千手観音(秘仏/毎年正月10-15時御開帳/本尊)
御詠歌 玉椿(たまつばき) 八千代をこめて さく寺は 後(のち)のほとけの ミよや待(まつ)らん
スタンプ設置場所 本堂内
特徴的な樹木 コウヤマキ、スダジイなど
URL http://www.sanbe.jp/enjyoji/
備考 石見国観音霊場 6番札所

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 霊椿山圓城寺は、石見には二寺しかない天台宗の古刹です。三瓶町野城の三瓶ダム湖の上を通る県道から500メートル上った山中にあり、境内から三瓶山がよく見えます。寺伝によれば、平安時代の朱雀天皇の御代(931~945)に開かれた勅願の霊場とされています。

 山号「霊椿山」の由来は、開基の朝満上人がこの地を訪れた際に、所持する椿杖を虚空に投ぜられ「われもしこの山に開基の因縁あらば、この投ずるところの椿杖は、まさにのびさかえるであろう」と呪願して去られ、数年後に再びこの山に来て椿杖を探したところ、根は深く張り枝葉茂っているのに感激し寺院建立の基礎をつくられたことによるものと伝わっています。

 中世には、神仏習合の形態をとりながら「四十八坊」を数える広大な寺院として隆盛を極めましたが、戦国時代に毛利氏と尼子氏による石見銀山争奪戦の戦火に巻き込まれ、全山が焼失しました。往時には、円城寺一円(野城、小屋原、池田、多根、市野原)及び大田町の一部にわたって寺領3千石を有しており、市野原の円立寺、川合の福城寺、浄光寺も四十八坊のひとつであったと伝わっています。

 近世には規模を縮小しながらも再興され、「石州6番の札所」として民衆の信仰を集めました。明治維新の神仏分離令により鎮守であった蔵王権現は、元奥の院の場所に野城神社として分離されました。

 「境内にはいたるところに古寺の面影が偲ばれ、特に山上からの三瓶山の眺望はことにすばらしい」として大田市の指定史跡・名勝となっています。

 安来市の画家で、恒久平和を願い続けて戦後フィリピンの刑務所に収容されていた日本人戦犯釈放に尽力した加納莞蕾は、圓城寺に逗留されていたことがあり、ここから見える三瓶山をとても愛していました。

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