「観世音寺」の版間の差分

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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 寺の下の石段の登り口には一畑薬師があり、目を患っても掛かる医者の少ない中で神仏に祈願して治るように祈った当時の、信仰心を垣間見ることができます。また通りには代官所の高札場跡があり賑わっていたようです。石段を登っていくと朱塗りの仁王門に阿吽の仁王像が立ち、参拝客を迎え入れます。ここからの眺めは大森の町並みを一望できます。石州瓦が続く家並みや、銀の取れた仙の山を眺めつつ、江戸期から明治・大正・昭和期にかけての建物が居並ぶ光景に、往時を偲ぶことができます。また朱塗りの仁王門周囲には弘法大師像が33体安置されています。
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 寛政十二年(1800)に起きた寛政の大森大火では町の三分の二を焼失していますが、ここ観世音寺は本堂、庫裡、鐘楼、山門、土蔵まで類焼したため、寺に関する由緒など詳しいことは分かりません。口伝によれば大森陣屋の祈願寺として創建され、明治維新までは毎年正月16日に代官所において天下泰平銀山繁昌の祈願を勤行し、大般若経を転読することを例としていたようです。
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 この寺には、後ほど五百羅漢と羅漢寺を造営することになる月海浄印が住職として過ごしており、宝暦年間(1751~64)に銀山で亡くなった人の霊を供養するため、造営を始めいたといわれています。幕末の儒学者の佐和華谷も、一時寺僧として勤めていたと伝えられています。
  
 
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快算院は、観世音寺の院号です。江戸時代は大森陣屋の祈願寺として、銀山繁栄や天下泰平を祈願しました。寛政12年(1800)の大火で本堂は全焼しましたが、本尊の聖観音は救出されて難を逃れました。<ref>『[[出版物#.E3.80.8E.E7.9F.B3.E8.A6.8B.E9.8A.80.E5.B1.B1.E9.A0.98.E4.B8.89.E5.8D.81.E4.B8.89.E3.82.AB.E6.89.80.E5.B7.A1.E3.82.8A.E3.80.8F|石見銀山領三十三ヵ所巡り]]』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。</ref>
 
  
 
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※この動画は'''ダミー'''です。
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2026年2月13日 (金) 09:45時点における最新版

 大森代官所から続く約800m大森の町並みを歩いていくと、岩の上に築かれた建物が現れます。代官所側から行くと切り立った山の上に鯱を乗せた城のような建物が見え、反対側、大森町並みセンター(旧大森区裁判所跡)から見ると、岩を削った石段上に赤い仁王門が見えます。ここが石城山観世音寺になります。

 寺の下の石段の登り口には一畑薬師があり、目を患っても掛かる医者の少ない中で神仏に祈願して治るように祈った当時の、信仰心を垣間見ることができます。また通りには代官所の高札場跡があり賑わっていたようです。石段を登っていくと朱塗りの仁王門に阿吽の仁王像が立ち、参拝客を迎え入れます。ここからの眺めは大森の町並みを一望できます。石州瓦が続く家並みや、銀の取れた仙の山を眺めつつ、江戸期から明治・大正・昭和期にかけての建物が居並ぶ光景に、往時を偲ぶことができます。また朱塗りの仁王門周囲には弘法大師像が33体安置されています。

 寛政十二年(1800)に起きた寛政の大森大火では町の三分の二を焼失していますが、ここ観世音寺は本堂、庫裡、鐘楼、山門、土蔵まで類焼したため、寺に関する由緒など詳しいことは分かりません。口伝によれば大森陣屋の祈願寺として創建され、明治維新までは毎年正月16日に代官所において天下泰平銀山繁昌の祈願を勤行し、大般若経を転読することを例としていたようです。

 この寺には、後ほど五百羅漢と羅漢寺を造営することになる月海浄印が住職として過ごしており、宝暦年間(1751~64)に銀山で亡くなった人の霊を供養するため、造営を始めいたといわれています。幕末の儒学者の佐和華谷も、一時寺僧として勤めていたと伝えられています。

石見銀山領33ヵ寺 4番札所
観世音寺
04快算院1.JPG
山号 石城山
寺号 観世音寺(かんぜおんじ)
宗旨 真言宗
所在地 島根県大田市大森町イ1383
観音 聖観音(本尊)
御詠歌 世(よ)の音(おと)を 観(み)ても聞(きい)ても 一切衆生(さしもぐさ) たのめたすけん 石城月(いわしろのつき)
スタンプ設置場所 本堂前
特徴的な樹木 カラタチの垣根
地形・地質 岩山の上に建つ

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動画[編集]


画像ギャラリー[編集]


特徴的な樹木[編集]

カラタチの垣根[編集]

地形・地質[編集]

岩山の上に建つ[編集]

脚註[編集]