「清水寺」の版間の差分

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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 銀山公園の駐車場を龍源寺間歩方面に進み、銀山防衛の拠点であった山吹城(414m)直下の銀山街道、沖泊コースと鞆が浦コースの交わる辺りが上市場と言われる地域となります。この結節点の少し上った吉迫口番所近くには、現在大森に移転した大森代官所(芋代官ミュージアム)の前身である休役所が置かれていました。いわば銀を産出した大森のそれこそ文字通りの銀座通りで、地名の由来通り市場が軒を並べていたようです。
  
清水寺の本尊の十一面観世音菩薩(伝行基作)は、石見銀山の繁栄に深く寄与しています。銀山の発見は日本海沖から博多商人の神屋寿禎が観音の霊光を見たことに
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 銀峰山清水寺(せいすいじ)は、この上市場から少し上った遊歩道沿いの場所にあります。
よるものであり、山師の安原伝兵衛は観音の霊験により釜屋間歩から大量の銀を産出するに至っています。清水寺は、石見国三十三所巡礼の一番札所にもなり、「長き世の 闇をば照らす 清水に すみてさやけき 月の光は」という御詠歌が伝えられています。<ref>『石見銀山領三十三ヵ所巡り』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。</ref>
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 清水寺縁起によれば、推古天皇の御世(593~628年)に建立。当初天池寺と称し、仙の山の頂上(石銀地区)にあったのですが、桓武天皇の延曆18(798)年に清水谷に移り、一国一寺の清水寺として勅願寺となります。明治11(1878)年に休谷の宝珠寺跡に移転。大正9(1920)年に天神坊敷地に移り現在に至ります。自然災害や社会的変化により、昭和8(1933)年以降、神宮寺、長楽寺、さらに山倉寺を合併しました。
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 清水寺は銀山開発と関係の深い寺で、近くには銀の精錬が行われていた清水谷精錬所もあり、銀山開発にかかわった人々から崇敬を集めた寺です。銀山発見者と言われる博多の豪商・神谷寿禎が大永7(1527)年に日本海を航行中、霊光を放つ山を見つけ参拝し、帰り道で銀鉱石を拾ったのが発見のきっかけと言われており、大久保長安配下の山師・安原伝兵衛が七日七晩堂宇に籠り、十一面観音に祈祷したことにより釜屋間歩を発見したと伝わります。
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 当寺には、国の重要文化財である辻が花染め丁字文道服(現在京都国立博物館に寄託)が伝わり、また本堂天井は格天井で家紋が極彩色に描かれています。この他、狩野重信の絵馬二面、古備前焼銘入花瓶、絹本著色仏涅槃図、絹本著色不動明王像、紙本墨書経巻、鰐口など、県や市の指定の文化財が数多く伝わります。また周囲の山々にあった石仏が安置されています。中には背中にクロス十字が記された隠れキリシタンのものもあります。
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 明治以前はインドの仏菩薩(本地)が姿をかえて現れたのが日本の神々(垂迹)であるという考え方が広く受け入れられており、お寺がお宮を管理することもありました。当寺も裏に天神さんの建物が存在します。
  
 
== 動画 ==
 
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※この動画は'''ダミー'''です。
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※ご住職のことば”仙の山に二つの池があり”についての解説
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 ご住職が昭和34~35年頃、伝え聞いた話です.「朝、夕と霊光が中天に上り」というくだりに,
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「朝日ケ池、夕日ケ池とよばれるそれぞれの池があった.」と伝えられていました.
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 清水寺の縁起(漢文訳)では "池上に霊光を発し仏身中天に現わる。国人これを
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称して朝日池という”記述となっており「二つ」「夕日」は記述されておりません.
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 池の跡が仙の山にあることは確認されていますが,一つなのか二つなのかについては,2説あるようです.
  
 
== 画像ギャラリー ==
 
== 画像ギャラリー ==
  
 
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01清水寺.JPG|本堂
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0101_1番清水寺.JPG|1番清水寺
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2026年2月13日 (金) 09:07時点における最新版

石見銀山領33ヵ寺 1番札所
清水寺
01清水寺.JPG
本堂
山号 銀峰山
寺号 清水寺(せいすいじ)
宗旨 真言宗
所在地 島根県大田市大森町ニ95
観音 十一面観音
本尊 十一面観音
御詠歌 うち初(そむ)る 補陀落山(ふだらくせん)も これそこの 清水寺(きよみずでら)の たきつしら波
スタンプ設置場所 本堂前
備考 石見国観音霊場 1番札所

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 銀山公園の駐車場を龍源寺間歩方面に進み、銀山防衛の拠点であった山吹城(414m)直下の銀山街道、沖泊コースと鞆が浦コースの交わる辺りが上市場と言われる地域となります。この結節点の少し上った吉迫口番所近くには、現在大森に移転した大森代官所(芋代官ミュージアム)の前身である休役所が置かれていました。いわば銀を産出した大森のそれこそ文字通りの銀座通りで、地名の由来通り市場が軒を並べていたようです。

 銀峰山清水寺(せいすいじ)は、この上市場から少し上った遊歩道沿いの場所にあります。

 清水寺縁起によれば、推古天皇の御世(593~628年)に建立。当初天池寺と称し、仙の山の頂上(石銀地区)にあったのですが、桓武天皇の延曆18(798)年に清水谷に移り、一国一寺の清水寺として勅願寺となります。明治11(1878)年に休谷の宝珠寺跡に移転。大正9(1920)年に天神坊敷地に移り現在に至ります。自然災害や社会的変化により、昭和8(1933)年以降、神宮寺、長楽寺、さらに山倉寺を合併しました。  清水寺は銀山開発と関係の深い寺で、近くには銀の精錬が行われていた清水谷精錬所もあり、銀山開発にかかわった人々から崇敬を集めた寺です。銀山発見者と言われる博多の豪商・神谷寿禎が大永7(1527)年に日本海を航行中、霊光を放つ山を見つけ参拝し、帰り道で銀鉱石を拾ったのが発見のきっかけと言われており、大久保長安配下の山師・安原伝兵衛が七日七晩堂宇に籠り、十一面観音に祈祷したことにより釜屋間歩を発見したと伝わります。

 当寺には、国の重要文化財である辻が花染め丁字文道服(現在京都国立博物館に寄託)が伝わり、また本堂天井は格天井で家紋が極彩色に描かれています。この他、狩野重信の絵馬二面、古備前焼銘入花瓶、絹本著色仏涅槃図、絹本著色不動明王像、紙本墨書経巻、鰐口など、県や市の指定の文化財が数多く伝わります。また周囲の山々にあった石仏が安置されています。中には背中にクロス十字が記された隠れキリシタンのものもあります。

 明治以前はインドの仏菩薩(本地)が姿をかえて現れたのが日本の神々(垂迹)であるという考え方が広く受け入れられており、お寺がお宮を管理することもありました。当寺も裏に天神さんの建物が存在します。

動画[編集]

※ご住職のことば”仙の山に二つの池があり”についての解説
 ご住職が昭和34~35年頃、伝え聞いた話です.「朝、夕と霊光が中天に上り」というくだりに,
「朝日ケ池、夕日ケ池とよばれるそれぞれの池があった.」と伝えられていました.
 清水寺の縁起(漢文訳)では "池上に霊光を発し仏身中天に現わる。国人これを
称して朝日池という”記述となっており「二つ」「夕日」は記述されておりません.
 池の跡が仙の山にあることは確認されていますが,一つなのか二つなのかについては,2説あるようです.

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