「清泰寺」の版間の差分

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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清泰寺の本尊の阿弥陀如来像は、胎内の墨書銘によると、文永7年(1270)仏師院豪がその弟子院快、院静、院弥らと制作したものであり、島根県指定文化財となっています。<ref>『[[出版物#.E3.80.8E.E7.9F.B3.E8.A6.8B.E9.8A.80.E5.B1.B1.E9.A0.98.E4.B8.89.E5.8D.81.E4.B8.89.E3.82.AB.E6.89.80.E5.B7.A1.E3.82.8A.E3.80.8F|石見銀山領三十三ヵ所巡り]]』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。</ref>
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 国道261号線の堤防下方の家並みの中に松川町の旧中学校校舎があり、その向こうの緑に囲まれた山の中腹に清泰寺があります。
高台のお寺からは松川町一帯が見渡せます.島根県文化財のご本尊様は島根県立古代出雲歴史博物館におられます.<ref>「石見銀山領33ヵ寺巡りマップ」お勧めポイントより</ref> 御朱印は慈恩寺でお渡ししています。
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 嘉元二年(1304)、中世武将河上氏が真言宗の菩提寺として建立しましたが、1350年に臨済宗に改宗したといわれています。寺の裏山山頂にある松山城は、福屋氏、毛利氏、小笠原氏などによる戦いの末、永禄三年(1560)に落城しました。寺は戦乱以外にも地震、土石流などの自然災害に見舞われましたが、その度に再興されてきました。
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 ご本尊は阿弥陀如来様です。胎内の墨書銘により、文永七年(1270)、院派の仏師・院豪(いんごう)とその弟子の院快、院静らによって造立されたことがわかります。院豪は、京都・蓮華王院三十三間堂の千体千手観音像の再興にもかかわった、当時の有力仏師です。像の出来栄えは極めて高く、島根の中世彫刻を代表する存在のひとつとして、県の文化財に指定されています。現在は島根県立古代出雲歴史博物館に寄託されており、本堂には3Dプリンターで作成されたレプリカ像が祀ってあります。
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== 動画 ==
 
== 動画 ==
  

2026年2月13日 (金) 08:31時点における最新版

石見銀山領33ヵ寺 31番札所
清泰寺
31清泰寺1.jpg
山号 万安山
寺号 清泰寺(せいたいじ)
宗旨 臨済宗
所在地 島根県江津市松川町市村410
観音 聖観音
御詠歌 さとりなハ よろつやすかる 身とならん 名こそうきよの 山ふかくとも
スタンプ設置場所 本堂前

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 国道261号線の堤防下方の家並みの中に松川町の旧中学校校舎があり、その向こうの緑に囲まれた山の中腹に清泰寺があります。

 嘉元二年(1304)、中世武将河上氏が真言宗の菩提寺として建立しましたが、1350年に臨済宗に改宗したといわれています。寺の裏山山頂にある松山城は、福屋氏、毛利氏、小笠原氏などによる戦いの末、永禄三年(1560)に落城しました。寺は戦乱以外にも地震、土石流などの自然災害に見舞われましたが、その度に再興されてきました。

 ご本尊は阿弥陀如来様です。胎内の墨書銘により、文永七年(1270)、院派の仏師・院豪(いんごう)とその弟子の院快、院静らによって造立されたことがわかります。院豪は、京都・蓮華王院三十三間堂の千体千手観音像の再興にもかかわった、当時の有力仏師です。像の出来栄えは極めて高く、島根の中世彫刻を代表する存在のひとつとして、県の文化財に指定されています。現在は島根県立古代出雲歴史博物館に寄託されており、本堂には3Dプリンターで作成されたレプリカ像が祀ってあります。

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