「円福寺」の版間の差分

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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円福寺の今の御詠歌は、「祖式野に 三十三に 身をかえて 救いまします 円福の寺」です。<ref>『[[出版物#.E3.80.8E.E7.9F.B3.E8.A6.8B.E9.8A.80.E5.B1.B1.E9.A0.98.E4.B8.89.E5.8D.81.E4.B8.89.E3.82.AB.E6.89.80.E5.B7.A1.E3.82.8A.E3.80.8F|石見銀山領三十三ヵ所巡り]]』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。</ref>
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 田んぼと民家が建ち並ぶ道が交差する祖式町のほぼ中央にあります。塀に囲まれた中央に石段があり、その上に仁王門があります。明治十二年(1879)に村人の協力により建立されたそうです。納められている仁王像は、永禄九年(1566)、14番札所円城寺へ奉納され、その後、石見銀山の長楽寺(現在は1番札所清水寺に合祀)へ移り、明治十二年に円福寺に移されました。このことから「さすらいの仁王様」と呼ばれています。
円城寺→長楽寺から移転してきた仁王様は「さすらいの仁王様」と呼ばれ,お顔がやさしく親しみを感じます。<ref>「石見銀山領33ヵ寺巡りマップ」お勧めポイントより</ref> 御朱印があります。
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仁王像の勇敢な姿は健康のシンボルであり、千切った紙を噛んで尊像に投げつけ、願う部分に当たれば、願いが叶うと信じられています。また、健脚の神として崇められ昔は大きな草履が奉納されていました。
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 16世紀前半、小笠原氏の士族友兼が祖式村の地名を称号とし、祖式小輔堅兼と名を改めて初代祖式氏となりました。円福寺は、初代祖式城主の菩提寺、祖式八幡宮の別当寺としてこの頃に建立された、と伝えられていますが、2度の火災ですべて焼失し詳細は不明です。祖式氏は慶長五年(1600)の役まで祖式城を居城としていますが、役後は毛利に従って山口に国替えします。主を失った寺は荒廃した時期もありましたが、いつの頃からか祖式一円の総迎寺となり宗派を越えて信仰されるようになりました。天保元年(1830)の2度目の火災で全焼し、その20年後の嘉永三年(1850)に再建され現在に至っています。明治六年には祖式村の初代小学校となり、戦時中には託児所を開設。村の近代教育を支えていました。
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 本堂の内陣には天井いっぱいに荘厳な龍が描かれています。この龍は「八方睨みの龍」と呼ばれ、私たちが本堂内のどこに移動しても私たちことを見つめています。下陣の格天井には牡丹に唐獅子、欄間には十王(閻魔を中心とする冥土の裁判官)が奉祀されています。ご本尊の聖観世音菩薩様は、中国地方最古の奈良時代に作られた木造の秘仏とされ、大田市の文化財に指定されています。本開扉は三十三年に1度ですが、最近では平成二九年(2017)に中開扉されました。
  
 
== 動画 ==
 
== 動画 ==

2026年2月12日 (木) 12:52時点における版

石見銀山領33ヵ寺 20番札所
円福寺
20円福寺1.jpg
山号 如意山
寺号 円福寺(えんぷくじ)
宗旨 真言宗
所在地 島根県大田市祖式町459
観音 聖観音(秘仏/33年に1度御開帳/本尊)
御詠歌 如意山(にょいやま)の 玉のひかりに みかかれて こころのやみに 迷ふことなし
スタンプ設置場所 本堂前

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 田んぼと民家が建ち並ぶ道が交差する祖式町のほぼ中央にあります。塀に囲まれた中央に石段があり、その上に仁王門があります。明治十二年(1879)に村人の協力により建立されたそうです。納められている仁王像は、永禄九年(1566)、14番札所円城寺へ奉納され、その後、石見銀山の長楽寺(現在は1番札所清水寺に合祀)へ移り、明治十二年に円福寺に移されました。このことから「さすらいの仁王様」と呼ばれています。 仁王像の勇敢な姿は健康のシンボルであり、千切った紙を噛んで尊像に投げつけ、願う部分に当たれば、願いが叶うと信じられています。また、健脚の神として崇められ昔は大きな草履が奉納されていました。

 16世紀前半、小笠原氏の士族友兼が祖式村の地名を称号とし、祖式小輔堅兼と名を改めて初代祖式氏となりました。円福寺は、初代祖式城主の菩提寺、祖式八幡宮の別当寺としてこの頃に建立された、と伝えられていますが、2度の火災ですべて焼失し詳細は不明です。祖式氏は慶長五年(1600)の役まで祖式城を居城としていますが、役後は毛利に従って山口に国替えします。主を失った寺は荒廃した時期もありましたが、いつの頃からか祖式一円の総迎寺となり宗派を越えて信仰されるようになりました。天保元年(1830)の2度目の火災で全焼し、その20年後の嘉永三年(1850)に再建され現在に至っています。明治六年には祖式村の初代小学校となり、戦時中には託児所を開設。村の近代教育を支えていました。

 本堂の内陣には天井いっぱいに荘厳な龍が描かれています。この龍は「八方睨みの龍」と呼ばれ、私たちが本堂内のどこに移動しても私たちことを見つめています。下陣の格天井には牡丹に唐獅子、欄間には十王(閻魔を中心とする冥土の裁判官)が奉祀されています。ご本尊の聖観世音菩薩様は、中国地方最古の奈良時代に作られた木造の秘仏とされ、大田市の文化財に指定されています。本開扉は三十三年に1度ですが、最近では平成二九年(2017)に中開扉されました。

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