「波啼寺」の版間の差分

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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波啼寺の本尊の十一面観音菩薩には、昔、韓島の近くから夜な夜な霊光が輝き、波が大きな音を立てているのを不思議に思った宅野浦の住人が、網を投げ入れて引き上げると、この尊像がかかっていたとの伝承があります。波啼寺は、石見国三十三所巡礼の二番札所にもなり、「岸による 波の響きも 補陀落の 誓いぞ同じ 松風の音」という御詠歌が伝えられています。<ref>『[[出版物#.E3.80.8E.E7.9F.B3.E8.A6.8B.E9.8A.80.E5.B1.B1.E9.A0.98.E4.B8.89.E5.8D.81.E4.B8.89.E3.82.AB.E6.89.80.E5.B7.A1.E3.82.8A.E3.80.8F|石見銀山領三十三ヵ所巡り]]』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。</ref>
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 6番善興寺から仁万の町を通り海岸沿いの道を東に進むと約3㎞で宅野の町に入ります。石見地方は赤瓦で知られていますが、宅野の家々は黒瓦です。古老によるとたたらや廻船を生業としていた宅野町には黒瓦を焼く瓦工場があったそうです。
日本海の眺望が抜群です.御朱印があります。
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 波啼寺は、町の高台にあり、日本海に沈む夕日を見ることができる眺めが大変良いお寺です。「宅野の観音」として知られている「十一面観音菩薩」が本尊であり、「醍醐天皇の時代に,唐島の北の海に霊光が輝き,波が啼くようにとどろいたので漁師たちが大網を引き揚げて見ると十一面観音菩薩様がおられた」との伝説があります。この山を涛来山と称し、波啼寺と名付けられたようです。
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 創建は延喜十七年(917)。天正二十年(1592)の棟札によると毛利輝元公が願主とあります。そのため、本堂内には毛利家の家紋を施した仏器があります。また上の段、左右の壁一面に信者さんが寄進した弘法大師像が数百体並んでおり壮観です。
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 三十三年毎のご開帳が2024年に執り行われ開帳法要や神楽奉納などでにぎわいました。お寺は古い時代に丘陵地に堆積した砂山の上に建っており、広い前庭は保育園の子供たちの砂遊び場となっており、平日は子供たちが楽しそうに遊んでいます。
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 事前の予約でご住職様のご都合が合えば、お写経を体験することができます。
  
 
== 動画 ==
 
== 動画 ==

2026年2月12日 (木) 12:35時点における版

石見銀山領33ヵ寺 7番札所
波啼寺
07波啼寺1.JPG
山号 涛来山
寺号 波啼寺(はていじ)
宗旨 真言宗
所在地 島根県大田市仁摩町宅野町1315
観音

聖観音(現在無し)

十一面観音(秘仏/33年に1度御開帳/本尊)
御詠歌 わすれすは すくひましませ 御仏(みほとけ)の うきよのやミに なきわたる身(み)を
スタンプ設置場所 本堂前
特徴的な樹木 ムクノキ
地形・地質 古砂丘(ヵ)の上に建つ
備考 石見国観音霊場 2番札所

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 6番善興寺から仁万の町を通り海岸沿いの道を東に進むと約3㎞で宅野の町に入ります。石見地方は赤瓦で知られていますが、宅野の家々は黒瓦です。古老によるとたたらや廻船を生業としていた宅野町には黒瓦を焼く瓦工場があったそうです。

 波啼寺は、町の高台にあり、日本海に沈む夕日を見ることができる眺めが大変良いお寺です。「宅野の観音」として知られている「十一面観音菩薩」が本尊であり、「醍醐天皇の時代に,唐島の北の海に霊光が輝き,波が啼くようにとどろいたので漁師たちが大網を引き揚げて見ると十一面観音菩薩様がおられた」との伝説があります。この山を涛来山と称し、波啼寺と名付けられたようです。

 創建は延喜十七年(917)。天正二十年(1592)の棟札によると毛利輝元公が願主とあります。そのため、本堂内には毛利家の家紋を施した仏器があります。また上の段、左右の壁一面に信者さんが寄進した弘法大師像が数百体並んでおり壮観です。

 三十三年毎のご開帳が2024年に執り行われ開帳法要や神楽奉納などでにぎわいました。お寺は古い時代に丘陵地に堆積した砂山の上に建っており、広い前庭は保育園の子供たちの砂遊び場となっており、平日は子供たちが楽しそうに遊んでいます。

 事前の予約でご住職様のご都合が合えば、お写経を体験することができます。

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