「長福寺」の版間の差分

提供:桜江古文書を現代に活かす会
ナビゲーションに移動 検索に移動
(ページの作成:「 {{書きかけの項目}} {{石見銀山領33ヵ寺基本情報 |名称 = 長福寺…」)
 
 
(2人の利用者による、間の4版が非表示)
1行目: 1行目:
[[Category:石見銀山領33ヵ寺巡り|ち]]
+
[[Category:石見銀山領33ヵ所巡り|ち]]
 
[[Category:書きかけの項目|ち]]
 
[[Category:書きかけの項目|ち]]
 
{{書きかけの項目}}
 
{{書きかけの項目}}
17行目: 17行目:
 
|本尊 =  
 
|本尊 =  
 
|御詠歌 = 寿(ことぶき)を 知る山寺の はなの香(か)ハ 都に増(ま)さる とこなつの春
 
|御詠歌 = 寿(ことぶき)を 知る山寺の はなの香(か)ハ 都に増(ま)さる とこなつの春
 +
|URL = http://www.chofuku-ji.jp/
 
|備考 =  
 
|備考 =  
|地図 = {{#multimaps: 35.2186871, 132.51286660000005}}
+
|地図 = {{#multimaps: 35.24213900000001, 132.538447}}
 
}}
 
}}
  
 +
長福寺の観音堂は、もとは妙泉庵といい、長福寺と上河内との間の山際にありましたが、慶安2年(1649)に境内に移され、寛文元年(1661)に堂宇が建てられました。その後、石見銀山領の三十三所巡礼が成立した元禄6年(1693)3月に改築されました。<ref>『[[出版物#.E3.80.8E.E7.9F.B3.E8.A6.8B.E9.8A.80.E5.B1.B1.E9.A0.98.E4.B8.89.E5.8D.81.E4.B8.89.E3.82.AB.E6.89.80.E5.B7.A1.E3.82.8A.E3.80.8F|石見銀山領三十三ヵ所巡り]]』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。</ref>
 +
毛利元就の陣羽織から作った福田衣や矢違いのお守りがあります。平成30年大田地震後修復された天井絵は芸術的です.<ref>「石見銀山領33ヵ寺巡りマップ」お勧めポイントより</ref> 御朱印があります。
 
== 動画 ==
 
== 動画 ==
※この動画は'''ダミー'''です。
 
  
‎<youtube>moC1E4_CMD8‎</YouTube>
+
‎<youtube>‎cV4pMx-ouS0</YouTube>
  
 
== 画像ギャラリー ==
 
== 画像ギャラリー ==

2023年3月24日 (金) 07:03時点における最新版

石見銀山領三十三ヵ所 12番札所
長福寺
12長福寺1.jpg
山号 寿智山
寺号 長福寺(ちょうふくじ)
宗旨 浄土宗
所在地 島根県大田市波根町706
観音 聖観音
御詠歌 寿(ことぶき)を 知る山寺の はなの香(か)ハ 都に増(ま)さる とこなつの春
URL http://www.chofuku-ji.jp/

地図を読み込み中...

テンプレートを表示

長福寺の観音堂は、もとは妙泉庵といい、長福寺と上河内との間の山際にありましたが、慶安2年(1649)に境内に移され、寛文元年(1661)に堂宇が建てられました。その後、石見銀山領の三十三所巡礼が成立した元禄6年(1693)3月に改築されました。[1] 毛利元就の陣羽織から作った福田衣や矢違いのお守りがあります。平成30年大田地震後修復された天井絵は芸術的です.[2] 御朱印があります。

動画[編集]

画像ギャラリー[編集]

脚註[編集]

  1. 石見銀山領三十三ヵ所巡り』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。
  2. 「石見銀山領33ヵ寺巡りマップ」お勧めポイントより