「観世音寺」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
(→動画) |
|||
(2人の利用者による、間の2版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
− | [[Category: | + | [[Category:石見銀山領33ヵ所巡り|か]] |
[[Category:書きかけの項目|か]] | [[Category:書きかけの項目|か]] | ||
{{書きかけの項目}} | {{書きかけの項目}} | ||
23行目: | 23行目: | ||
快算院は、観世音寺の院号です。江戸時代は大森陣屋の祈願寺として、銀山繁栄や天下泰平を祈願しました。寛政12年(1800)の大火で本堂は全焼しましたが、本尊の聖観音は救出されて難を逃れました。<ref>『[[出版物#.E3.80.8E.E7.9F.B3.E8.A6.8B.E9.8A.80.E5.B1.B1.E9.A0.98.E4.B8.89.E5.8D.81.E4.B8.89.E3.82.AB.E6.89.80.E5.B7.A1.E3.82.8A.E3.80.8F|石見銀山領三十三ヵ所巡り]]』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。</ref> | 快算院は、観世音寺の院号です。江戸時代は大森陣屋の祈願寺として、銀山繁栄や天下泰平を祈願しました。寛政12年(1800)の大火で本堂は全焼しましたが、本尊の聖観音は救出されて難を逃れました。<ref>『[[出版物#.E3.80.8E.E7.9F.B3.E8.A6.8B.E9.8A.80.E5.B1.B1.E9.A0.98.E4.B8.89.E5.8D.81.E4.B8.89.E3.82.AB.E6.89.80.E5.B7.A1.E3.82.8A.E3.80.8F|石見銀山領三十三ヵ所巡り]]』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。</ref> | ||
− | 小高い岩山の上にあり大森の町並みを一望できます.真ん中がすり減った石段が多くの人の往来を物語っています.御朱印は羅漢寺にてお渡ししています. | + | 小高い岩山の上にあり大森の町並みを一望できます.真ん中がすり減った石段が多くの人の往来を物語っています.御朱印は羅漢寺にてお渡ししています.<ref>「石見銀山領33ヵ寺巡りマップ」お勧めポイントより</ref> |
== 動画 == | == 動画 == | ||
− | + | <youtube>jqX5uztpnxw&t=1s</YouTube> | |
− | |||
− | <youtube> | ||
== 画像ギャラリー == | == 画像ギャラリー == |
2022年4月5日 (火) 04:54時点における最新版
石見銀山領三十三ヵ所 4番札所 観世音寺 | |
---|---|
山号 | 石城山 |
寺号 | 観世音寺(かんぜおんじ) |
宗旨 | 真言宗 |
所在地 | 島根県大田市大森町イ1383 |
観音 | 聖観音(本尊) |
御詠歌 | 世(よ)の音(おと)を 観(み)ても聞(きい)ても 一切衆生(さしもぐさ) たのめたすけん 石城月(いわしろのつき) |
地図を読み込み中... |
快算院は、観世音寺の院号です。江戸時代は大森陣屋の祈願寺として、銀山繁栄や天下泰平を祈願しました。寛政12年(1800)の大火で本堂は全焼しましたが、本尊の聖観音は救出されて難を逃れました。[1]
小高い岩山の上にあり大森の町並みを一望できます.真ん中がすり減った石段が多くの人の往来を物語っています.御朱印は羅漢寺にてお渡ししています.[2]
動画[編集]
画像ギャラリー[編集]
脚註[編集]
- ↑ 『石見銀山領三十三ヵ所巡り』(桜江古文書を現代に活かす会、2019年)より転載。
- ↑ 「石見銀山領33ヵ寺巡りマップ」お勧めポイントより