「御巡見様御通行の節書付」の版間の差分

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目録番号:の44
目録番号:ま1-2
 
  
 
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
 
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
  
担当:古文書に親しむ会 in 桜江
 
  
担当:古文書に親しむ会 in 松江
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== 文書画像と釈文、書き下し文 ==
  
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=== 1枚目(全7枚の内) ===
  
== 文書画像と釈文 ==
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[[ファイル:P1050319.JPG|600px]]
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  寛政元年
 +
  御巡検様御通行之節書付扣
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        酉六月十四日
  
=== 1枚目(全2枚の内) ===
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=== 2枚目(全7枚の内) ===
  
[[ファイル:2-1-1.JPG|600px]]
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[[ファイル:P1050321-1.JPG|600px]]
 +
    酉六月九日未刻 三原御本陣来
 +
  御朱印
 +
    人足八人馬拾疋江戸因幡
 +
    伯耆出雲隠岐石見周防長門
 +
    安芸美作備後備中備前
 +
    迄上下可出之是者右之国々
 +
    為巡見石尾七兵衛被遣ニ付而
 +
    被下之者也
  
     借用申銀子事
+
  御朱印
  丁銀弐拾五貫目也  但 申三月元日十二月切利ノ分壱割半ニシテ
+
      人足八人馬拾疋江戸因幡
右者二之丸御蔵入米我等共江被 仰付候處
+
      伯耆出雲隠岐石見周防長門
才覚不相成貴殿へ御頼申入候得者前書之銀御貸
+
      安芸美作備後備中備前
被下、慥借用仕、米上納仕候所、実正也、然上者三月より
+
      まで上下これ出るべく、これは右の国々
十二月迄壱割半之加利にて元利無不足返済可仕候
+
      巡見のため石尾七兵衛遣わさるにつきて
万一本人不埒仕候ハバ請人より日限ニ急度埒明可申候
+
      これ下さる者也
返弁方之儀被入御念候ニ付、此月当神門郡ニ而弐拾
 
四ケ村より別紙證文相渡候通少無相違返弁可仕候
 
ケ様相定候上者仮令如何様之不慮新規
 
御国法出来候共、毛頭相違申間敷候条後日
 
請人并御役所御奥書取之相渡申所
 
            仍如件
 
             雲州神門郡大津借主
 
                  山田 又左衛門  印
 
  宝暦十四申十一月   同所  同断
 
                  森廣 幾太    印 
 
             同郡  知井宮
 
                  山本 仁兵衛   印
 
             同郡  杵築請人
 
                  藤間 久左衛門  印
 
             松江請人
 
                  森脇 甚右衛門  印
 
  
=== 2枚目(全2枚の内) ===
+
=== 3枚目(全7枚の内) ===
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[[ファイル:P1050322-1.JPG|600px]]
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寛政元年
 +
   2月廿五日
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       右宿中
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  売上申覚
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六月十三日御昼ゟ同十四日朝迄御三飯   御上御壱人様
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一白米弐九升弐五勺           御次三拾八人様
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 壱升ニ付六八文かへ            但御壱人ニ付七合五勺宛
 +
 此代壱貫九百八拾九文
 +
 
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一木銭六百三拾弐文           御上壱人様廿四文
 +
                    御次三拾八人様拾六文
 +
〆弐貫六百弐拾壱文
 +
 
 +
 
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 売り上げ申す覚え
 +
六月十三日御昼より同十四日朝まで御三飯   御上お一人様
 +
一白米弐九升弐五勺             御次三十八人様
 +
 一升に付き六八文かえ            但し御一人に付き七合五勺ずつ
 +
 此の代壱貫九百八拾九文
 +
 
 +
一木銭六百三拾弐文           御上壱人様廿四文
 +
                    御次三拾八人様拾六文
 +
〆弐貫六百弐拾壱文
  
[[ファイル:2-1-2.JPG|600px]]
 
  
      石州銀山御領
+
 
          西田屋喜六 殿
 
          角屋庄十郎 殿
 
前書之通承届御返弁之儀相違無之様
 
急度可申付候御奥書如件
 
             雲州勝手方役
 
                 和田 理八
 
                 岡本 彦助
 
                 田中 幸平
 
                 後藤 久兵衛
 
                 荒井 助市
 
             同奉行
 
                磯崎 丈太夫
 
                湯川 冶兵衛
 
                山本 覚兵衛
 
            西田屋 喜六 殿
 
            角屋  庄十郎殿
 
  
 +
=== 4枚目(全7枚の内) ===
  
== 書き下し文 ==
+
[[ファイル:P1050323-1.JPG|600px]]
 +
  右者所相場を以売上申処実証ニ御座候若
 +
  相場ゟ下直ニ売候段御聞被遊候ハヾ何様ニも
 +
  御吟味可被遊候此代銭銘々慥ニ受取申候
 +
  御主人様ハ不及申御家来衆中ニ至迄
 +
  御非分成儀無御座候諸道具等少茂損シ
 +
  不申紛失無御座候為後日仍而如件
 +
                  石見邑智郡市山村
 +
                     御本陣亭主
 +
                        金六 印
 +
  寛政六年               脇亭主
 +
    酉六月一四日              直左衛門 
 +
 
 +
  佐々木丈右衛門様
 +
  中村宇平次様
 +
  亀山順右衛門様
 +
   内海源左衛門様
  
借用申す銀子のこと
+
  右は所の相場を以て売り上げ申す処実証に御座そうろう。もし
+
  相場より下直に売りそうろう段御聞き遊ばれそうらはば、何様にも
 丁銀二拾五貫目なり   但し申三月元日十二月切
+
  御吟味遊ばさるべくそうろう。此の代銭銘々たしかに受け取り申しそうろう。
               利ノ分一割半ニシテ
+
  御主人様は申すに及ばず、御家来衆中に至るまで
+
  御非分成る儀、御座なくそうろう。諸道具等少しも損じ
右は二の丸お蔵入り米我ら共へ、仰せつけられ候ところ
+
  申さず紛失御座なくそうろう。後日のためよって件のごとし。
才覚相ならず。貴殿へ御頼み申し入れ候へば、前書の銀御貸し
+
                  石見邑智郡市山村
下され、たしかに借用つかまつり、米上納仕り候所、実正なり、しかる上は三月より
+
                     御本陣亭主
十二月まで一割半の加利にて元利不足なく返済仕るべく候
+
                        金六 印
万一本人不埒仕り候はば、請け人より日限にきっとらち明け申すべく候
+
  寛政六年               脇亭主
返弁方の儀ご念を入れられ候につき、この月当神門郡にて二十
+
    酉六月一四日              直左衛門 
四ヵ村より別紙証文相渡し候とおり少しも相違なく返弁仕るべく候
+
 
かようあい定め候上はたとえいかようの不慮新規
+
  佐々木丈右衛門様
御国法しゅったい候とも、もうとう相違申すまじく候条後日
+
  中村宇平次様
請け人ならびにお役所御奥書きこれを取り相渡し申すところ
+
  亀山順右衛門様
よって件のごとし
+
   内海源左衛門様
+
 
前書きのとおり承り届けお返弁の儀 相違これ無きよう
+
=== 5枚目(全7枚の内) ===
きっと申しつくべく候御奥書き件のごとし
 
  
+
[[ファイル:P1050324-1.JPG|600px]]
== 現代語訳 ==
+
  差上申一札之事
 +
  此度御泊御宿仕処諸事御定
 +
   書を以被仰渡候事共委細奉承知候
 +
    依之御人数江壱銭之売物差上不申候
 +
    尤当御宿不残御人数御引払被遊
 +
    御立御壱人も御残不被成旨奉
 +
    承知候万一御立跡ゟ御数之内与申
 +
    参候者御座候共一銭之品ニ而も売払
 +
    申間敷候若売渡候品被及御聞候ハヽ
 +
    私共可為越度候惣而壱銭之儀ニ而も
 +
    御用ニ立不申候為後日依而如件
 +
              石州邑智郡市山村
 +
      寛政元年     御本陣亭主
 +
         酉六月十三日     金六
 +
                          直左衛門
  
松江城ニの丸のお蔵入り米を私どもに仰せつけられたけれども
+
      差し上げ申す一札之事
算段がつきませんので、あなた様へ御頼みいたしましたところ、前書きの銀子をお貸し
+
  一この度御泊まり御宿仕る処諸事御定め
くださることにことになり、たしかに受け取りました。
+
    書を以って仰せ渡され候事共、委細承知奉りそうろう、
お借りしたうえは、3月から12月まで1割半の利息で元利ともに不足なく返済いたします。
+
    之に依りお人数え壱銭の売り物差し上げ申さずそうろう、
万一私ども借主がお返しできなかった時には、請け人が日限迄にきっとお返し致します。
+
    もっとも当御宿残らずお人数引き払い遊ばされ
間違えなくお返しいたします。返済について御念を入れられたので、宝暦14年11月、神門郡にて
+
    御壱人も御残り成されざる旨
24ヵ村より別紙証文をお渡しした通り、少しも相違無くお返し致します。
+
    承知奉りそうろう、万一御立ち跡より御人数の内と申し
このように決めたうえは、いかなる別の新しい法律ができたとしても、間違えなくお返し致します。以上の通り、後日、
+
    参りそうろう者御座そうろう共、一銭の品にても売り払い
請け人及びお役所の奥書きを取りお渡ししました。
+
    申すまじくそうろう、若し売り渡しそうろう品お聞き及ばれそうらはば
宝暦14年申4月(明和元年・1764年)<ref>脚註のダミーです。</ref>
+
    私共越度たるべくそうろう、惣じて壱銭の儀にても
 +
    御用に立ち申さずそうろう、後日の為め依って件の如し
 +
                      石州邑智郡市山村
 +
          寛政元年     御本陣亭主
 +
              酉六月十三日     金六
 +
                              直左衛門
  
ニの丸お蔵入り米を才覚できず、丁銀25貫目の借用申し込みをする。
+
                 
これによって米を上納した
 
3月~12月まで一割半の利で返済を約束する
 
  
■借主 雲州神門郡大津の山田又右衛門、森廣幾太
+
=== 6枚目(全7枚の内) ===
  
■保証人 雲州郡知伊宮の山本仁兵衛、杵築の藤間久左衛門、松江の森脇甚右衛門
+
[[ファイル:P1050325-1.JPG|600px]]
 +
  石尾七兵衛様御内
 +
  佐々木丈右衛門様
 +
  中村宇平次様
 +
   
  
■貸主 西田屋幾六、角屋庄十郎
+
=== 7枚目(全7枚の内) ===
  
■松江藩勝手方役人、奉行が連著保証の奥書きをしている
+
[[ファイル:P1050326-1.JPG|600px]]
  
    勝手方役人 和田理八、岡本彦助、田中幸平、後藤九兵衛、荒井助市
 
  
    勝手方奉行 磯崎丈太夫、湯川治兵衛、山本覚兵衛
+
      
  
 +
== 現代語訳 ==
 +
  売上申した品の覚え
 +
六月一三日お昼より同一四日までのご宿泊の間
 +
三回分ご飯です。
 +
一つ その白米の総量が二斗九升2合五勺   家来の三八人様
 +
   一升につき六八文換算です。      ただしお一人に付七合五勺ずつでした。
 +
   この代金の合計が一貫九百八十九文です。
 +
一つ 宿泊料として木銭が六百三十二文    巡見使様は二十四文
 +
                      家来の三十八人様は十六文
 +
   米代と宿泊料の合計で二貫六百二一文です。
 +
   右の代金は、この地域の価格の相場に基づいた公正なものでございます。
 +
   もし本当はこの地域ではもっと安い値段で売っているとお聞きなさったならば、いくらでも調査をしていただいて構いません。
 +
   確かに本陣と脇本陣の亭主それぞれ、この代銭を受け取りました。
 +
   ご主人様はもちろん、その家来みなさんまで悪いことはなさっていません。
 +
   書道具などの破損や紛失は少しもありませんでした。
 +
   後日問題にならないようにこのように書いておきます。
 +
 +
1つ 此の度私はお泊りなさるお宿を提供いたしましたところ、諸事についてお定め書きによっておっしゃられている事は細かく承知いたしました。
 +
これにより、ご一行の方々へ一銭の売り物であっても差し上げません。
 +
もっとも、このお宿にご一行の方々はご退去されて、一人も残らないことも承知致しました。
 +
ご退去の後にご一行の内の者であると名乗って来たとしても、一銭の品も売り渡すことはございません。
 +
もし、売り渡した品について聞き及ばれることがあったならば、私の過失ということになります。
 +
総じて一銭のことであっても、ご用立てすることはありません。後日の為に以上のように申し上げます。
  
 
== 脚註 ==
 
== 脚註 ==

2019年1月24日 (木) 11:42時点における最新版

目録番号:の44

担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ


文書画像と釈文、書き下し文[編集]

1枚目(全7枚の内)[編集]

P1050319.JPG

  寛政元年 
 御巡検様御通行之節書付扣
       酉六月十四日

2枚目(全7枚の内)[編集]

P1050321-1.JPG

    酉六月九日未刻 三原御本陣来
 御朱印
    人足八人馬拾疋江戸因幡
    伯耆出雲隠岐石見周防長門
    安芸美作備後備中備前
    迄上下可出之是者右之国々
    為巡見石尾七兵衛被遣ニ付而
    被下之者也
  御朱印
     人足八人馬拾疋江戸因幡
     伯耆出雲隠岐石見周防長門
     安芸美作備後備中備前
     まで上下これ出るべく、これは右の国々
     巡見のため石尾七兵衛遣わさるにつきて
     これ下さる者也

3枚目(全7枚の内)[編集]

P1050322-1.JPG

寛政元年
   2月廿五日
       右宿中

 売上申覚
六月十三日御昼ゟ同十四日朝迄御三飯   御上御壱人様
一白米弐九升弐五勺           御次三拾八人様
 壱升ニ付六八文かへ            但御壱人ニ付七合五勺宛
 此代壱貫九百八拾九文
 
一木銭六百三拾弐文           御上壱人様廿四文
                    御次三拾八人様拾六文
〆弐貫六百弐拾壱文 


 売り上げ申す覚え
六月十三日御昼より同十四日朝まで御三飯   御上お一人様
一白米弐九升弐五勺             御次三十八人様
 一升に付き六八文かえ            但し御一人に付き七合五勺ずつ
 此の代壱貫九百八拾九文
 
一木銭六百三拾弐文           御上壱人様廿四文
                    御次三拾八人様拾六文
〆弐貫六百弐拾壱文 


 

4枚目(全7枚の内)[編集]

P1050323-1.JPG

 右者所相場を以売上申処実証ニ御座候若
 相場ゟ下直ニ売候段御聞被遊候ハヾ何様ニも
 御吟味可被遊候此代銭銘々慥ニ受取申候
 御主人様ハ不及申御家来衆中ニ至迄
 御非分成儀無御座候諸道具等少茂損シ
 不申紛失無御座候為後日仍而如件
                 石見邑智郡市山村
                    御本陣亭主
                       金六 印
 寛政六年               脇亭主
   酉六月一四日              直左衛門  
 
 佐々木丈右衛門様
 中村宇平次様
 亀山順右衛門様
  内海源左衛門様
 右は所の相場を以て売り上げ申す処実証に御座そうろう。もし
 相場より下直に売りそうろう段御聞き遊ばれそうらはば、何様にも
 御吟味遊ばさるべくそうろう。此の代銭銘々たしかに受け取り申しそうろう。
 御主人様は申すに及ばず、御家来衆中に至るまで
 御非分成る儀、御座なくそうろう。諸道具等少しも損じ
 申さず紛失御座なくそうろう。後日のためよって件のごとし。
                 石見邑智郡市山村
                    御本陣亭主
                       金六 印
 寛政六年               脇亭主
   酉六月一四日              直左衛門  
 
 佐々木丈右衛門様
 中村宇平次様
 亀山順右衛門様
  内海源左衛門様

5枚目(全7枚の内)[編集]

P1050324-1.JPG

  差上申一札之事
  此度御泊御宿仕処諸事御定
  書を以被仰渡候事共委細奉承知候
   依之御人数江壱銭之売物差上不申候
   尤当御宿不残御人数御引払被遊
   御立御壱人も御残不被成旨奉
   承知候万一御立跡ゟ御数之内与申
   参候者御座候共一銭之品ニ而も売払
   申間敷候若売渡候品被及御聞候ハヽ
   私共可為越度候惣而壱銭之儀ニ而も
   御用ニ立不申候為後日依而如件
             石州邑智郡市山村
     寛政元年     御本陣亭主
        酉六月十三日     金六
                         直左衛門
     差し上げ申す一札之事
  一この度御泊まり御宿仕る処諸事御定め
    書を以って仰せ渡され候事共、委細承知奉りそうろう、
    之に依りお人数え壱銭の売り物差し上げ申さずそうろう、
    もっとも当御宿残らずお人数引き払い遊ばされ
    御壱人も御残り成されざる旨
    承知奉りそうろう、万一御立ち跡より御人数の内と申し
    参りそうろう者御座そうろう共、一銭の品にても売り払い
    申すまじくそうろう、若し売り渡しそうろう品お聞き及ばれそうらはば
    私共越度たるべくそうろう、惣じて壱銭の儀にても
    御用に立ち申さずそうろう、後日の為め依って件の如し
                      石州邑智郡市山村
          寛政元年     御本陣亭主
              酉六月十三日     金六
                             直左衛門

                 

6枚目(全7枚の内)[編集]

P1050325-1.JPG

  石尾七兵衛様御内
  佐々木丈右衛門様
  中村宇平次様

   

7枚目(全7枚の内)[編集]

P1050326-1.JPG


      

現代語訳[編集]

  売上申した品の覚え
六月一三日お昼より同一四日までのご宿泊の間
三回分ご飯です。
一つ その白米の総量が二斗九升2合五勺   家来の三八人様
   一升につき六八文換算です。      ただしお一人に付七合五勺ずつでした。
   この代金の合計が一貫九百八十九文です。
一つ 宿泊料として木銭が六百三十二文    巡見使様は二十四文
                      家来の三十八人様は十六文
   米代と宿泊料の合計で二貫六百二一文です。
   右の代金は、この地域の価格の相場に基づいた公正なものでございます。
   もし本当はこの地域ではもっと安い値段で売っているとお聞きなさったならば、いくらでも調査をしていただいて構いません。
   確かに本陣と脇本陣の亭主それぞれ、この代銭を受け取りました。
   ご主人様はもちろん、その家来みなさんまで悪いことはなさっていません。
   書道具などの破損や紛失は少しもありませんでした。
   後日問題にならないようにこのように書いておきます。

1つ 此の度私はお泊りなさるお宿を提供いたしましたところ、諸事についてお定め書きによっておっしゃられている事は細かく承知いたしました。
これにより、ご一行の方々へ一銭の売り物であっても差し上げません。
もっとも、このお宿にご一行の方々はご退去されて、一人も残らないことも承知致しました。
ご退去の後にご一行の内の者であると名乗って来たとしても、一銭の品も売り渡すことはございません。
もし、売り渡した品について聞き及ばれることがあったならば、私の過失ということになります。
総じて一銭のことであっても、ご用立てすることはありません。後日の為に以上のように申し上げます。

脚註[編集]


コメント[編集]

<comments hideform="false" /> トーク:御巡見様御通行の節書付