御巡見様御通行の節書付

提供:桜江古文書を現代に活かす会
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目録番号:の44

担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ


文書画像と釈文、書き下し文[編集]

1枚目(全7枚の内)[編集]

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  寛政元年 
 御巡検様御通行之節書付扣
       酉六月十四日

2枚目(全7枚の内)[編集]

P1050321-1.JPG

    酉六月九日未刻 三原御本陣来
 御朱印
    人足八人馬拾疋江戸因幡
    伯耆出雲隠岐石見周防長門
    安芸美作備後備中備前
    迄上下可出之是者右之国々
    為巡見石尾七兵衛被遣ニ付而
    被下之者也
  御朱印
     人足八人馬拾疋江戸因幡
     伯耆出雲隠岐石見周防長門
     安芸美作備後備中備前
     まで上下これ出るべく、これは右の国々
     巡見のため石尾七兵衛遣わさるにつきて
     これ下さる者也

3枚目(全7枚の内)[編集]

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寛政元年
   2月廿五日
       右宿中

 売上申覚
六月十三日御昼ゟ同十四日朝迄御三飯   御上御壱人様
一白米弐九升弐五勺           御次三拾八人様
 壱升ニ付六八文かへ            但御壱人ニ付七合五勺宛
 此代壱貫九百八拾九文
 
一木銭六百三拾弐文           御上壱人様廿四文
                    御次三拾八人様拾六文
〆弐貫六百弐拾壱文 


 売り上げ申す覚え
六月十三日御昼より同十四日朝まで御三飯   御上お一人様
一白米弐九升弐五勺             御次三十八人様
 一升に付き六八文かえ            但し御一人に付き七合五勺ずつ
 此の代壱貫九百八拾九文
 
一木銭六百三拾弐文           御上壱人様廿四文
                    御次三拾八人様拾六文
〆弐貫六百弐拾壱文 


 

4枚目(全7枚の内)[編集]

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 右者所相場を以売上申処実証ニ御座候若
 相場ゟ下直ニ売候段御聞被遊候ハヾ何様ニも
 御吟味可被遊候此代銭銘々慥ニ受取申候
 御主人様ハ不及申御家来衆中ニ至迄
 御非分成儀無御座候諸道具等少茂損シ
 不申紛失無御座候為後日仍而如件
                 石見邑智郡市山村
                    御本陣亭主
                       金六 印
 寛政六年               脇亭主
   酉六月一四日              直左衛門  
 
 佐々木丈右衛門様
 中村宇平次様
 亀山順右衛門様
  内海源左衛門様
 右は所の相場を以て売り上げ申す処実証に御座そうろう。もし
 相場より下直に売りそうろう段御聞き遊ばれそうらはば、何様にも
 御吟味遊ばさるべくそうろう。此の代銭銘々たしかに受け取り申しそうろう。
 御主人様は申すに及ばず、御家来衆中に至るまで
 御非分成る儀、御座なくそうろう。諸道具等少しも損じ
 申さず紛失御座なくそうろう。後日のためよって件のごとし。
                 石見邑智郡市山村
                    御本陣亭主
                       金六 印
 寛政六年               脇亭主
   酉六月一四日              直左衛門  
 
 佐々木丈右衛門様
 中村宇平次様
 亀山順右衛門様
  内海源左衛門様

5枚目(全7枚の内)[編集]

P1050324-1.JPG

  差上申一札之事
  此度御泊御宿仕処諸事御定
  書を以被仰渡候事共委細奉承知候
   依之御人数江壱銭之売物差上不申候
   尤当御宿不残御人数御引払被遊
   御立御壱人も御残不被成旨奉
   承知候万一御立跡ゟ御数之内与申
   参候者御座候共一銭之品ニ而も売払
   申間敷候若売渡候品被及御聞候ハヽ
   私共可為越度候惣而壱銭之儀ニ而も
   御用ニ立不申候為後日依而如件
             石州邑智郡市山村
     寛政元年     御本陣亭主
        酉六月十三日     金六
                         直左衛門
     差し上げ申す一札之事
  一この度御泊まり御宿仕る処諸事御定め
    書を以って仰せ渡され候事共、委細承知奉りそうろう、
    之に依りお人数え壱銭の売り物差し上げ申さずそうろう、
    もっとも当御宿残らずお人数引き払い遊ばされ
    御壱人も御残り成されざる旨
    承知奉りそうろう、万一御立ち跡より御人数の内と申し
    参りそうろう者御座そうろう共、一銭の品にても売り払い
    申すまじくそうろう、若し売り渡しそうろう品お聞き及ばれそうらはば
    私共越度たるべくそうろう、惣じて壱銭の儀にても
    御用に立ち申さずそうろう、後日の為め依って件の如し
                      石州邑智郡市山村
          寛政元年     御本陣亭主
              酉六月十三日     金六
                             直左衛門

                 

6枚目(全7枚の内)[編集]

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  石尾七兵衛様御内
  佐々木丈右衛門様
  中村宇平次様

   

7枚目(全7枚の内)[編集]

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現代語訳[編集]

  売上申した品の覚え
六月一三日お昼より同一四日までのご宿泊の間
三回分ご飯です。
一つ その白米の総量が二斗九升2合五勺   家来の三八人様
   一升につき六八文換算です。      ただしお一人に付七合五勺ずつでした。
   この代金の合計が一貫九百八十九文です。
一つ 宿泊料として木銭が六百三十二文    巡見使様は二十四文
                      家来の三十八人様は十六文
   米代と宿泊料の合計で二貫六百二一文です。
   右の代金は、この地域の価格の相場に基づいた公正なものでございます。
   もし本当はこの地域ではもっと安い値段で売っているとお聞きなさったならば、いくらでも調査をしていただいて構いません。
   確かに本陣と脇本陣の亭主それぞれ、この代銭を受け取りました。
   ご主人様はもちろん、その家来みなさんまで悪いことはなさっていません。
   書道具などの破損や紛失は少しもありませんでした。
   後日問題にならないようにこのように書いておきます。

1つ 此の度私はお泊りなさるお宿を提供いたしましたところ、諸事についてお定め書きによっておっしゃられている事は細かく承知いたしました。
これにより、ご一行の方々へ一銭の売り物であっても差し上げません。
もっとも、このお宿にご一行の方々はご退去されて、一人も残らないことも承知致しました。
ご退去の後にご一行の内の者であると名乗って来たとしても、一銭の品も売り渡すことはございません。
もし、売り渡した品について聞き及ばれることがあったならば、私の過失ということになります。
総じて一銭のことであっても、ご用立てすることはありません。後日の為に以上のように申し上げます。

脚註[編集]


コメント[編集]

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