川本村と因原村の訴訟2

提供:桜江古文書を現代に活かす会
2017年6月29日 (木) 11:30時点におけるSakurae (トーク | 投稿記録)による版 (→‎現代語訳)
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目録番号:ゆ406

担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ


文書画像と釈文、書き下し文

1枚目(全18枚の内)

ゆ406-1.JPG

乍恐以書付奉申上候
               山
一此度御料川本村より浜田領因原村境
 之義ニ付川本村衆中より御訴状被
 差上候ニ付返答書差上候様ニ被為仰付
 奉畏乍恐返答書奉差上候
一、川本村衆中ゟ被申上候ハ川本村之方七百
   恐れながら書き付けを以て申し上げ奉り候
一、此の度、御料川本村より、浜田領因原村山境
 の義に付き、川本村衆中より、御訴状
 差し上げられ候に付き、返答書差し上げ候様に仰せ付けさせられ、
 畏み奉り、恐れながら返答書差し上げ奉り候
一、川本村衆中より申し上げられ候は、川本村の方七百

2枚目(全18枚の内)

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  六拾九石余山稼第一之村方ニ御座候処村
 山続惣名犬か谷山之内あや平中倉
 釜かやのそね夫ゟ一ノ丸二ノ丸青松
 鋳物師釜之谷と申名所御座候因原村と
  山境之義ハ左右谷合馬橋川境西ハ
 字飛渡リ双方田畑境より日向山そね
 通り峯より裾大歳迄夫より南江引廻し
 右キ川迄山上ハ東南より落合之谷川
 夫より間ノそね札ノそね峯境御料  
  六拾九石余り山稼ぎ第一の村方に御座候所、村
  山続き惣名犬か谷山の内、あや平、中倉、
  釜かやのそね、夫れより、一ノ丸、二ノ丸、青松、
  鋳物師釜の谷と申す名所御座候、因原村と
  山境の義は、左右谷合馬橋川境、西は
  字飛渡り、双方田畑境より日向山曽根
  通り峯より裾大歳まで、それより南へ引き回し
  右ぎ川まで、山上は東南より落合え谷川、
  それより間のそね札の曽根峯境、御料

3枚目(全18枚の内)

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4枚目(全18枚の内)

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5枚目(全18枚の内)

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6枚目(全18枚の内)

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7枚目(全18枚の内)

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8枚目(全18枚の内)

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9枚目(全18枚の内)

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10枚目(全18枚の内)

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11枚目(全18枚の内)

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12枚目(全18枚の内)

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13枚目(全18枚の内)

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14枚目(全18枚の内)

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15枚目(全18枚の内)

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16枚目(全18枚の内)

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17枚目(全18枚の内)

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18枚目(全18枚の内)

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現代語訳

恐れながら書き付けを以って申し上げます
一、この度、幕府領川本村の方から、浜田領因原村との山境のことについて、因原村を相手としてご訴えが提出されました。
それに対し、反論を書いた返答書を作成せよと仰せ付けられましたので、敬ってこれを了承し、恐れながら返答書を差し上げるものでございます。 
一、川本村の人々より申し上げられたのは次のような内容です。川本村の石高は七百
六拾九石余りで、山稼ぎが第一の村でございますが、
村の山に続く、総称が犬か谷という山の中に、あや平、中倉、
釜かやのそね、そして一ノ丸、二ノ丸、青松、
鋳物師釜の谷と申す名前の場所がございます。因原村と
因原村との山の境界につきましては以下のようになっております。
左右の谷合は馬橋川が境、西は字飛渡り、双方田畑境より日向山曽根を通り、
峯より裾は大歳まで。それより南へ引き回し右の川まで。山上は東南より落合の谷川、
それより間の曽根札の曽根峯境。御料


   

脚註


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