「石州銀山近里巡礼縁起」を編集中

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[[Category:中村家文書|い]]
 
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   石州銀山近里巡礼縁起
 
   石州銀山近里巡礼縁起
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=== 2枚目(全24枚の内) ===
 
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  三十二番 住郷村
 
  三十二番 住郷村
 
   十一面観音   日笠山瑠璃寺
 
   十一面観音   日笠山瑠璃寺
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=== 24枚目(全24枚の内) ===
 
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[[ファイル:engi_27.JPG|600px]]
 
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  雨雲の はれてしつけき 日笠山
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   来てみよ法の 明らけき道
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== 書き下し文 ==
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 高野寺へ弐里十丁、此間に川多し、
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== 現代語訳 ==
 谷村入野と云所に十丁計の坂あり、
 
 田くほ村、ふく田村、殿村を通る
 
 
三拾三番 井尻村
 
 聖観音     鏡向山高野寺
 
  高の寺や むつの太鼓も うち納
 
   ふたらくせんに やとる巡礼
 
 
  道法合四拾弐里弐丁
 
 
所付道法にはかさねて改可相極、当分
 
 巡礼衆導のため大躰如斯
 
 
于時元禄六龍輯癸酉三月  
 
   
 
  
==  参考資料 ==
 
「観聴随筆」
 
元禄六発酉年
 
一、三月ニ長福寺観音堂并本尊再興有ル。此堂ハ妙泉庵ト云テ、昔ハ当寺ト上河内ノアイノ山際ニ有シナリ。
 
其堂ハ寛永ノ比ニ錦織藤左衛門建立ノ堂ナリト云ナリ。当寺六代談誉上人、慶安年中ニ当寺境内ヘ引玉ウ。
 
第九代専誉上人ハ寛文年中ニ堂ヲ立、本尊御身金色ニ再興し玉ウナリ、夵ルニ、去年当御料中ニ観音三十三所ノ巡礼所ヲ可定トテ須摩都ト云座頭ト相談ニナゾリケル。
 
故ニ此堂モ巡礼所ニ加ル故ニ改建スルナリ。
 
堂建立ノ施主九人、坪倉豊前、高野八郎右衛門、同七左衛門、同理兵衛、同新右衛門、三谷加兵衛、同利右衛門、加藤六左衛門、同三右衛門。本尊再興ノ施主ハ村中道俗男女一銭半銭ノ助成ニテ成就ス。
 
仏工木村九郎兵衛。
 
一、天河内善興寺、静間金剛山、大森快算院、野井浄土寺隠居、此四人先達ニテ道俗男女十余人始テ巡礼在ル。
 
三月廿五日ニ長福寺ニ来リ、十二番ノ札所と定ラル。
 
  
 
== 脚註 ==
 
== 脚註 ==

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