「石州銀山近里巡礼縁起」を編集中

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== 文書画像と釈文 ==
 
== 文書画像と釈文 ==
  
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   石州銀山近里巡礼縁起
 
   石州銀山近里巡礼縁起
  
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  とも、一度中絶する也、其後人王<ref>名詞神代に対し、人代になってからの天皇のこと。神武天皇以後の天皇</ref>
 
  とも、一度中絶する也、其後人王<ref>名詞神代に対し、人代になってからの天皇のこと。神武天皇以後の天皇</ref>
  
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  巡礼すれは、たとひ五逆十
 
  巡礼すれは、たとひ五逆十
  
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  巡礼被遊ける、それより以来不
 
  巡礼被遊ける、それより以来不
  
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  不往して、此所にて巡礼せし事ハ
 
  不往して、此所にて巡礼せし事ハ
  
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  悪業…悪い報いをもたらす、悪いおこない。
 
  悪業…悪い報いをもたらす、悪いおこない。
  
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  事に衆生を利益したまふ
 
  事に衆生を利益したまふ
 
  因縁あらん也、信心深達者
 
  因縁あらん也、信心深達者
 
無窮…果てしないこと。きわまりがないこと。また、そのさま。
 
 
随類…仏菩薩が、衆生凡夫(愚かな煩悩を断じていない衆生をいう)の素質、能力の相違にしたがって身を現わし、 教化すること。
 
 
解脱門…解脱(俗世間の束縛・迷い・苦しみからぬけ出し、悟りを開くこと)に入る門として、迷いから解放させる 方法となる禅定(ぜんじょう:思いを静め、心を明らかにして真正の理を悟るための修行法)。
 
 
恒沙…恒河(=ガンジス川)の砂の意。無限の数量のたとえ。
 
 
因縁…物事はすべて、その起原(=因)と、果を結ばせる作用(=縁)とによって、定められていること。転じて、 物事の持っている定まった運命。
 
    
 
  
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  一心に大悲の御名を唱へて
 
  一心に大悲の御名を唱へて
 
  無疑巡礼あるへし
 
  無疑巡礼あるへし
 
身口意…身体的活動(=身)と言語活動(=口)と精神活動(=意)。人間の一切の活動。
 
  
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  七、一生中膺供養僧
 
  七、一生中膺供養僧
  
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  九、没定可往生
 
  九、没定可往生
 
  十、諸願可成就
 
  十、諸願可成就
 
道法案内
 
 
壱番 銀山 清水谷
 
 十一面観音    銀峯山清水寺
 
  うち初る 補陀洛山も これそこの
 
   清水寺の たきつしう波
 
 
  神宮寺へ道八丁
 
 
弐番 同所 栃畑
 
 十一面観音    岩屋山神宮寺
 
  岩倉や 其夜灯火に あけしより
 
  神と法との たへぬひのもと
 
  
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此近所長安寺に霊仏の観音安座、
 
 并毛利元就公の御影あり、又八丁計
 
 登り昆布山谷に元就公建立の
 
 役行者堂あり、志の方は往て
 
 拝せらるへし
 
 
  龍昌寺へ十八丁下へ戻る
 
 
三番 銀山 下川原
 
 聖観音      玉峯山龍昌寺
 
  ほからかに 玉のミねこす 山のその
 
   星をさとりの たねとこそミれ
 
 
快算院へ十三丁
 
 
四番 大森 大森
 
 聖観音      石城山快算院
 
  世の音を 観ても聞ても 一切衣生
 
   □□□たすけん 石城月
 
  
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五番 同所
 
 十一面観音    安養山勝源寺
 
  勝つる 源清き 池水ハ
 
   燃る火消し ためしなるらん
 
 
 善興寺え壱里半、骨折と云坂
 
 あり、大国町大井手と云所に
 
 川一瀬
 
 
六番 天河内村
 
 聖観音     福應山善興寺
 
  よき事を 興は法の 種なれハ
 
   後の色安き 身とも成なん
 
 
 波啼寺へ二十五丁、大井手川下を渡る、
 
 仁万と云町有
 
  
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七番 宅野村
 
 聖観音     濤来山波啼寺
 
  わすれすは すくひましませ 御仏の
 
    うきよのやみに なきわたる身を
 
 
 金剛山へ二里八丁、此間に赤井、大浦
 
 湊なと云在所あり
 
 
八番 静間村
 
 聖観音     金剛山安楽寺
 
  金剛の 山鳥の尾の なかき世を
 
   いのかや老の あし引の坂
 
 
 神宮寺四十丁、川二瀬、延里、
 
 行恒を通る
 
  
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九番 川合村
 
 聖観音     八百山神宮寺
 
  むらさきの 雲こそかゝれ 八百山の
 
   光やはらく あけほのゝ空
 
 
 建興寺へ十八丁
 
 
十番 吉永村
 
 聖観音     天王山建興寺
 
  仰ミれハ 天おそろしき 深山かな
 
   心すつへき 木かくれもなし
 
 
 圓光寺へ壱里十丁、此間に大田村町有、新市ゟ
 
 二丁程北へより、霊仏の薬師堂あり、又北
 
 南に八幡の宮あり、南の宮に六十六部
 
 を納る経堂有
 
  
=== 15枚目(全24枚の内) ===
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十一番 刺賀村
 
 十一面観音   妙高山圓光寺
 
  ミる人の 迷ひの雲や 晴ぬらん
 
     圓にひかる 法の月か
 
 
  長福寺へ壱里八丁、西川と云所を通る、
 
 此所に夢想ありて近来に石仏之
 
 観音掘出す霊現あり、又久手浦
 
 に観音寺あり、鰐走、柳瀬の浦を通る
 
 
十二番 波根村
 
 聖観音     寿智山長福寺
 
  寿を 知る山寺の はなの香ハ
 
  都に増さる とこなつの春
 
 
 松林寺へ壱里五丁、此間に上河内谷十丁計坂
 
  
=== 16枚目(全24枚の内) ===
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=== 16枚目(全27枚の内) ===
  
 
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十三番 山中村
 
 聖観音     高徳山松林寺
 
  鳥のこゑ ミねのあらしの おしなへて
 
   松の林の 御のりとそきく
 
 
 圓城寺へ弐里、苦谷と云十丁計の谷有、
 
 深山難所也、日七ツ過ハ山中村に留吉、河二瀬
 
 
十四番 坂もと
 
 千手観音    霊椿山圓城寺
 
  玉椿 八千代をこめて さく寺は
 
   後のほとけの ミよや待らん
 
 
 臥龍院へ壱里、でんぶと云坂あり
 
 
十五番 池田村
 
 聖観音     劫雲山臥龍院
 
  臥龍も 御法の風に おとろきて
 
   立のほるかと ミねのしら雲
 
  
=== 17枚目(全24枚の内) ===
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=== 17枚目(全27枚の内) ===
  
 
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  大乗寺へ壱里三十丁、此間三瓶山あり、
 
 此山雲石両国に播根たる大山にて、
 
 表石州に向ゆへ此国の山と云、古哥
 
 共あり、ふもとに浮布の池云霊池
 
 あり、中に厳嶋の社有、原中にさた
 
 めの松と云名木あり
 
 
十六番 志学村
 
 聖観音     妙光山大乗寺
 
  只たのめ 幾代迷し 身なりとも
 
   妙なる光 てらささらめや
 
 
 妙用寺へ弐里、川三瀬、長原村を通る
 
 
十七番 浜原村
 
 聖観音     甘露山妙用寺
 
  甘露水 滴りおつる 山ミれハ
 
   仏の□□し のりのしたゝり
 
  
=== 18枚目(全24枚の内) ===
+
    
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=== 18枚目(全27枚の内) ===
  
 
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[[ファイル:engi_18.JPG|600px]]
圓光寺へ弐十丁、川一瀬、小原町有
 
 
十八番 糟渕村
 
 準胝観音    松風山圓光寺
 
  現より うつゝにやとる 世の中の
 
   現の夢を さますまつかせ
 
 
 安楽寺へ三里、尻なし川二瀬、やなしお
 
 坂十八丁有、坂のふもとより左へは志
 
 君道へ通る、道少近し、しかれ共難所
 
 川多し、やなしお坂より小松地村へ
 
 通りて道よし、こうやと云在所有
 
 
十九番 内田村
 
 如意輪観音   善養山安楽寺
 
  生れて すくに迷の 世なりけり
 
   やすく楽 後の世をいき
 
  
=== 19枚目(全24枚の内) ===
+
=== 19枚目(全27枚の内) ===
  
 
[[ファイル:engi_19.JPG|600px]]
 
[[ファイル:engi_19.JPG|600px]]
圓福寺へ壱里、小川三瀬、米山と云在所
 
 あり、祖式町あり
 
 
廿番 祖式村
 
 聖観音     如意山円福寺
 
  如意山の 玉のひかりに みかゝれて
 
   こゝろのやみに 迷ふことなし
 
 
 仙宕寺へ弐里半、川二瀬、猪の目と云在所
 
 を通る、馬野原村移り材木峠より左
 
 へ直道あり、地蔵原へ通る
 
 
廿一番 川下村
 
 千手観音    臨流山仙岩寺
 
  仙人の 岩守る瀧の 路清く
 
   臨むなかれの 心涼しも
 
 
 甘南備寺へ一里十丁、川二瀬、三嶋、木谷、
 
 小原、松か崎、うす巻と云在所あり、但便
 
 船あれハ舟にても下る
 
  
=== 20枚目(全24枚の内) ===
+
    
 +
=== 20枚目(全27枚の内) ===
  
 
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[[ファイル:engi_20.JPG|600px]]
廿二番 川下村坂もと
 
 聖観音     寶生山甘南備寺
 
  喚子鳥 人にさけふや 甘南備の
 
   山はたうきよの すミよかりきと
 
 
 長江寺へ弐里十丁、此間に十丁計の坂有、
 
 かり坂と云、次三原町有、北佐木村有
 
 
廿三番 ゆのたに
 
 聖観音     極楽山長江寺
 
  極楽の 山は去事 遠からす
 
   心のミたに ゆひしんの里
 
 
 大光院へ一里二十五丁、此間に川一瀬有、
 
 大家と云町有
 
 
廿四番 新屋村
 
 聖観音     真瀧山大光院
 
  大なる 光麾す 法の庭に
 
   のそむこゝろの 雲はなく空
 
  
=== 21枚目(全24枚の内) ===
+
=== 21枚目(全27枚の内) ===
  
 
[[ファイル:Engi 21.JPG|600px]]
 
[[ファイル:Engi 21.JPG|600px]]
鷲峯寺へ壱里五町、四日市町へ出、毛次原
+
 
 より右へ行、七ツ原と云所に坂有
+
      
+
 
廿五番 荻村
+
=== 22枚目(全27枚の内) ===
 千手観音    三学山鷲峯寺
+
 
  三学の 山まどしろく あけにけり
+
[[ファイル:Engi 22.JPG|600px]]
   恵日のいつる わしのみね哉
+
 
+
=== 23枚目(全27枚の内) ===
  金剛院へ壱里、上村横通り、小浜宮前出、
+
 
    橋のかいを通る
+
[[ファイル:Engi 23.JPG|600px]]
+
 
廿六番 温泉津
 
 千手観音    見寶山金剛院
 
  うつしミる 宝の山の 花さかり
 
   やすくたのしむ 国のけしきを
 
 
 楞厳寺へ三十丁、小浜堀越を通ル、下村へ出
 
 
廿七番 福光村本領
 
 聖観音     金剛山楞厳寺
 
 
      
 
      
  
=== 22枚目(全24枚の内) ===
+
=== 24枚目(全27枚の内) ===
  
[[ファイル:Engi 25.JPG|600px]]
+
[[ファイル:engi_24.JPG|600px]]
楞厳の 御法の月の あかけれハ
 
   くらき闇路ハ 名のミなりけり
 
 
   
 
   
 岩瀧寺へ壱里十丁、此間に一ノ峠と云
+
=== 25枚目(全27枚の内) ===
 坂有、北村入口に道わかれ有、右へ行北村、東は
+
 
 在所へ出ル、川三瀬
+
[[ファイル:engi_25.JPG|600px]]
 
 
廿八番 はつミ
 
 聖観音     熊野山岩瀧寺
 
  熊野山 たつ誠より うつしけん
 
   清きなかれの 瀧つしら波
 
 
 福城寺へ十七丁、川一瀬
 
 
廿九番 同所
 
 聖観音     万徳寺福城寺
 
  万徳の 光やハらく 山なれハ
 
   こゝろの雪も とけさらめやハ
 
  
=== 23枚目(全24枚の内) ===
+
    
 +
=== 26枚目(全27枚の内) ===
  
[[ファイル:Engi 26.JPG|600px]]
+
[[ファイル:engi_26.JPG|600px]]
慈恩寺へ二十丁、川二瀬
 
 
丗番 都治村
 
 聖観音     南陽山慈恩寺
 
  ふたらくの 南の岸に 藤咲て
 
   それとしらする むらさきの雲
 
 
 清泰寺へ壱里、川一瀬、上河戸、下河戸といふ
 
 村あり
 
 
丗一番 市村
 
 聖観音     万安山清泰寺
 
  さとりなハ よろつやすかる 身とならん
 
   名こそうきよの 山ふかくとも
 
 
 瑠璃寺へ弐里、川二瀬、長良村此所に
 
 安楽寺と云観音の寺有、大口と云在所有
 
 
三十二番 住郷村
 
 十一面観音   日笠山瑠璃寺
 
  
=== 24枚目(全24枚の内) ===
+
=== 27枚目(全27枚の内) ===
  
 
[[ファイル:engi_27.JPG|600px]]
 
[[ファイル:engi_27.JPG|600px]]
  雨雲の はれてしつけき 日笠山
+
 
   来てみよ法の 明らけき道
+
      
+
   
 高野寺へ弐里十丁、此間に川多し、
+
== 書き下し文 ==
 谷村入野と云所に十丁計の坂あり、
+
 
 田くほ村、ふく田村、殿村を通る
+
 
 +
 
 
   
 
   
三拾三番 井尻村
+
== 現代語訳 ==
 聖観音     鏡向山高野寺
 
  高の寺や むつの太鼓も うち納
 
   ふたらくせんに やとる巡礼
 
 
  道法合四拾弐里弐丁
 
 
所付道法にはかさねて改可相極、当分
 
 巡礼衆導のため大躰如斯
 
 
于時元禄六龍輯癸酉三月  
 
   
 
  
==  参考資料 ==
 
「観聴随筆」
 
元禄六発酉年
 
一、三月ニ長福寺観音堂并本尊再興有ル。此堂ハ妙泉庵ト云テ、昔ハ当寺ト上河内ノアイノ山際ニ有シナリ。
 
其堂ハ寛永ノ比ニ錦織藤左衛門建立ノ堂ナリト云ナリ。当寺六代談誉上人、慶安年中ニ当寺境内ヘ引玉ウ。
 
第九代専誉上人ハ寛文年中ニ堂ヲ立、本尊御身金色ニ再興し玉ウナリ、夵ルニ、去年当御料中ニ観音三十三所ノ巡礼所ヲ可定トテ須摩都ト云座頭ト相談ニナゾリケル。
 
故ニ此堂モ巡礼所ニ加ル故ニ改建スルナリ。
 
堂建立ノ施主九人、坪倉豊前、高野八郎右衛門、同七左衛門、同理兵衛、同新右衛門、三谷加兵衛、同利右衛門、加藤六左衛門、同三右衛門。本尊再興ノ施主ハ村中道俗男女一銭半銭ノ助成ニテ成就ス。
 
仏工木村九郎兵衛。
 
一、天河内善興寺、静間金剛山、大森快算院、野井浄土寺隠居、此四人先達ニテ道俗男女十余人始テ巡礼在ル。
 
三月廿五日ニ長福寺ニ来リ、十二番ノ札所と定ラル。
 
  
 
== 脚註 ==
 
== 脚註 ==

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