「浜原村西田屋芋」の版間の差分

提供:桜江古文書を現代に活かす会
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目録番号:ち55
目録番号:ま1-2
 
  
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
 
  
 
担当:古文書に親しむ会 in 桜江
 
担当:古文書に親しむ会 in 桜江
 
担当:古文書に親しむ会 in 松江
 
  
  
 
== 文書画像と釈文 ==
 
== 文書画像と釈文 ==
  
=== 1枚目(全2枚の内) ===
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=== 1枚目(全3枚の内) ===
 
 
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     借用申銀子事
 
  丁銀弐拾五貫目也  但 申三月元日十二月切利ノ分壱割半ニシテ
 
右者二之丸御蔵入米我等共江被 仰付候處
 
才覚不相成貴殿へ御頼申入候得者前書之銀御貸
 
被下、慥借用仕、米上納仕候所、実正也、然上者三月より
 
十二月迄壱割半之加利にて元利無不足返済可仕候
 
万一本人不埒仕候ハバ請人より日限ニ急度埒明可申候
 
返弁方之儀被入御念候ニ付、此月当神門郡ニ而弐拾
 
四ケ村より別紙證文相渡候通少無相違返弁可仕候
 
ケ様相定候上者仮令如何様之不慮新規
 
御国法出来候共、毛頭相違申間敷候条後日
 
請人并御役所御奥書取之相渡申所
 
            仍如件
 
             雲州神門郡大津借主
 
                  山田 又左衛門  印
 
  宝暦十四申十一月   同所  同断
 
                  森廣 幾太    印 
 
             同郡  知井宮
 
                  山本 仁兵衛   印
 
             同郡  杵築請人
 
                  藤間 久左衛門  印
 
             松江請人
 
                  森脇 甚右衛門  印
 
 
 
=== 2枚目(全2枚の内) ===
 
 
 
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      石州銀山御領
 
          西田屋喜六 殿
 
          角屋庄十郎 殿
 
前書之通承届御返弁之儀相違無之様
 
急度可申付候御奥書如件
 
             雲州勝手方役
 
                 和田 理八
 
                 岡本 彦助
 
                 田中 幸平
 
                 後藤 久兵衛
 
                 荒井 助市
 
             同奉行
 
                磯崎 丈太夫
 
                湯川 冶兵衛
 
                山本 覚兵衛
 
            西田屋 喜六 殿
 
            角屋  庄十郎殿
 
  
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浜原村幾六河本ゟ
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積下シ候扱苧大貫村
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ニ而荷作り致此度
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積下シ候ニ付又々坂本
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口ニ而役銀上納致候
 +
様御申付之由左候而者
 +
二重役ニ相成依之
 +
積下シ候儀指支候段
 +
幾六ゟ願出候ニ吟
 +
味致候処御役銀之
 +
儀者追而御吟味之
 +
上御指図次第可仕
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間扱苧積下シ候様
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=== 2枚目(全3枚の内) ===
  
== 書き下し文 ==
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[[ファイル:063-156-02.JPG|600px]]
 
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被成下度願出候間
  借用申す銀子のこと
+
右扱苧三拾四駄口之分
 +
之分駄数等御改
 +
置此書付ヲ以口々
 +
無滞御通シ可有之
 +
候已上 
 +
   巳九月九日
 +
鹿野徳十郎
 +
池亀徳之進
 +
山本六郎次
 
   
 
   
 丁銀二拾五貫目なり   但し申三月元日十二月切
+
=== 3枚目(全3枚の内) ===
               利ノ分一割半ニシテ
 
 
右は二の丸お蔵入り米我ら共へ、仰せつけられ候ところ
 
才覚相ならず。貴殿へ御頼み申し入れ候へば、前書の銀御貸し
 
下され、たしかに借用つかまつり、米上納仕り候所、実正なり、しかる上は三月より
 
十二月まで一割半の加利にて元利不足なく返済仕るべく候
 
万一本人不埒仕り候はば、請け人より日限にきっとらち明け申すべく候
 
返弁方の儀ご念を入れられ候につき、この月当神門郡にて二十
 
四ヵ村より別紙証文相渡し候とおり少しも相違なく返弁仕るべく候
 
かようあい定め候上はたとえいかようの不慮新規
 
御国法しゅったい候とも、もうとう相違申すまじく候条後日
 
請け人ならびにお役所御奥書きこれを取り相渡し申すところ
 
よって件のごとし
 
 
前書きのとおり承り届けお返弁の儀 相違これ無きよう
 
きっと申しつくべく候御奥書き件のごとし
 
 
 
 
== 現代語訳 ==
 
 
 
松江城ニの丸のお蔵入り米を私どもに仰せつけられたけれども
 
算段がつきませんので、あなた様へ御頼みいたしましたところ、前書きの銀子をお貸し
 
くださることにことになり、たしかに受け取りました。
 
お借りしたうえは、3月から12月まで1割半の利息で元利ともに不足なく返済いたします。
 
万一私ども借主がお返しできなかった時には、請け人が日限迄にきっとお返し致します。
 
間違えなくお返しいたします。返済について御念を入れられたので、宝暦14年11月、神門郡にて
 
24ヵ村より別紙証文をお渡しした通り、少しも相違無くお返し致します。
 
このように決めたうえは、いかなる別の新しい法律ができたとしても、間違えなくお返し致します。以上の通り、後日、
 
請け人及びお役所の奥書きを取りお渡ししました。
 
宝暦14年申4月(明和元年・1764年)<ref>脚註のダミーです。</ref>
 
 
 
ニの丸お蔵入り米を才覚できず、丁銀25貫目の借用申し込みをする。
 
これによって米を上納した
 
3月~12月まで一割半の利で返済を約束する
 
 
 
■借主 雲州神門郡大津の山田又右衛門、森廣幾太
 
 
 
■保証人 雲州郡知伊宮の山本仁兵衛、杵築の藤間久左衛門、松江の森脇甚右衛門
 
 
 
■貸主 西田屋幾六、角屋庄十郎
 
 
 
■松江藩勝手方役人、奉行が連著保証の奥書きをしている
 
 
 
    勝手方役人 和田理八、岡本彦助、田中幸平、後藤九兵衛、荒井助市
 
 
 
    勝手方奉行 磯崎丈太夫、湯川治兵衛、山本覚兵衛
 
  
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吉岡要四郎
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宗岡新市郎
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坂本口
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住郷口
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川登口
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江津口
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右口留中
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追而此書付江津ゟ
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重便返し可有之候
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已上
  
 
== 脚註 ==
 
== 脚註 ==
  
 
<references />
 
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本史料は他の史料との関連で、宝暦一一年(一七六一)と推定される。
  
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「苧(からむし)」・・・今でこそしつこい雑草として嫌われる場合もあるが、茎の皮から採れる靭皮繊維は麻などと同じく非常に丈夫である。績(う)んで取り出した繊維を、紡いで糸とするほかに、糾綯(あざな)って紐や縄にし、また荒く組んで網や漁網に用い、経(たていと)と緯(よこいと)を機(お)って布にすれば衣類や紙としても幅広く利用できる。分布域では自生種のほかに、六千年前からヒトの手により栽培されてきた。(ウィキペディア)
  
 
== コメント ==
 
== コメント ==

2021年1月3日 (日) 05:50時点における最新版

目録番号:ち55


担当:古文書に親しむ会 in 桜江


文書画像と釈文[編集]

1枚目(全3枚の内)[編集]

063-156-01.JPG

浜原村幾六河本ゟ
積下シ候扱苧大貫村
ニ而荷作り致此度
積下シ候ニ付又々坂本
口ニ而役銀上納致候
様御申付之由左候而者
二重役ニ相成依之
積下シ候儀指支候段
幾六ゟ願出候ニ吟
味致候処御役銀之
儀者追而御吟味之
上御指図次第可仕
間扱苧積下シ候様

2枚目(全3枚の内)[編集]

063-156-02.JPG

被成下度願出候間
右扱苧三拾四駄口之分
之分駄数等御改
置此書付ヲ以口々
無滞御通シ可有之
候已上 
 巳九月九日
	鹿野徳十郎
	池亀徳之進
	山本六郎次

3枚目(全3枚の内)[編集]

063-156-03.JPG

吉岡要四郎
宗岡新市郎
坂本口
住郷口
川登口
江津口
右口留中
追而此書付江津ゟ
重便返し可有之候
		已上

脚註[編集]

本史料は他の史料との関連で、宝暦一一年(一七六一)と推定される。

「苧(からむし)」・・・今でこそしつこい雑草として嫌われる場合もあるが、茎の皮から採れる靭皮繊維は麻などと同じく非常に丈夫である。績(う)んで取り出した繊維を、紡いで糸とするほかに、糾綯(あざな)って紐や縄にし、また荒く組んで網や漁網に用い、経(たていと)と緯(よこいと)を機(お)って布にすれば衣類や紙としても幅広く利用できる。分布域では自生種のほかに、六千年前からヒトの手により栽培されてきた。(ウィキペディア)

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