「川本村と因原村の訴訟」を編集中

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== 現代語訳 ==
 
== 現代語訳 ==
恐れながら返答書を以て申し上げます覚え書き
+
 
         本多中務大輔領分
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          石州邑智郡因原村
 
              五郎右衛門
 
              与兵衛
 
              嘉兵衛
 
              武右衛門
 
              文三郎
 
              重兵衛
 
              小兵衛
 
          同国同郡井原村
 
              重右衛門
 
       川崎平右衛門様御代官所
 
          同国同郡川本村
 
           相手 重郎兵衛
 
              𠮷右衛門
 
              善四郎
 
 
石州邑智郡因原村の者どもが、恐れながら申し上げます。御料(幕領)である川本村の者どもが、
 
去る申の閏十二月二十三日に、私どもが古来より管理してきました因原村地内の挽谷山へ大勢でやってきて、
 
炭竈を数ヶ所、それから小屋までも焼き払い乱暴狼藉を働いたので、
 
早速使いを出して(因原村に)知らせ、浜田藩領の役人へも急ぎ報告しました。
 
そうしたところ、同月二十九日に、大森御役所から御添状を貰った川本村の者どもが浜田藩へ出訴しましたので、
 
私どもは浜田の役所から呼び出され、あれこれと吟味が行われました。
 
私どもは浜田藩に添状を願い出て、返答書を持って大森御役所へ御吟味を願いましたところ、
 
幕府領と私領間の訴訟は御役所にて御吟味できないという理由で訴えを御取り上げないとされ、一旦帰りました。
 
その後、双方から仲裁人を出して調停をはかり、仲裁人から示談による和解が提案されましたが、
 
互いに折り合いがつかなかったので、川本村より(江戸の勘定奉行へ)御訴訟申し上げ、召喚状を頂戴しました。
 
その際、双方が立会い争っている山の絵図を作ること仰せ付けられたので、その意をうけ、絵図を作り指し上げました。
 
なにとぞ御慈悲御をもって吟味下されますよう、恐れながら願い上げ奉ります、詳細は左に申し上げ奉ります。
 
  
 
  一、右の山境は、江の川の岸端にある、みそ谷下の木屋の先の
 
  一、右の山境は、江の川の岸端にある、みそ谷下の木屋の先の

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