「大貫村村明細帳」の版間の差分

提供:桜江古文書を現代に活かす会
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  石や砂が入り田畑として使えない。この前の辰の年に、川で欠けた土地を耕し返して
 
  石や砂が入り田畑として使えない。この前の辰の年に、川で欠けた土地を耕し返して
 
  使い起こそうとしているが、荒地なので年貢の付加の対象にはなっていない。
 
  使い起こそうとしているが、荒地なので年貢の付加の対象にはなっていない。
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村内の郷川の川上には川下村があり、川下には谷住郷村がある。
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大貫村の川は、幅がおよそ百間(180m)ほどあり、川に沿った道が
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一里(約4㎞)くらいある。
  
 
== 脚註 ==
 
== 脚註 ==

2015年6月4日 (木) 02:24時点における版

目録番号:て15

担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ


文書画像と釈文・書下し文

1枚目(全14枚の内)

て15001.jpg

文政十三年 寅 七月
村差出明細書上帳 扣
     石州邑智郡 大貫村
    

2枚目(全14枚の内)

て15002.jpg

古田新田御検地請候年号不相知御検地帳無御座
当時名寄帳を以御年貢上仕来りニ御座候
私領寺社領入会無御座候   石州邑智郡
 一 村高弐百弐拾四石五斗弐合
 此反別五拾三町九反三畝弐拾弐歩
    此訳
古田新田御検地請けそうろう。年号あい知らず、御検地帳御座無く
当時名寄帳を以て御年貢上仕来りに御座そうろう。
私領寺社領入会無く御座そうろう。  石州邑智郡
 一 村高弐百弐拾四石五斗弐合
 この反別五拾三町九反三畝弐拾弐歩
    此訳

3枚目(全14枚の内)

て15003.jpg

田高四石八斗八升壱合
 此反別七反八畝弐拾七歩
畑高百四拾八石弐合
  此反別二拾六町三反五畝弐歩
   内                    前々川欠山崩
高拾七石九斗三升八合          石砂入押掘レ
                         去ル辰川欠可起  
 此反別弐町六反五畝廿三歩      返引高荒地引 
 
 残高百三拾石六升四合
  此反別弐拾三町六反九畝九歩
 畑高三拾九石六斗三升壱合        新畑
  此反別拾八町八反弐歩
                   中嶋分
 畑高弐拾四石壱斗六升八合        亥高入新畑
  此反別六町四畝六歩      
                   右同断
 畑高四斗四升              申高入新畑
 此反別壱反壱畝歩 
 田高四石八斗八升一合
  この反別七反八畝二十七歩
 畑高百四十八石二合
  この反別二十六町三反五畝二歩
    内                    前々川欠山崩
高十七石九斗三升八合          石砂入押掘れ
                         去る辰、川欠起こし  
 この反別二町六反五畝二十三歩    返すべき引高荒地引

残高百三十石六升四合
 この反別二十三町六反九畝九歩
畑高三十九石六斗三升一合        新畑
 この反別十八町八反二歩
                              中嶋分
畑高二十四石一斗六升八合        亥高入新畑
 この反別六町四畝六歩      
                              右同断
畑高四斗四升              申高入新畑
 この反別一反一畝歩       

4枚目(全14枚の内)

て15004.jpg

                             右同断
畑高壱石五斗六升壱合          戌高入新畑
   此反別三反九畝壱歩      
                  右同断
畑高五石八斗壱升九合          亥高入新畑
   此反別壱町四反五畝拾四歩
〆

5枚目(全14枚の内)

て15005.jpg

    

6枚目(全14枚の内)

て15006.jpg

一判銀弐拾五匁六分     鍛次屋運上

一判銀弐拾五匁六分     右同断

一判銀拾匁弐分四厘     紙漉運上

一判銀五匁壱分弐り     鉄炮運上 

一判銀四拾目        大工木挽水役

一御林山弐ヶ所
  此反別弐百七拾九町九反壱畝廿歩
    此訳
 字後畑山
  反別百九拾五町九反壱畝廿歩
 字杭ノ内山
  反別八拾四町歩
  〆
一判銀弐拾五匁六分     鍛次屋運上 

一判銀弐拾五匁六分     右同断

一判銀拾匁弐分四厘     紙漉き運上

一判銀五匁壱分弐り     鉄炮運上

一判銀四拾目        大工木挽き水役

一御林山弐ヶ所
  この反別弐百七拾九町九反壱畝廿歩
    この訳
 字後畑山
  反別百九拾五町九反壱畝廿歩
 字杭ノ内山
  反別八拾四町歩
  〆

7枚目(全14枚の内)

て15.jpg

一入会秣場山反別弐拾壱町壱反壱畝拾六歩
  此御山役判銀弐拾四匁三分  但五ヶ所

一百性持山反別九拾四町八反八畝拾九歩
  此御山役判銀百七匁壱分   但拾六ヶ所

一村内字郷川之儀川上ミ川下村川下も谷住郷村
 有之当村地内ニ而者幅凡百間程川路
  壱里余御座候
一入会秣場山反別弐拾壱町壱反壱畝拾六歩
 この御山役判銀弐拾四匁三分  但し五ヶ所

一百性持山反別九拾四町八反八畝拾九歩
 この御山役判銀百七匁壱分   但し拾六ヶ所

一村内字郷川の儀川上み川下村川下も谷住郷村
これ有り、当村地内にては幅凡そ百間程川路
壱里余り御座そうろう。
    

8枚目(全14枚の内)

て15008.jpg

9枚目(全14枚の内)

て15009.jpg

    

10枚目(全14枚の内)

て15002.jpg

11枚目(全14枚の内)

て15011.jpg

    

12枚目(全14枚の内)

て15012.jpg

13枚目(全14枚の内)

て15013.jpg

    

14枚目(全14枚の内)

て15014.jpg



現代語訳

文政十三年 寅 七月
村差出明細書上帳 控
     石州邑智郡 大貫村
古田、新田ともに最後にいつ検地を受けたのかわかりません。検地帳も残っておらず、
当時の名寄帳を用いて年貢が付加され、年貢を納めるというしきたりになっておりました。
この時点では幕府領で、私領や寺社領の土地はございませんでした。
                        石州邑智郡   
                            大貫村
 一 村高二百二十四石五斗弐合
 この反別五十三町九反三畝二十二歩
    内訳
前々から川で欠けたり山崩れで
石や砂が入り田畑として使えない。この前の辰の年に、川で欠けた土地を耕し返して
使い起こそうとしているが、荒地なので年貢の付加の対象にはなっていない。
村内の郷川の川上には川下村があり、川下には谷住郷村がある。
大貫村の川は、幅がおよそ百間(180m)ほどあり、川に沿った道が
一里(約4㎞)くらいある。

脚註


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