「大元神楽銀之事」の版間の差分

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目録番号:ま1-2
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目録番号:な22
  
 
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
 
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
  
担当:古文書に親しむ会 in 桜江
 
  
担当:古文書に親しむ会 in 松江
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== 文書画像と釈文と書き下し文 ==
 
 
 
 
== 文書画像と釈文 ==
 
  
 
=== 1枚目(全2枚の内) ===
 
=== 1枚目(全2枚の内) ===
  
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奉寄附当所大元神楽銀之事
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 合百目定    但し丁銀也
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右者大貫村大元神楽七年季ニ地
 +
下氏子中人別取立を以執行仕候就夫
 +
悪年之時分者年季相延候拙者此儀
 +
をなげき右之銀致神納則此銀当村
 +
括銀ニ庄屋所江預ヶ置七年之利分を以神
 +
楽入目銀被成御執行為成就致神納候
  
       借用申銀子事
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   寄附奉る当所大元神楽銀の事
    丁銀弐拾五貫目也  但 申三月元日十二月切利ノ分壱割半ニシテ
+
   合せて百目に定む 但し丁銀なり
  右者二之丸御蔵入米我等共江被 仰付候處
+
   
  才覚不相成貴殿へ御頼申入候得者前書之銀御貸
+
  右は、大貫村大元神楽七年季に地
  被下、慥借用仕、米上納仕候所、実正也、然上者三月より
+
  下氏子中人別取り立てを以て執行仕り候。夫れに就き、
  十二月迄壱割半之加利にて元利無不足返済可仕候
+
  悪年の時分は年季あい延び候。拙者此の儀
  万一本人不埒仕候ハバ請人より日限ニ急度埒明可申候
+
  をなげき、右の銀神納致し、則ち此の銀当村
  返弁方之儀被入御念候ニ付、此月当神門郡ニ而弐拾
+
  括り銀ニ庄屋所へ預け置き、七年の利分を以て、神
  四ケ村より別紙證文相渡候通少無相違返弁可仕候
+
  楽入目銀御執行成され成就の為、神納致し候。    
ケ様相定候上者仮令如何様之不慮新規
 
御国法出来候共、毛頭相違申間敷候条後日
 
請人并御役所御奥書取之相渡申所
 
            仍如件
 
             雲州神門郡大津借主
 
                  山田 又左衛門  印
 
  宝暦十四申十一月   同所  同断
 
                  森廣 幾太    印 
 
             同郡  知井宮
 
                  山本 仁兵衛   印
 
             同郡  杵築請人
 
                  藤間 久左衛門  印
 
             松江請人
 
                  森脇 甚右衛門  印
 
  
 
=== 2枚目(全2枚の内) ===
 
=== 2枚目(全2枚の内) ===
  
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+
  之無候後々之神主氏子中より不
      石州銀山御領
+
  届之族於有之者中村一家并信心之
          西田屋喜六 殿
+
  氏子急度吟味仕筈ニ御座候為後日
          角屋庄十郎 殿
+
  寄附状仕奉神納所仍如件
前書之通承届御返弁之儀相違無之様
 
急度可申付候御奥書如件
 
             雲州勝手方役
 
                 和田 理八
 
                 岡本 彦助
 
                 田中 幸平
 
                 後藤 久兵衛
 
                 荒井 助市
 
             同奉行
 
                磯崎 丈太夫
 
                湯川 冶兵衛
 
                山本 覚兵衛
 
            西田屋 喜六 殿
 
            角屋  庄十郎殿
 
 
 
 
 
== 書き下し文 ==
 
 
 
借用申す銀子のこと
 
 
 丁銀二拾五貫目なり   但し申三月元日十二月切
 
               利ノ分一割半ニシテ
 
 
右は二の丸お蔵入り米我ら共へ、仰せつけられ候ところ
 
才覚相ならず。貴殿へ御頼み申し入れ候へば、前書の銀御貸し
 
下され、たしかに借用つかまつり、米上納仕り候所、実正なり、しかる上は三月より
 
十二月まで一割半の加利にて元利不足なく返済仕るべく候
 
万一本人不埒仕り候はば、請け人より日限にきっとらち明け申すべく候
 
返弁方の儀ご念を入れられ候につき、この月当神門郡にて二十
 
四ヵ村より別紙証文相渡し候とおり少しも相違なく返弁仕るべく候
 
  かようあい定め候上はたとえいかようの不慮新規
 
  御国法しゅったい候とも、もうとう相違申すまじく候条後日
 
  請け人ならびにお役所御奥書きこれを取り相渡し申すところ
 
  よって件のごとし
 
 
   
 
   
  前書きのとおり承り届けお返弁の儀 相違これ無きよう
+
  元禄十三年     施主
  きっと申しつくべく候御奥書き件のごとし
+
             中村金九郎
 +
 庚辰十二月    同惣領
 +
           同 久五郎
 +
 
 +
   神主
 +
     湯浅美濃殿
 +
   庄屋
 +
     坂根源兵衛殿
 +
   宮代屋
 +
       伊兵衛
 +
     地下氏子中
 +
 
 +
これ無くそうろう。後々の神主氏子中より
 +
不届の族これ有るに於いては、中村一家并せて信心の
 +
氏子急度吟味仕る筈に御座そうろう。後日の為に
 +
寄附状仕り神納奉る所、仍りて件の如し。
  
 +
== 現代語訳 ==
 +
大貫村大元神楽維持のために寄附した銀の事である。
 +
合わせて百匁、但し丁銀である。
 
   
 
   
== 現代語訳 ==
+
右は大貫村で七年ごとに行っている大元神楽を行うに向けて、地元の氏子や村の人々から
 
+
お金を取り立てて執り行っています。
松江城ニの丸のお蔵入り米を私どもに仰せつけられたけれども
+
これについて、悪年の年は延期とする事もございます。
算段がつきませんので、あなた様へ御頼みいたしましたところ、前書きの銀子をお貸し
+
私はこの事情を嘆き、百匁の銀を神に納めることに致しました。
くださることにことになり、たしかに受け取りました。
+
これを村の括り銀として庄屋の所へ預けておくこととします。
お借りしたうえは、3月から12月まで1割半の利息で元利ともに不足なく返済いたします。
+
そしてその銀を運用した利息を入目銀として、神楽を執り行うことを実現させるため、
万一私ども借主がお返しできなかった時には、請け人が日限迄にきっとお返し致します。
+
神に納めるのです。
間違えなくお返しいたします。返済について御念を入れられたので、宝暦14年11月、神門郡にて
 
24ヵ村より別紙証文をお渡しした通り、少しも相違無くお返し致します。
 
このように決めたうえは、いかなる別の新しい法律ができたとしても、間違えなくお返し致します。以上の通り、後日、
 
請け人及びお役所の奥書きを取りお渡ししました。
 
宝暦14年申4月(明和元年・1764年)<ref>脚註のダミーです。</ref>
 
 
 
ニの丸お蔵入り米を才覚できず、丁銀25貫目の借用申し込みをする。
 
これによって米を上納した
 
3月~12月まで一割半の利で返済を約束する
 
 
 
■借主 雲州神門郡大津の山田又右衛門、森廣幾太
 
 
 
■保証人 雲州郡知伊宮の山本仁兵衛、杵築の藤間久左衛門、松江の森脇甚右衛門
 
 
 
■貸主 西田屋幾六、角屋庄十郎
 
 
 
■松江藩勝手方役人、奉行が連著保証の奥書きをしている
 
 
 
    勝手方役人 和田理八、岡本彦助、田中幸平、後藤九兵衛、荒井助市
 
 
 
    勝手方奉行 磯崎丈太夫、湯川治兵衛、山本覚兵衛
 
  
 +
ございません。後々神主氏子中から不届きの族が出れば、中村一家と信心の氏子が必ず吟味する筈でございます。
 +
後日の為に寄付状を神納申し上げるところ、以上のようなことでございます。
  
 
== 脚註 ==
 
== 脚註 ==

2016年8月22日 (月) 00:39時点における最新版

目録番号:な22

担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ


文書画像と釈文と書き下し文[編集]

1枚目(全2枚の内)[編集]

な22-1.JPG

奉寄附当所大元神楽銀之事
 合百目定    但し丁銀也
 
右者大貫村大元神楽七年季ニ地
下氏子中人別取立を以執行仕候就夫
悪年之時分者年季相延候拙者此儀
をなげき右之銀致神納則此銀当村
括銀ニ庄屋所江預ヶ置七年之利分を以神
楽入目銀被成御執行為成就致神納候
 寄附奉る当所大元神楽銀の事
 合せて百目に定む 但し丁銀なり

右は、大貫村大元神楽七年季に地
下氏子中人別取り立てを以て執行仕り候。夫れに就き、
悪年の時分は年季あい延び候。拙者此の儀
をなげき、右の銀神納致し、則ち此の銀当村
括り銀ニ庄屋所へ預け置き、七年の利分を以て、神
楽入目銀御執行成され成就の為、神納致し候。    

2枚目(全2枚の内)[編集]

な22-2.JPG

之無候後々之神主氏子中より不
届之族於有之者中村一家并信心之
氏子急度吟味仕筈ニ御座候為後日
寄附状仕奉神納所仍如件

元禄十三年     施主
           中村金九郎
 庚辰十二月    同惣領
           同 久五郎
 
   神主
     湯浅美濃殿
   庄屋
     坂根源兵衛殿
   宮代屋
       伊兵衛
     地下氏子中

 

これ無くそうろう。後々の神主氏子中より
不届の族これ有るに於いては、中村一家并せて信心の
氏子急度吟味仕る筈に御座そうろう。後日の為に
寄附状仕り神納奉る所、仍りて件の如し。

現代語訳[編集]

大貫村大元神楽維持のために寄附した銀の事である。
合わせて百匁、但し丁銀である。

右は大貫村で七年ごとに行っている大元神楽を行うに向けて、地元の氏子や村の人々から
お金を取り立てて執り行っています。
これについて、悪年の年は延期とする事もございます。
私はこの事情を嘆き、百匁の銀を神に納めることに致しました。
これを村の括り銀として庄屋の所へ預けておくこととします。
そしてその銀を運用した利息を入目銀として、神楽を執り行うことを実現させるため、
神に納めるのです。
ございません。後々神主氏子中から不届きの族が出れば、中村一家と信心の氏子が必ず吟味する筈でございます。
後日の為に寄付状を神納申し上げるところ、以上のようなことでございます。

脚註[編集]


コメント[編集]

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