「浜原村の売渡證文」の版間の差分
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畠と山の境は、川本常蔵殿からの買い証文の通りです。買い証文をお渡ししました。 | 畠と山の境は、川本常蔵殿からの買い証文の通りです。買い証文をお渡ししました。 | ||
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+ | もっとも、三年目巳年十一月二十日までに元銀四百目を用意できたら、畑山ともにお返しください。 | ||
+ | 万一、期限に少しでも遅れたら、畑山は取り戻しませんので、他に證文を作る必要はありません。 | ||
+ | この證文をもってご自分で畑山を所持するままにされようとも、売地にされようとも、ご自由に管理してください。 | ||
+ | 即ち、常蔵殿の買い證文にある年季明け十一月に、常蔵殿からの返金がなければ、畑山は戻さなくても良いです。 | ||
+ | その際には、この證文を捨て證文とされ土地をご自由に管理してください。 | ||
+ | 後日のために証人を立て添え證文をお渡し申し上げること、このごとくでございます。 | ||
== 脚註 == | == 脚註 == |
2016年11月30日 (水) 12:31時点における最新版
目録番号:不明
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
文書画像と釈文・書き下し文[編集]
1枚目(全6枚の内)[編集]
(端裏書)「久喜原養宗寺」 売渡シ申畑方林山之事 所ハ久喜原村おそをおくしたい取 (印) 一畑方三舛前 所ハ同断(印) 一林山壱ケ所 但シ境目 かみハ平十郎ゟ御買被成候 山境しもハ長庵ゟ此度 買被成候山境そらハ大そね 限りしたハ谷限此内 (印) 何而も無残り成 一山役銀壱分 但シ判銀也 〆 (印) 此代丁銀四百目定 右者要用銀子指支申ニ付貴殿へ断申候得者 私抱所書面之畑方林山売渡シ代丁銀四百目 慥ニ請取申候只今迄之御公納諸払等迄相済し御 公儀表内証共ニ少シ茂相障り無御座候故売渡シ 申候然上ハ当申年ゟ御公儀御年貢并ニ地下入用 等迄貴殿ゟ御勤被成御才判可被成候
(端裏書)「久喜原村養宗寺」 売り渡し申す畑方林山の事 所は久喜原村おそをおくしたい取 (印) 一畑方三舛前 所は同断 (印) 一林山壱ケ所 但し境目 かみは平十郎より御買いなされそうろう 山境、しもは長庵よりこのたびお 買いなされそうろう山境、そらは大そね 限り、したは谷限り、この内 (印) 何にても残りなきなり、(印) 一山役銀壱分 但し判銀なり 〆 (印) この代丁銀四百目に定む 右は要用銀子さしつかえ申すに付き、貴殿へ断り申しそうらえば、 私抱え所書面の畑方・林山売渡し、代丁銀四百目 たしかに請け取り申しそうろう、只今までの御公納諸払いなどまで相済まし御 公儀表、内証共に少しもあい障り御座なくそうろうゆえ、売り渡し 申しそうろう、然る上は当申年より御公儀御年貢并に地下入用 などまで、貴殿より御勤め成され御才判成さるべくそうろう、
2枚目(全6枚の内)[編集]
尤三年目戌ノ十 月廿五日限ニ本銀四百匁返済仕り候ハヽ右畑谷方林山共ニ 御返し可被下候請返し仕候共只今有毛上は者へ之分ハ 御切取可被成候若右日限ニ本銀相定不申候ハヽ流地ニ 相成候定別紙不及捨証文此証文ヲ以幾々 貴殿御抱所可被成候其時我等儀ハ不及申候子々 孫々指相より少し茂出入ケ間敷儀一切無御坐候 為後念村役人証人連判ヲ以畑林山売 証文相渡し申所仍而如件 宝暦拾四年 売り人久喜原村 甲申四月 養宗寺(印) 証人同村 重右衛門(印) 同 同 三右衛門(印) 同 同 儀助 (印) 同 同 久兵衛(印) 頭百姓 利重郎(印) 浜原村 同村庄屋 庄左衛門(印) 西田屋 幾六殿
尤も三年目戌の十月二十五日限りに、本銀四百匁返済仕り候わば、 右畑谷方林山共に御返し下さるべく候。請け返し仕り候共、只今 有る毛上壱はへの分は御切り取り成さるべく候。若し右日限に本銀 相定申さず候わば流地に相成り候、定て別紙捨て証文に及ばず、 此の証文を以て幾々貴殿御抱所に成さるべく候。其の時我等儀は申すに 及ばず子々孫々指相より少しも出入りがましき儀一切 御坐なく候。後念の為め村役人証人連判を以て畑林山売り証文相 渡し申す所、よって件の如し。
3枚目(全6枚の内)[編集]
当卯ゟ巳迄三年季売渡シ申畑方山林事 所ハ吾郷村之内湊組くり原畑ケ (印) 一畑方七斗九升七合 同所 一林山 (印) 御山役丁銀九分九厘 (印) 一座役丁銀八分六厘 〆 此境目しもハ幾六殿山境すみやが廻小曽根境 かみハ千蔵殿山境大道〆上へ〆なしの木境上へ した見通シそれゟ小曽根引上ケ上へニ而右幾六殿 山境之小曽根江けぬき合したハ川かきり此内有之 竹木諸浮徳何ニ而も無残り尤此内ニ前々ゟ往来 通路道除キ 代丁銀四百目定只今受取申候
当卯より巳迄三年季売り渡し申す畑方・山林の事 所は吾郷村の内湊組くり原畑 (印) 一畑方七斗九升七合 同所 一林山 (印) 御山役丁銀九分九厘 (印) 一座役丁銀八分六厘 〆 此の境目、しもは幾六殿山境すみやが廻小曽根境、 かみは千蔵殿山境、大道〆上へ〆、なしの木境上へ、 した見通し、それより小曽根引き上げ、上えにて右幾六殿 (印) 山境の小曽根へけぬき合、したは川かぎり、此の内、これ有 竹木諸浮徳何にても残りなく、尤も此の内に、前々より往来 通路道除き 代丁銀四百目定、只今受取り申しそうろう
4枚目(全6枚の内)[編集]
右者御公納指支候ニ付前書之畑方林山売渡し (印) 代丁銀四百目慥ニ請取申所実正明白ニ御坐候 然上者当夘ゟ御上納並ニ村入用等貴殿ゟ 御勤被成御心侭ニ御裁判可被成候尤三年目 巳十一月廿日切右本銀相立候ハ丶前書之畑方 (印)(印)(印)(印)(印)(印)(印) 林山御戻し可被下候万一切日限ニ少ニ而も遅滞 仕候ハゝ請返シ不仕条別紙不及証文此証文を以 幾久敷貴殿御抱所ニ被成候共又ハ売地ニ被成候共 御心侭ニ御指配可被成候其節ニ至一言難渋申者 無之候為後証之親類幷ニ村役人中加判を以売 証文相渡シ申所如件 天明三年癸卯五月 本人川本村渡利屋 常蔵(印) 同 父 重郎兵衛(印) 親類同村山本 八右衛門(印) 常蔵下代 権兵衛(印) 同 〃 友右衛門(印) 吾郷村湊組頭百姓 千蔵(印) 同村庄屋 安右衛門(印) 追而右山毛上之儀年季内 ニ而も御入用候ハヽ御勝手次第 御伐り取可被成約速也 湊迫田 宇右衛門殿
右は御公納指し支え候に付き、前書きの畑方・林山売渡し、 (印) 代丁銀四百目慥かに請け取り申す所実証明白に御坐候、 然る上は当夘より御上納並びに村入用等、貴殿より 御勤めなされ、御心の侭に御裁判くだされ候、もっとも三年目 巳の十一月廿日切り右本銀相立そうらはば前書きの畑方・ (印)(印)(印)(印)(印)(印)(印) 林山御戻しくださるべく候、万一切日限に少にても遅滞 仕り候わば請け返し仕らざる条、別紙証文に及ばず、此証文を以て、 幾久しく貴殿御抱え所に成され候共、又は売地に成され候共、 御心侭に御指配成さるべく候。其節に至り一言の難渋申す者 これ無く候。後証之為、親類幷びに村役人中加判を以て売 証文相渡し申す所件の如し。 天明三年癸卯五月 本人川本村渡利屋 常蔵(印) 同 父 重郎兵衛(印) 親類同村山本 八右衛門(印) 常蔵下代 権兵衛(印) 同 〃 友右衛門(印) 吾郷村湊組頭百姓 千蔵(印) 同村庄屋 安右衛門(印) 追って右山毛上の儀年季内 にても御入用候わば御勝手次第 御伐り取りなさるべき約束なり 湊迫田 宇右衛門殿
5枚目(全6枚の内)[編集]
相渡申証文之事 所ハ吾郷湊栗原畠ケ 一畑方七斗九升七合 同所 一山役銀九分九り 但丁銀也 畠山境目之儀者 川本常蔵殿ゟ買証文 之通則買証文相渡申候 同所 一座役銀八分六厘 同断 〆 此代丁銀四百目 尤三年目巳十一月廿日切ニ 本銀四百目相立候ハヽ畠方山共ニ御戻シ可被下候万一切日限ニ 少ニ而も遅滞仕候ハヽ請返シ不仕候条別紙不及捨證文此證文 を以幾々貴殿御抱所ニ被成候共売地ニ被成候共御心侭御才判可被成候 則常蔵殿ゟ買證文相添相渡申候年季明キ巳十一月 常蔵殿ゟ不沙汰ニ御座候得ハ請返シハ不仕候間此證文則 捨證文被成御才判可被成候為後日証人ヲ立添證文相渡シ 申所仍而如件 天明三年卯九月 本人吾郷湊 宇右衛門(印) 同弟 弥兵衛 (印) 証人同村親類 源助 (印) 浜原村西田や 幾六 殿
相渡し申す証文の事 所は吾郷湊栗原畠 一畑方七斗九升七合 同所 一山役銀九分九り 但丁銀なり 同所 一座役銀八分六厘 同断 畠山境目の儀は 川本常蔵殿より買証文 の通則ち買証文相渡し申し候 〆 此代丁銀四百目 もっとも三年目巳十一月廿日切に 本銀四百目相立てそうらわば畠方山共に御戻し下さるべく候、万一切日限に 少しにても遅滞仕りそうらわば、請返し仕らず候条、別紙捨證文に及ばず、この証文 をもって幾々貴殿御抱所になされ候とも、売地になされ候とも、御心侭御才判なされ候、 則ち常蔵殿より買證文相添え相渡し申し候年季明き巳十一月 常蔵殿より不沙汰に御座候えば、請返しは仕らず候間、この證文則ち 捨證文なされ、御才判なさるべく候。為日のため証人を立て添證文相渡し 申す所、よって件の如し。 天明三年卯九月 本人吾郷湊 宇右衛門(印) 同弟 弥兵衛 (印) 証人同村親類 源助 (印) 浜原村西田や 幾六 殿
6枚目(全6枚の内)[編集]
現代語訳[編集]
(端書書)久喜原養宗寺 売り渡し申します畑方・林山の事 所は久喜原村 一 畑方三舛前 所は右に同じ 一林山一カ所 但し境目は、かみは、平十郎からお買いになった山境。 しもは、長庵から今回お買いになった山境。 そらは、大そねまで。 したは谷まで。此の内、なにも残すものはなくにです。 一山役銀一分、ただし判銀で。 〆 この代は丁銀四百匁に定められました 右のとおり、私が必要なお金が足りていないことを、あなたにお知らせしたところ、 私が持っている、書面の畑と林山をあなたに売り渡すことになり、代銀として丁銀四百匁を確かに受 け取りました。 今までのご公納(年貢など)や諸払いは、きちんと済ませました。 ご領主様に対しても民間の取引についても支障がございませんので、売り渡しました。 そこで、今年の申年からご公儀の年貢と村入用まであなたが納めたうえで、土地は自由にお使いください。
(今年から)三年目の戌年の十月二十五日を期限として、元金四百匁を返したならば、 右の畑や林山はお返しください。今山に生えている分の木は切 り取っていただいて構いません。期限までに元金が返せなかっ たならば、質流れ地としてくださって構いません。別紙に捨て証文を 書く必要はなく、この証文のみで先々まであなた様の御抱え所(所持地) となさってください。私たちのことは申すまでもなく、子々孫 々まで訴訟を起こすようなことは一切ございません。後々のために、村 役人、証人らが連判を押して、畑・林山売り証文を渡し申し上げ ることは以上のごとくでございます。
この卯の年から巳年の三年の間売り渡し申します畑方・山林の事 所は吾郷村の内湊組くり原畑 一畑方七斗九升七合 同所 一林山 御山役丁銀九分九厘 一座役丁銀八分六厘 〆 この境目は、しもは、幾六殿との山境すみやが廻小曽根境。かみは、千蔵殿との山境大道〆上へ〆、なしの木境。上へした見通し。 それより小曽根引き上げ、上にて、右幾六殿との山境の小曽根へけぬき合。 したは川まで。この内にある竹木、その他利益になる物はすべておとりになって構いませんが、 以前から ある往来通路の道だけは除きます。 代は丁銀四百目に定め、只今受け取りました。 右のように、御公納に差し支えるようになったので、前書きにある畑と林山を売り渡し、 代金の丁銀四百目を確かに受け取ったことに間違いないことは明らかでございます。 そうであるので今年夘年から御上納と村入用などはあなたがお納めになり、 ご自由に支配なさってください。 もっとも、三年後の巳年の十一月二十日までに右の本銀を準備したときは畑と林山をお戻しください。 (万一期日に少しでも遅れるようなことが)あったならば請け返しはいたしませんので、 別紙の証文にするまでもなく、この証文にて、あなたの所有地になさるか、または売地にして、お気持ちのままに管理してください。 そのようになっても、一言もあなたに苦言を申す者はおりません。 後の証明のため、親類と村役人連中の判をもって証文を渡し申し上げること、この如くでございます。
右の山にある毛上(立ち木の事)については、三年の年季の内、必要ならば、ご自由に伐採しても構わないという約束です。
畠と山の境は、川本常蔵殿からの買い証文の通りです。買い証文をお渡ししました。
もっとも、三年目巳年十一月二十日までに元銀四百目を用意できたら、畑山ともにお返しください。 万一、期限に少しでも遅れたら、畑山は取り戻しませんので、他に證文を作る必要はありません。 この證文をもってご自分で畑山を所持するままにされようとも、売地にされようとも、ご自由に管理してください。 即ち、常蔵殿の買い證文にある年季明け十一月に、常蔵殿からの返金がなければ、畑山は戻さなくても良いです。 その際には、この證文を捨て證文とされ土地をご自由に管理してください。 後日のために証人を立て添え證文をお渡し申し上げること、このごとくでございます。
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