浜田地震
ナビゲーションに移動
検索に移動
目録番号:ほ20
担当:古文書に親しむ会 in 桜江
文書画像と釈文[編集]
1枚目(全3枚の内)[編集]
水除御普請願 邑智郡本郷大貫村 乍恐以書附奉願上候 邑智郡大貫村本郷之儀、高百五拾石余
2枚目(全3枚の内)[編集]
之村方ニ御座候処、過ル六日震災ニ而字瓜 屋穴山崩大川中迄押出し候ニ付、水刎と相成、 当村之内字中島水除藪追々川欠と 成行、只今之姿ニ而者中島ハ勿論字釣跡 と申辺迄川欠と相成候得共、近年諸色 高直ニ而村中必至困窮ニ陥候ニ付、川端 水除又ハ山崩川中江押出し候土石流レ方 等迚茂自力ニ難叶、捨て置候而者終ニ者 畑地悉く皆流失いたし、村方衰微之 基と相成歎ヶ敷次第ニ奉存候間、何卒 格別之御仁計ヲ以場所御見分 之上、水除御普請被成下置候ハヽ、重々 難有仕合ニ奉存候、依之村役人連印 以書附乍恐御許容之程偏奉願上候、以上
3枚目(全3枚の内)[編集]
邑智郡大貫村本郷 明治五年 頭百姓見習 壬申二月 岩城庫一郎(印) 頭百姓 寺本松三郎[印] 同 岩城彦次郎(印) 庄屋 野坂久市郎(印) 邑智郡 御役所 一、中島水除場所 但シ長サ八十五間、高サ弐間 此坪百七拾坪石垣ニ仕立 此人夫千七百人 但シ壱坪ニ付拾人宛 一、川中江山崩押出し候土石切流場所 但シ立凡百間、横凡弐拾間 此坪弐千坪 此人夫千五百人 但シ壱坪ニ付七人半宛 合人夫三千弐百人役