浜原村西田屋芋

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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目録番号:ち55


担当:古文書に親しむ会 in 桜江


文書画像と釈文[編集]

1枚目(全3枚の内)[編集]

063-156-01.JPG

浜原村幾六河本ゟ
積下シ候扱苧大貫村
ニ而荷作り致此度
積下シ候ニ付又々坂本
口ニ而役銀上納致候
様御申付之由左候而者
二重役ニ相成依之
積下シ候儀指支候段
幾六ゟ願出候ニ吟
味致候処御役銀之
儀者追而御吟味之
上御指図次第可仕
間扱苧積下シ候様

2枚目(全3枚の内)[編集]

063-156-02.JPG

被成下度願出候間
右扱苧三拾四駄口之分
之分駄数等御改
置此書付ヲ以口々
無滞御通シ可有之
候已上 
 巳九月九日
	鹿野徳十郎
	池亀徳之進
	山本六郎次

3枚目(全3枚の内)[編集]

063-156-03.JPG

吉岡要四郎
宗岡新市郎
坂本口
住郷口
川登口
江津口
右口留中
追而此書付江津ゟ
重便返し可有之候
		已上

脚註[編集]

本史料は他の史料との関連で、宝暦一一年(一七六一)と推定される。

「苧(からむし)」・・・今でこそしつこい雑草として嫌われる場合もあるが、茎の皮から採れる靭皮繊維は麻などと同じく非常に丈夫である。績(う)んで取り出した繊維を、紡いで糸とするほかに、糾綯(あざな)って紐や縄にし、また荒く組んで網や漁網に用い、経(たていと)と緯(よこいと)を機(お)って布にすれば衣類や紙としても幅広く利用できる。分布域では自生種のほかに、六千年前からヒトの手により栽培されてきた。(ウィキペディア)

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