大貫村百姓連署訴状

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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目録番号:お103

担当:古文書に親しむ会 in 桜江


文書画像と釈文[編集]

1枚目(全9枚の内)[編集]

お103(1).JPG

乍恐以書付奉御訴訟候 
邑智郡大貫村庄屋秀十郎頭百姓久左衛門代兼
百姓代秀兵衛乍恐奉申上候当村高弐百弐拾石余
人別高七百九拾余人家数百九拾軒余有之田方
四石八斗余之外いつれも畑方之村方ニ而専麦粟
扱苧(こぎそ)等作方仕罷在候処去巳年之儀者一統違作
仕米穀不自由之年柄ニ付於
御役所ニ厚御慈悲之御思召ヲ以代用米御買入
御仕法被成下置其外夫食種々製法等品々
被仰渡も有之別而先達而中百姓共一統極難之
訳柄被為 聞召諸石代御定直段類外不例之
奉蒙御勘弁金於当

2枚目(全9枚の内)[編集]

お103(2).JPG

御役所ニ乍恐厚御申立被下置候儀与奉恐察
誠ニ御広太之 御仁恵冥加至極至之難有仕合ニ
奉存候依之御買入米七拾石御願申上候内挽米
四拾弐俵買受被仰付先月十日郷田村ゟ請取
之候ニ付惣百姓呼寄厚御趣意之訳柄等為
申聞米壱升ニ付引当代銭百三拾弐文ニ相定
追而御定直段相知候上差引是迄銭も有之候者
別返シ可遣万一右引当ニ而引足不申候節者村
役人共ノ手元ニおいて如何様ニも相償出銭不致様
取斗可遣尤極難百姓共へ売渡候儀ニ而可成ニも
渡世致候ものへ者売渡候儀難相成尤此節小麦
其外都而畑作之品沢山之時節ニ付可成丈喰
延シ候様精々申聞一同難有承知仕候処百姓
常一郎外六人頭取仕愚昧之百姓共色々申
惑先月廿七八日両夜共小前百姓五拾四人氏神

3枚目(全9枚の内)[編集]

お103(3).JPG

社へ寄集り高張等燈終夜評儀仕候上右買
請米直段百弐拾文手切ニして為買受濱田銀
札壱匁九拾文通用之処百文ニして請取呉候
様申出候ニ付心得違之訳柄申聞段々心得方取
調候上常一郎外六人之もの頭取仕愚昧之小前
話合候次第等一統之人気ニも相響不容易儀ニ
奉存殊ニ頭取六人之内常一郎儀者近来迄
頭百姓役相勤喜三右衛門儀者前々庄屋役も相勤候
ものニ付旁々以心得違之訳柄段々申聞候処
相詫候躰(体)も不相見心得違之段一言之挨拶も不仕
則精々懸合仕而巳不成色々法外之諸向仕候
ニ付難捨置村役人共ゟ右始末御訴申上候積りニ
而一同罷出候得共不斗小前百姓共ゟ駆込奉御訴
訟御引渡被下置候処右奉申上候通頭取
七人之もの共愚昧与申訳ニも無御座相応ニ相

4枚目(全9枚の内)[編集]

お103(4).JPG       

弁候ものニ而殊ニ難有御趣意も乍存知自分
勝手之儀申剛精差働候段此侭捨置候而者
以来外百姓共治り方且者近隣村々人気
ニも響候様相成儀与奉存何共恐多御願ニ御座候
得共格別之 御慈悲ヲ以百姓五拾四人之内
百姓常一郎喜三右衛門角平濱右衛門栄蔵
幾平傳(伝)七右七人一同被召出五拾四人ニ依り
村役人申聞候儀も不相用剛精ニ募り我
侭之取斗仕殊ニ七人之もの共頭取仕候始末
等 御厳重之御吟味被成下置候様乍恐
御聞済之程偏ニ奉願上候以上
  天保五年午五月	邑智郡大貫村
			 頭百姓久左衛門代兼
				百姓代 秀兵衛
				庄屋  秀十郎

5枚目(全9枚の内)[編集]

お103(5).JPG

大森
  御役所
右者私共心得違致村役人中御申聞之儀も不相用
不容易成法外差働候不成而巳小前惣代栄蔵
外壱人駆込御訴訟為仕殊ニ常一郎作兵衛両人
儀者各様方御役前も不憚郷宿迄罷越候段
逸々御差留ニ付一言申開無之依而宿保兵衛殿
相頼種々御詫申候処前件訴状御読聞之上
一統響ニも相成候儀ニ付御承引難被成旨被仰聞


6枚目(全9枚の内)[編集]

お103(7).JPG

御尤至極奉存候得共右訴状御差出被成候時者
銘々共意恨等差含別意有之取斗候儀も無之
全愚昧ニ而小前難渋取救之儀与一途ニ差心得
取斗候儀ニ付一言申開無之何分之御儀ニ可被仰付
も難斗重々恐多身分難立行訳柄ヲ以再三
御侘申候得者私共身分之儀者格別右等之儀
被捨置候而者各様御役前も不相済旨被仰聞
詫之趣御承引被成下候訳ニ者無之御訴之儀
先当分御差止之御猶餘被成置候段千万忝
仕合ニ奉存候然ル上者自今以後村御役人中ゟ
被仰聞候儀不依何事ニ急度厳重ニ相守り
農業出情可仕都而村御役人中ゟ被仰聞百姓
共申合取斗候儀者格別銘々存寄之儀申合候
儀者一応御役人中へ申出御差図受候上取斗可申候

7枚目(全9枚の内)[編集]

お103(8).JPG

万一心得違大勢相集り候様之儀者勿論所ニ而も
我侭心得違之取斗仕候ハヽ本文之始末御申
立被成何分之御儀ニ被仰付候共決而違背不仕候
且御売米之儀壱升ニ付引当代銭百三拾弐文
御定被下候儀彼是申立候段於
御役所ニ者逸々奉受御利解各様方へ対し
重々不相済次第相弁一言申分無之候然ル上者
御役人中御手ニすかり候間此上者是迄之通り
不相替小前御取救之程奉願候依之小前惣代
連印取揃一札差出申処如件

8枚目(全9枚の内)[編集]

お103(9).JPG

天保五年五月	大貫村
			 百姓五拾四人惣代
			  百姓
				常一郎(印)
				喜三右衛門(印)
				濱右衛門(印)
				栄蔵(印)
				傳(伝)七(印)
				大三郎(印)
			  源兵衛代
				角平(印)
				為蔵(印)
			  六兵衛代
				万助(印)
				幾平(印)
			 腰押人
			  信右衛門父
				作兵衛(印)
  庄屋秀十郎殿
  頭百姓久左衛門殿
  百姓代秀兵衛殿
前書の通相違無之ニ付為御証之実
各々印形致候以上	  郷宿
			    都屋保兵衛

9枚目(全9枚の内)[編集]

お103-2.JPG

現代語要約[編集]

天保の飢饉の際、米不足のため、大森役所の手配で米を買い受けることになったが、村役人の決めた払い下げ価格に対しての不満から、小前五四名の者が集まり、代表七 
名が大森役所へ駆込訴を行った。結局、大森役所で諭されたのか、当初の価格を受け入れ、村役人に詫びを入れて、騒動は終焉した。


脚註[編集]


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