きさと斧右衛門との取りかわし証文

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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目録番号:ま106

担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ


文書画像と釈文[編集]

1枚目(全2枚の内)[編集]

ま106-5.JPG

 取替申一礼之事
一 私不女意ニ而田畑家屋敷等も売払申候
  所夫婦中も睦敷無御座故離縁仕家遣
  道具等相改おきさへ引渡申候勿論鍛冶屋
  名田畑之儀ハきさへ相戻候間存分ニ作配
  可有之候娘かね儀もきさの方ニ而養育
  致成人之上幾六殿より片付致被呉候様
  村役人中より御究被下委細承知仕候然ル
  上ハ右一件ニ付後日少しも申分無
  御座候為其一札相渡申所件如
 安永九年
  子十一月
 本人 斧右衛門
 証人 伊右衛門
 同  弥三右衛
 同比敷村 庄蔵
 頭百姓  宗右衛門
 庄屋   幸右衛門

 きさどの
 砂井 安左衛門 殿
 西田屋 幾六 殿

2枚目(全2枚の内)[編集]

ま106-6.JPG

取替申一札之事
一、私夫婦中不宜此度不縁ニ罷成候ニ付家遣道具
  相改御渡被下慥ニ請取相済申候銀子等取引之義ハ
  此度目録通相違無御座候かじや名田畑之儀 
  御戻シ私名前ニ仕候娘かね事私方ニ而養育
  致盛人之上西田屋世話を以片付致候様村役人
  中御究被下委細承知致候ニ付一札相渡し
  置申所如件
    安永九年子十一月
本人  きさ
親類濱原
同断砂井  安左衛門
同断宮内村 伊右衛門
同断布施村 弥三右衛門
証人比敷村 庄蔵
同宮内村 頭百姓 宗右衛門
同 同村 庄屋  幸右衛門
斧右衛門 殿

書き下し文[編集]

取り替し申す一札の事
一 私不女意にて、田畑家屋敷等も売り払い申し候
  所、夫婦仲も睦まじく御座無き故離縁仕り、家遣い
  道具等あい改め、おきさへ引き渡し申し候。勿論鍛冶屋
  名田畑の儀はきさへあい戻し候間、存分に作配
  これあるべく候。娘かね儀もきさ方にて養育
  致し、成人のうえ幾六殿より片付け致しくれられ候様
  村役人中より御究め下され委細承知仕り候然る
  上は右一件に付後日少しも申し分なく
  御座候そのため一札相渡し申すところよって件の如
  (以下氏名略)

取り替し申す一札の事
一、私夫婦中宜しからず、此の度不縁にまかり成り候につき、家遣い道具
  あい改めお渡しくだされ、たしかに請け取りあい済み申し候。銀子など取引の義は
  此の度目録通り相違ござなく候。かじや名田畑の儀
  お戻し私名前につかまつり候。娘かね事私方にて養育
  致し成人の上西田屋世話をもって片付け致し候様、村役人
  中おきめ下され、委細承知致し候に付、一札相渡し
  置き申すところ件のごとし   (以下氏名略)


現代語訳[編集]

(夫婦間で)取り交わした文書のこと
一 私は財政難になり、田畑や家屋敷なども売り払ってしまったところ、
  夫婦仲も良くないため(妻おきさと)離縁します。家で使う
  道具なども調べたうえで、おきさへ引き渡します。勿論、鍛冶屋
  名の田畑はきさへ戻したので、自由に管理
  されるがよいでしょう。娘のかねについても、きさの方で養育
  し、成人したら幾六殿の方で何らかの処置をしてくれるよう
  村役人が決めてくださったので承知しました。
  そのため、後日何の不満もありません。取り決めたことは以上の通りです。

(夫婦間で)取り交わした文書のこと
一、わたしたち夫婦が仲が良くなく離縁したことをうけて、家で使う道具を
  調べたうえで(私に)お渡しくださり確かに受け取りました。お金のやり取りについては
  このたびの目録通りで間違いありません。かじや名の田畑については
  お戻しになられたので私の名義になりました。娘かねについては私が養育し
  かねが成人したら、財産の処置は西田屋がしてくださるように村役人が
  決めてくださったので承知しました。取りきめたことは以上の通りです。
  (以下氏名略)


脚註[編集]


コメント[編集]

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