村方取締書附入
提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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目録番号:せ113
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
目次
文書画像と釈文と書き下し文
1枚目(全12枚の内)
村方取締書附入
2枚目(全12枚の内)
差入申一札之事 其御村ニ而私借家平吉義若年 之儀ニ付同人父嘉右衛門義折々 手伝ニ罷出候間逗留中何角 宜敷御頼申上候若同人身上ニ付 何事ニ不限出来候義者勿論御申 付相背候義も御座候ハヽ何時ニ而も 私方江引取御村方江御厄介少し 茂相掛申間敷候為後日念之 一札差入置申候処如件 安政四年 巳ノ三月 本人南佐木村 今□屋 平左衛門 証人大貫村 菊屋 柳助 大貫村 御役人中
《書き下し文》 差し入れ申す一札の事 その御村にて私借家平吉義、若年 の儀に付、同人父嘉右衛門義折々 手伝いに罷りいでそうろう間、逗留中何かと 宜しく御頼み申し上げそうろう、もし同人身上に付き、 何事に限らず出来そうろう義は勿論、お申し 付けあい背きそうろう義も御座そうらわば、何時にても 私方へ引き取り、御村方へ御厄介少し もあい掛け申すまじくそうろう、後日念のため 一札差し入れ置き申しそうろうところ、件の如し 安政四年 巳ノ三月 本人南佐木村 今 屋 平左衛門 証人大貫村 菊屋 柳助 大貫村 御役人中
3枚目(全12枚の内)
差入申一札之事 私義御当村之内南作木村勝之助殿借家 掛請住所仕度候所御当村之義者村高不相応 人別多く多所ゟ新観(規)ニ入進(込)候儀難相成 儀ニ御座候然ル所柳助直蔵両人ヲ以色々御断 申入候得者格別之御掛引ヲ以御聞済被成下千万 忝仕合ニ奉存候然ル上者 御公儀 被仰出候儀者不及申ニ都而御役元ゟ 御申付之義急度相守何事ニ不限差出ヶ間敷 義不仕農業出情可仕候万一御申付之義相背 候儀者勿論差出ヶ間敷義等仕候節者何様之 儀御申付被成候共又者元村江引取方御申付 被成候共其節少シ茂申分無御座候猶又何事ニ 不限出来仕候共勝之助引請御村方御厄介 不相成様可仕候為後日念之一同連印一札
《書き下し文》 差し入れ申す一札の事 私儀御当村の内、南作木村勝之助殿借家 掛り請け、住所仕りたくそうろう所、御当村の義は村高不相応 人別多く、多(他)所より新規に入進(込)そうろう儀あい成り難き 儀に御座そうろう。しかる所柳助、直蔵両人をもって色々御断り 申し入れそうらえば、格別の御掛け引きをもってお聞き済みなし下され、千万 忝く仕合せに存じ奉りそうろう。しかる上は 御公儀 仰せ出だされそうろう儀は申すに及ばず、すべて御役元より 御申付けの義きっとあい守り、何事に限らず差し出がましき 義仕らず、農業出精仕るべくそうろう。万一御申付けの義あい背き そうろう儀は勿論、差し出がましき義等仕りそうろう節はいかようの 儀御申付けなされそうろうとも、又は元村へ引き取り方御申付け 成されそうろうとも、その節少しも申分御座なくそうろう。なおまた何事に 限らず出来仕りそうとうとも、勝之助引き請け、御村方御厄介 あいならず様仕るべくそうろう。後日、念のため一同連印一札 差し入れ置き申す所、件の如し。
4枚目(全12枚の内)
差入置申所 如件 本人 三原村 安政六年 多吉(印) 同 忰 未三月 亀太郎(印) 引受相人 南作木村 今□屋 勝之助(印) 証人 大〆村地床 直蔵(印) 同村 菊屋 柳助(印) 庄屋 久左衛門殿
5枚目(全12枚の内)
差入申一札之事 御村方之儀者新規入作不相成候義ニ 御座候所私儀御村方ニおゐて畑方少々 受込申度ニ付其段御願申上候処 格別之御掛引ヲ以御聞済被成下 忝仕合ニ奉存候依之被仰聞候義 左ニ書上申候 一、 御年貢村入用御触日限通無 遅滞相納可申候 一、 水除諸入用者不及申ニ其外高反別 掛リ并ニ小役等ニ至迄御村方御百姓中 並合之儀者何事ニ不限聊無申分 御触日限通リ相納可申候 一、 都而御役元ゟ被仰聞候儀急度 相守可申候 右之通リ逸々承知仕候ニ付一札 差入申所仍而如件
《書き下し文》 差し入れ申す一札の事 御村方の儀は新規入作あい成らず候義に 御座候所、私儀御村方において畑方少々 受け込み申したきに付き、其の段御願い申し上げ候処、 格別の御掛け引きを以って御聞き済み成し下され、 忝き仕合に存じ奉り候。これに依り仰せ聞けられ候義、 左に書き上げ申し候。 一、 御年貢村入用御触日限通り 遅滞無くあい納め申すべく候。 一、 水除け諸入用は申すに及ばず、其の外高反別 掛りならびに小役等に至る迄、御村方御百姓中 並合の儀は何事に限らず、聊か申し分無く 御触日限通りあい納め申すべく候。 一、 都て御役元より仰せ聞けられ候儀、きっと あい守り申すべく候。 右の通りはやばや承知仕り候に付き、一札 差し入れ申す所、仍って件の如し。
6枚目(全12枚の内)
安政五年 午十二月 田津村 中本屋 宇之吉 印 正人同村 中□階 善治郎 印 大乄村 御庄屋 久左衛門様
7枚目(全12枚の内)
差入申一札之事 私義御高札之表相背無宿之者共と受引仕候 風聞御坐候ニ付御取糺被成候所壱言申訳無御坐候 依而御取糺中戸〆慎被仰附并ニ村助佐兵衛 両人義ハ右受引ニ立入候ニ付御差当受申上様無御坐候 始末 御上様御窺可被成段被仰聞一統 当惑仕候此上 御上様之御吟味ヲ受候而者何 様之義被仰附候義も難斗一同恐入申上候ニ付 厚御断申上候得者格別之以御勘弁於村方御 内々御取済被成下重々難有仕合ニ奉存候然上ハ 以来御高札之表者不及申何事ニ限らす御役元之 御差図之通急度相守親ニ孝心仕組中実 意ヲ尽シ農業出情可仕候若此以後御申附之義 相背候義も御座候ハヽ何時右始末御訴被成候共 其節少しも申上様無御坐候依之後為念之 一同連印詫書一札差入申所依而如件
【書下し文】 差し入れ申す一札の事 私義高札の表あい背き、無宿の者共と受け引き仕り候 風聞御坐候に付、御取り糺し成され候所、壱言申し訳御坐無く候、 依って御取り糺し中戸じめ慎み仰せ附けられ、ならびに村助・佐兵衛 両人義は右受け引きに立ち入り候に付き、御差当受け申し上げ様御坐無く候 始末 御上様御窺い成されるべき段仰せ聞けられ一統 当惑仕り候、此の上 御上様の御吟味を受け候ては、何 様の義仰せ附けられ候義もはかり難く、一同恐れ入り申し上げ候に付き 厚く御断り申し上げ候えば、格別の御勘弁を以て、村方に於いて御 内々御取り済まし成し下され、重々有り難き仕合せに存じ奉り候、然る上は 以来御高札の表は申すに及ばず、何事に限らず御役元の 御差図の通りきっとあい守り親に孝心仕り組中実 意を尽くし農業出情仕るべく候、若し此れ以後御申し附けの義 あい背き候義も御坐候はゝ、何時右始末御訴え成され候とも 其の節少しも申し上げ様御坐無く候、これに依り後は、念の為に 一同連印詫び書き一札差し入れ申す所、依って件んの如し
8枚目(全12枚の内)
本人 富平 親類森脇 沢吉 安政四年 同上田屋 巳三月二日 村助 組合渡りや 左兵衛 同 木工兵衛 同 祐平 庄屋久左衛門様 頭百姓彦左衛門様
9枚目(全12枚の内)
巳三月 沢ノ田多吉出職書付 三原村ゟ請取置
【書き下し文】 (包紙) 巳三月 沢ノ田多吉出職書付 三原村より請け取り置く
10枚目(全12枚の内)
相渡申一札之事 一浄土真宗田窪村 旦那 南崎村平左衛門借屋 西勝寺 多吉 当巳四十才 女房 りき 三十六才 娘 りの 十弐才 忰 亀太良 六才 同 廣吉 三才 〆五人内三人男 弐人女 右之者共義今般其御村江南崎村平左衛門 借家ニ出職仕度段御願申上候処御聞済被下 忝仕合ニ存候然ル上者出職中御村法ヲ以御勝 手次第御取斗ひ可被成候若同人身上ニ付 何事ニ不限出来候節者勿論御申付之義 相背候ハヽ何時ニ而も当村江引取御村方之 御厄介少しも相掛申間敷候為後日念之 出職願書一札相渡し置申処如件 安政四年 三原村 巳三月日 下左木組 庄屋 柳平(印) 大貫村 御庄屋 久左衛門殿
【書き下し文】 あい渡し申す一札の事 一浄土真宗田窪村 旦那 南崎村平左衛門借屋 西勝寺 多吉 当巳四十才 女房 りき 三十六才 娘 りの 十弐才 忰 亀太良 六才 同 廣吉 三才 〆五人内三人男 弐人女 右の者共義、今般その御村へ南崎村平左衛門 借家に出職仕りたき段、御願い申し上げそうろうところ、御聞き済み下され 忝き仕合に存じそうろう。しかる上は、出職中御村法をもって御勝 手次第、御取りはからいなさるべくそうろう。もし同人身の上につき、 何事に限らず出来そうろう節は勿論、御申し付けの義、 あい背きそうらわば、何時にても当村へ引き取り、御村方の 御厄介少しもあい掛け申すまじくそうろう。後日念のため、 出職願い書き一札あい渡し申すところ、件の如し。 安政四年 三原村 巳三月日 下左木組 庄屋 柳平(印) 大貫村 御庄屋 久左衛門殿
11枚目(全12枚の内)
差入申一札之事 私義御村方之内中島少々譲請候ニ付 新規入作之儀ニ付被仰聞候義左ニ書上申候 一 御年貢村入用御触日限通り無遅 滞相納可申候 一 水除其外小役等居村御百姓中 折合候諸入用之義ハ聊無申分御触 日限通相納可申候 一 都而御役元ゟ被仰聞候義急度相守可申候 右之通逸々承智仕候ニ付一札差入申処 如件 安政四年 巳十二月 田津村 亀蔵 大貫村御庄屋 久左衛門様
【書き下し文】 差し入れ申す一札の事 私義御村方の内中島少々譲り請けそうろうに付き、 新規入作の儀に付き、仰せ聞けられそうろう義、左に書き上げ申しそうろう 一 御年貢村入用御触れ日限通り遅滞なくあい納め申すべくそうろう 一 水除けそのほか小役等居村御百姓中折り合いそうろう諸入用の義は、 いささか申し分なく、御触れ日限通りあい納め申すべくそうろう 一 すべて御役元より仰せ聞けられそうろう義、きっとあい守り申すべくそうろう、 右の通りはやばや承智仕りそうろうに付き、一札差し入れ申す処件の如し 安政四年 巳十二月 田津村 亀蔵 大貫村御庄屋 久左衛門様
12枚目(全12枚の内)
差入申一札之事 私義御当村江住所仕度候所御当村之義ハ村高不相応 人別多く他所より新規入込候義難相成義ニ御座候 然ル所彦一郎ヲ以テ色々御断申入候得者格別之御 掛引ニ而御聞済被成下千万忝仕合ニ奉存候然ル上ハ 御公儀被仰出候義ハ不及申ニ都而御役元より御申付 之義急度相守何事ニ不限差出ヶ間敷義不仕 農業出情可仕候万一御申付之義少しニ而も相背候ハヽ 如何様御取斗被成候共又者何時元村江引取方可申筈ニ御座候 猶又私義薪木草山ニ差支申候ニ付是又貴殿御持 山之内久井谷奥寺床ニ而外並合之通下木下草 為伐採被下候様御頼申入候所□□格別之御勘弁 ヲ以御聞済被下重々難有仕合ニ奉存候然ル上ハ 松杦者不及申ニ其外何木ニ不限御立木之義ハ少シ 茂差綺ひ申間敷候若御立木江少シニ而も差綺ひ 候欤又者貴殿方御差支之義御座候節者下木下草伐採 方何時ニ而も御差留可被成候筈ニ御座候為後日念之 親類證人連印ヲ以一札差入置申所如件 安政六年 未二月 本人南作木村 勘三郎 親類同村平沢屋 儀兵衛 正人上畑 彦一郎 庄屋 久左衛門殿
【書き下し文】 差し入れ申す一札の事 私義御当村へ住所仕りたくそうろう所、御当村の義は村高不相応 人別多く、他所より新規入り込みそうろう義あい成り難き義に御座そうろう。 しかる所彦一郎をもって色々御断り申し入れそうらえば、格別の御 掛け引きにて御聞き済み成し下され、千万忝き仕合わせに存じ奉りそうろう。 しかる上は、御公儀仰せ出されそうろう義は申すに及ばす、すべて御役元より御申し付け の義きっとあい守り何事に限らず、差し出がましき義仕らず、 農業出情仕るべくそうろう。万一御申し付けの義少しにてもあい背きそうらはば、 いか様御取りはからい成られそうろうとも、または何時元村へ引き取り方御申すべき筈にござそうろう なおまた私義薪木草山に差し支え申しそうろうに付き、これまた貴殿御持 山の内、久井谷奥寺床にて外並合いの通り下木下草 伐り採らせ下されそうろう様、御頼申入候所、□□格別の御勘弁 を以て御聞き済み下され重々有難く仕合わせに存じ奉りそうろう。しかる上は 松杉は申すに及ばず、其のほか何木に限らず御立木の義は少し も差し綺い申すまじくそうろう。もし御立木へ少しにても差し綺い そうろうか、または貴殿方御差し支えの義ござそうろう節は、下木下草伐り採り 方何時にても御差し留め成さるべくそうろう筈に御座そうろう。後日念のため 親類証人連印を以て一札差し入れ置き申す所、件のごとし。 安政六年 未二月 本人南作木村 勘三郎 親類同村平沢屋 儀兵衛 正人上畑 彦一郎 庄屋 久左衛門殿
現代語訳
差し入れ申します一件のこと 大貫村にある私の借家に住んでいる平吉はまだ若いので、時々、同人の父嘉右衛門が手伝いに大貫村に出向くことになりますので、 逗留中は何かとよろしくお頼み申します。 もし、嘉右衛門の身の上について何か起きた場合は勿論、あなた方の申し出に背くことがあった場合は、いつでも私の方で解決し村に御厄介はおかけしません。 後日の念のために、この文章を差し入れ置くものです。 安政四年 巳ノ三月 本人南佐木村 今 屋 平左衛門 証人大貫村 菊屋 柳助 大貫村 御役人中
差し入れ致します一通の文書の事 私は当村の内に、南作木村の勝之助殿が所有しております借家 を借り請け、居所としたいと思っておりましたところ、当村は村高に不相応なほど 人口が多く、他所から新規に移り住むのは難しいとのことでした。 しかしながら、柳助と直蔵の両人を頼みいろいろとご挨拶 致しましたところ、特別な対応がなされ、(大貫村の役人から)了解いただきまして、ことのほか忝くうれしく思っております。この上は 御公儀(である幕府)からお命じになられることは言うまでもなく、大貫村役所から 指示されることはすべて必ず守り、何についてもでしゃばるようなことは致さず、 農業に精を出すつもりです。万一指示されることに背くようなことがあれば勿論ですが、 でしゃばった真似をしたりしたときにはどのようなことを命じられても従いますし、 たとえ元の村(である三原村)へ引き返すようにと命じられようとも、 不満はありません。さらに又、何事によらず 面倒なことが起きた場合には、勝之助が(私の)身元を引き請け、そちらの村方には御厄介 をおかけすることは致しません。後日のために、念を入れ一同の連印を付けて一札を 差し入れ置くところでございます。以上でございます。 本人 三原村 安政六年 多吉(印) 同 伜 未三月 亀太郎(印) 身元引受け当人 南作木村 今□屋 勝之助(印) 保証人 大〆村地床 直蔵(印) 同村 菊屋 柳助(印) 庄屋 久左衛門殿
差し入れ申します一通の文書の事 貴村(大貫村)では新規の入作(他村の人が大貫村の土地を耕作すること)ができないとのことでございましたが、私は貴村(大貫村)において畑を少々 引き受けたいと思い、このことをお願い申し上げましたところ、 格別の処置をもってご承諾を下され、 この上ない幸せでございます。これにより、言い聞かせられましたことを 左に書き上げました。 一、 御年貢(領主への税)、村入用は通知のあった期限通り、 遅れたり滞ったりすることのないよう納めます。 一、 水除けの諸入用(洪水対策の土木工事)は言うまでもなく、その他の高反別(宇之吉の耕作する畑高と面積)に掛かる税、 ならびに細々とした役などに至るまで、 村方の百姓仲間と同様のことは、いかなることでも、少しも異議申し立てること無く 通知のあった期限通りに納めます。 一、 全て御役元(庄屋、年寄)より言い聞かされたことは、必ず 遵守します。 右の通り早々に承知いたしましたので、一通の文書を 差し入れ申しますこと、前記の記載の通りでございます。 安政五年 午十二月 田津村 中本屋 宇之吉 印 正人同村 中□階 善治郎 印 大貫村 御庄屋 久左衛門様
差し入れ申します一通の文書の事 私が高札に書いてあることに背いて、無宿の者たちを引き受けていたとの噂が流れたことについてきびしく糺されましたが、 一言の言い訳も出来ません。したがって、お取 り糺しの最中は戸を閉めて自宅で謹慎するように命じられました。 また、村助と佐兵衛の二人は右のやりとりに関与していましたので、お叱りを受け、言い訳が出来ませんでした。 上様(お役所)にお窺いすることになると言われ、全員困惑しています。 上様の吟味を受けては、どのような事が命ぜられるか予想もつかないので、 一同(富平、村助、佐兵衛)大変恐れいって、厚くご容赦を頼みましたところ、 格別のご配慮により、村方で内々に取り済ましてくだされ、とてもありがたく幸せに思っております。 以上を踏まえ、今後高札に書いてあることはもちろん、何事に限らず御役元(庄屋、年寄)の指示は必ず守ります。 また、親に孝行し、五人組に実意を尽くし、農業に出精します。 もし、これ以後申しつけられたことに背くことがありましたならば、いつ右の経緯を訴えられましても、それについて何も申し上げません。 このため、以後の念のため、一同は連印、詫び書きの一通の文章を差し入れ申しますこと、前記の通りでございます。 本人 富平 親類森脇 沢吉 安政四年 同上田屋 巳三月二日 村助 組合渡りや 左兵衛 同 木工兵衛 同 祐平 庄屋久左衛門様 頭百姓彦左衛門様
(包紙) 「巳三月 沢ノ田多吉の出職に関する書付 三原村から請け取り置いたもの」 お渡し致します一点の文書 一浄土真宗田窪村 旦那 南崎村平左衛門借屋 西勝寺 多吉 当巳四十才 女房 りき 三十六才 娘 りの 十弐才 忰 亀太良 六才 同 廣吉 三才 〆五人内三人男 弐人女 右の者たちについて、このたび御村(大貫村)へ南崎村平左衛門の 借家に出稼ぎをしたいと思っておりますことを、お願い申し上げましたところ、了承いただき、この上なく幸せに思っております。 そういうことであれば、出稼ぎの間は そちらの村法に従ってご自由にお取り計らいください。 もし、同人(多吉)の身に異変が生じた場合、どのようなことであっても、何かが起こったときは勿論、 申し付けのことに背いた場合はいつでも当村(三原村)で引き取り、そちら(大貫村)に一切のご迷惑がかからないように致します。 後日、念のため出稼ぎの願い書きを一点の文書としてお渡し致します。 以上のとおりです。 安政四年 三原村 巳三月日 下左木組 庄屋 柳平(印) 大貫村 御庄屋 久左衛門殿
差し入れ申します一点の文書の事 私はあなた方の村のうち中島というところを少々譲りうけて、 新しく入作することにあたり、村役人から命じられたことを左に書き上げ申します。 一 年貢、村入用を期限内に遅れることなく納めます。 一 水除け、そのほかの小役など、居村(田津村)の百姓中で折り合いをつけて納めている諸入用については、少しも不満なく、 期限内に遅れることなく納めます。 一 すべて村役人から命じられたことについては、必ず守ります。右の通り早速承知しましたことについて、 一点の文書を差し入れ申すところでございます。以上でございます。 安政四年 巳十二月 田津村 亀蔵 大貫村御庄屋 久左衛門様
差し入れ申します一通の文書の事 私は貴村へ住みたいのですが、貴村は村の石高に不相応なほど 人が多く、他所から新規に移り住むのは難しいとのことでした。 しかしながら、彦一郎を通じていろいろとご挨拶致しましたところ、特別なご処置によってご了解いただきまして、 ことのほか忝くうれしく思っております。 この上は幕府からご命令されたことは言うまでもなく、お役人たちから指示されたことはすべて守り、 出すぎたことは致さず、農業に精をだすつもりです。 万一ご指示に少しでも背くようなことがございましたら、 どのようなご処置をなされる、またはいつ元々おりました村へ引き返すように致すはずです。 さらに又、私には薪木や草山などが不足しておりますので、久左衛門殿の持山のうち、 久井谷山・奥寺床で外の者と同様に下木・下草を採らせて頂けるようお頼みしましたところ、 格別の御配慮によりお許し頂けましたことを、誠に有難くしあわせに思っております。 以上を踏まえて、松や杉はもちろんのこと、その他の生えている木には手をつけたりは致しません。 もしも少しでも手をつけたり、または久左衛門殿に何か迷惑をかけるようなことを致しましたら、 その時には下木・下草の採取は禁じて頂いて結構でございます。 後日のために念を入れ、親類や証人たちの連印をつけて、一札差し入れ置くところでございます。以上でございます。 安政六年 未二月 本人南作木村 勘三郎 親類同村平沢屋 儀兵衛 正人上畑 彦一郎 庄屋 久左衛門殿
脚註
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