吉浦寄鯨一件
目録番号:のー37
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
1枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
明和八年 卯十一月六日迩摩郡 吉浦之内岩石与申所江 漕込候切流し鯨一件 掛 柳原平蔵
書き下し文
明和八年 卯十一月六日迩摩郡 吉浦の内岩石と申所へ 漕ぎ込みそうろう切れ流し鯨一件 掛 柳原平蔵
現代語訳
明和八年 卯十一月六日に、迩摩郡吉浦の中の岩石という所へ、切り取られた漂流鯨を漕ぎ寄せたことについての吟味の一件
2枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
明和八年卯十一月六日吉浦之内 岩石申所江切連流連鯨漕込候 吟味一件 乍恐以書付御届ケ申上候 一当村かんせきと申所江昨六日七つ時ニ 切流鯨五尋余御座候分寄リ申候依之
書き下し文
明和八年卯十一月六日吉浦の内 岩石申所へ切れ流れ鯨漕込そうろう 吟味一件 恐れながら書付を以て御届け申上げそうろう 一当村かんせきと申す所へ昨六日七つ時に 切れ流れ鯨五尋余り御座そうろう分寄り申しそうろう、之これ依り
現代語訳
明和八年卯十一月六日、吉浦の中の岩石という所へ、 死んで漂流している鯨が切り取られ残骸になった状態でのものを漕ぎ寄せたことについての吟味の件 おそれながら書付にてお届け申し上げます 一、当村かんぜきと申す所へ、昨六日七つ時(午前四時ごろ)に 切れぎれとなって流れてきた鯨の五尋(九メートル)余りある分が寄り着きました。このため
3枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
御届ケ申上候以上 卯十一月七日 吉浦村長 清左衛門 印 同浦年寄 助兵衛 印 銀山方 御役所 吉浦之内かん石と申所江昨日六日七つ時寄鯨 御座候ニ付右浦役人ゟ私方江届申候ニ付早速罷越 見分仕候処鯨尋数五尋ニ相見申候切残リニ御座候 ニ付身所ハ多分無御座候得共寄物之儀ニ御座候 ニ付御注進申上候猶又浦役人とも申渡番人付置 候様申渡候浦方御勘弁を以宜様ニ被仰付候様 奉存候右為御注進如此御座候以上
書き下し文
御届け申上げそうろう、以上 卯十一月七日 吉浦村長 清左衛門 印 同浦年寄 助兵衛 印 銀山方 御役所 吉浦の内かん石と申す所へ、昨日六日七つ時寄せ鯨 御座そうろうに付き、右浦役人より私方へ届け申しそうろうに付き、早速罷り越し 見分仕りそうろう処、尋数五尋に相見え申しそうろう切れ残りに御座そうろう に付き、見所は多分御座無くそうらえども、寄せ物の儀に御座そうろう に付き御注進申し上げそうろう。猶又浦役人とも申し渡し、番人付け置き そうろう様申渡しそうろう、浦方御勘弁を以って宜き様ニ仰付られそうろう様 存じ奉りそうろう、右の為、御注進此ごとく御座そうろう、以上、
現代語訳
(この文書を)お届けいたしました。以上 卯十一月七日 吉浦村長 清左衛門 印 同浦年寄 助兵衛 印 銀山方 御役所 吉浦の中のかんせきという所に、昨日六日の未明に鯨の死骸が漂着し、 吉浦在住の役人様より私のほうへご報告なさったので、早速参上し、鯨の死骸を調べてみたところ、 大きさは五尋[1]ほどに見える切れ残りがありまして、食べられそうなところは、おそらくほとんどありませんが、 寄せ物の儀礼でありますので、ご報告いたします。 なお、浦役人に言い渡して、番人を付けておくようにと申し渡しました。 浦方の御判断処置して良いように御命じください。 御報告のため、このように文章を作成した次第です。
4枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
卯十一月七日 嶋田幸七印 銀山方 御役所
書き下し文
卯十一月七日 嶋田幸七印 銀山方 御役所
現代語訳
5枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
石見国迩摩郡 吉浦 徳右衛門 当卯五十三才 吉右衛門 当卯六十才 佐七 当卯廿才 宇平太 当卯三十八才 甚兵衛 当卯四十六才 政右衛門 当卯廿七才 吉左衛門 当卯三十三才 伝七 当卯三十六才 甚吉 当卯四十五才 孫平 当卯四十三才 伝蔵 当卯四十七才 常七 当卯廿八才 藤吉 当卯四十才 重五郎 四十七才 申口 一、一昨六日私共沖ニ而鯨見付候而漕込候ニ付今浦船表 御番所様并浦役人共より大森御役所江御注進申上 右為御見分御越被成鯨見付漕込候次第少茂 無隠有躰可申上旨御尋御座候 此儀徳右衛門と申もの鰯参候哉と山に登り沖之方見分 致候処壱里半斗沖而海鳥夥敷立騒候ニ付不思議ニ奉存 流物等茂有之哉と奉存山より下り浦人とも江右之様子申聞 船三艘仕立右拾四人之ものとも乗組漕用意仕出船 仕見請候処右鯨ニ而御座候 何とそ繋留度奉存候へども
書き下し文
申し口 一、一昨六日私共沖にて鯨見付そうろうて漕ぎ込みそうろうに付き、今浦船表 御番所様ならびに浦役人共より大森御番所へ御注進申し上げ、 右御見分の為め御越し成され、鯨見付け漕ぎ込みそうろう次第少しも 隠れ無く有体申上げるべき旨御尋ねに御座そうろう 此の儀徳右衛門と申すもの鰯参りそうろうやと山に登り沖の方見分け 致しそうろう処壱里半斗沖にて海鳥夥しく立ち騒ぎそうろうに付き不思議に存じ奉り 流れ者等も之有るやと存じ奉り山より下り浦人ともへ右の様子申し聞き 船三艘仕立て右拾四人のものとも乗り組み漕ぐ用意仕り出船 仕り見請けそうろう処右鯨にて御座そうろう何とぞ繋ぎ留めたく存じ奉りそうらえども、
現代語訳
石見国迩摩郡 吉浦 徳右衛門 この卯年五十三才 吉右衛門 この卯年六十才 佐七 この卯年廿才 宇平太 この卯年三十八才 甚兵衛 この卯年四十六才 政右衛門 この卯年廿七才 吉左衛門 この卯年三十三才 伝七 この卯年三十六才 甚吉 この卯年四十五才 孫平 この卯年四十三才 伝蔵 この卯年四十七才 常七 この卯年廿八才 藤吉 この卯年四十才 重五郎 この卯年四十七才 供述 一、一昨六日に私共が沖で鯨を見付て漕ぎ寄せましたことについて、今浦の船表 御番所様および浦役人らより大森御役所にご報告がなされました。 右の件について視察なさるためお越しになり、「鯨を見付け漕ぎ寄せました経緯を少しも 隠すことなくありのまま申し上げよ、」と、お役人様がお尋ねなさいました。 どうにかして鯨を繋ぎ留めておきたかったのですけれども、 この件については徳右衛門と申すものが鰯がやってきたのでしょうかと山に登り沖の方を見ました ところ壱里半斗(約5~6㎞)の沖で海鳥が夥しく騒いでいましたので不思議に思い申し上げ 流れていた物などは鰯ではないだろうかと思い申し上げ、山から下り浦人たちへこの様子をいいきかせ 船三隻を準備し、この十四人たちが乗り組み漕ぎでる用意をして実際に船をだし、 見申し上げたところ鯨でございました。
6枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
段々風強相成沖中之事殊ニ七つ時より之事ニ御座候得ハ 最早暮ニ茂程近罷成候ニ付当浦之内岩石と申所江 暮時分漸漕込申候ニ付早速今浦船表御番所様幷 浦役人罷出御差図ヲ以右鯨繋留置申候尤番等之義 御番所様より茂厳敷被仰御付早速番船附置申候右之 外相替儀無御座候 右御尋ニ付申上候処少茂相違無御座候以上 明和八年卯十一月八日 吉浦漁師 徳衛門 印 佐吉 印 甚兵衛 印 吉左衛門 印 甚吉 印 伝蔵 印 吉右衛門 印 宇平太 印 政右衛門 印 伝七 印 孫平 印 常七 印 藤吉 印 重五郎 印 柳原平蔵 殿
書き下し文
段々風強く相成り、沖中の事、殊に七つ時よりの事に御座候得ば、 最早暮れにも程近く罷り成りそうろうに付き、当浦の内岩石と申す所へ 暮れ時分漸く漕ぎ込み申しそうろうに付き、早速今浦船表御番所ならびに 浦役人罷り出で、御指図を以て右鯨繋ぎ留め置き申しそうろう尤も番などの義 御番所様よりも厳しく仰せ付けられ早速番船を付け置き申し上げそうろう右の外相替わる儀御座無くそうろう 右お尋ねに付き申し上げそうろう処少しも相違御座無くそうろう以上
現代語訳
段々と風が強くなり、沖の中でのことで、とりわけ七つ時からのことでしたので、 もう日暮れが近くなっていました。このため、当浦の内、岩石という所へ 日暮れ頃に漸く漕ぎ寄せました。そして、早速、今浦船表御番所にお勤めの役人様と 浦役人が出ていらしたので、その指示を受けて、鯨を繋ぎ留め置きました。 もっとも、漕ぎ寄せた鯨を見張る番につきましては御番所様からも見張りをつけることを厳しく仰せ付けられておりますので、 早速見張りの船を置き申し上げました。右のほかには変わった事はございません。 右の証言は御役所からの証言ですので少しも間違いございません。
7枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
右御吟味之趣私共罷出承知仕少茂相違無 御座候以上 吉浦長 清左衛門 印 同年寄 助兵衛 印 差上申一札之事 一 一昨六日吉浦徳右衛門与申もの為鰯見山江登り候処 壱里半斗沖ニ海鳥立騒候ニ付何そ流物茂候哉と 山より下り浦人とも江右之様子申聞則徳右衛門佐吉 甚兵衛吉左衛門甚吉伝蔵吉右衛門宇平太 政右衛門伝七孫平常七藤吉重五郎拾四人之 もの共漁船三艘ニ乗組漕用意等仕早速出船 見届候処流鯨ニ御座候沖ハ風波強可繋留義 茂難相成暮六ツ時漸吉浦之内岩石と 申所江漕入候ニ付今浦船表御番人嶋田幸七様 并浦役人共罷出鯨留置申候而番人等附置 大森銀山方御役所江御注進仕候処
書き下し文
右御吟味の趣き、私ども罷り出で、承知仕り、少しも相違ござなく そうろう、以上 吉浦長 清左衛門 印 同年寄 助兵衛 印 差し上げ申す一札の事 一 一昨六日、吉浦徳右衛門と申すもの、鰯見のため、山へ登りそうろう処、 壱里半斗り沖に海鳥立ち騒ぎそうろうに付き、何そ流れ物も候やと、 山より下り、浦人ともへ右の様子申し聞かせ、則ち徳右衛門、佐吉、 甚兵衛、吉左衛門、甚吉、伝蔵、吉右衛門、宇平太、 政右衛門、伝七、孫平、常七、藤吉、重五郎、拾四人の ものども、漁船三艘に乗り組み漕ぎ用意等仕り、早速出船 見届けそうろう処、流れ鯨ニにござそうろう沖は風波強く、繋ぎ留むべき義 も相成り難く、暮六ツ時漸く吉浦の内岩石と 申す所へ漕ぎ入れそうろうに付き、今浦船表御番人嶋田幸七様 ならびに浦役人共罷り出で、鯨留め置き申しそうろうて番人等附け置き 大森銀山方御役所へ御注進仕りそうろう処、
現代語訳
この御取り調べの趣内容について、私共も出頭して内容を承知したことは、全く相違御ざいません 吉浦長 清左衛門 印 同年寄 助兵衛 印 差し上げ申し上げる報告書のこと。 一 一昨日六日、吉浦の徳右衛門と申すものが、鰯の様子を見るため、山へ登りましたところ、 一里半程度の沖合に海鳥が騒いでおりましたので、何か漂着物でもあるのかと、山より下り、浦人たちにその様子を言って聞かせました。 そして、すぐに徳右衛門、佐吉、甚兵衛、吉左衛門、甚吉、伝蔵、吉右衛門、宇平太、政右衛門、伝七、孫平、常七、藤吉、重五郎、 の十四人のものたちが漁船三艘に乗り組み漕ぐ用意等をして、さっそく船を出して見てみたところ、流れ鯨でございました。 沖は風波が強く、船を繋ぎ留めることもできませんでした。 暮れの六つ時にやっと吉浦のかんぜきまで鯨を漕ぎ寄せましたので、 今浦の船表御番人嶋田幸七様と浦役人たちがやってきて、 鯨をそこに繋ぎ留めて置いて番人などを駐在させ大森銀山方御役所へ報告をしました。
8枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
御見分ニ御越被成直ニ鯨繋置候場所江御出 一通り御見分之上浦中取〆り被仰渡鯨見付候 もの共御吟味被成尚又私共被召出御番人 島田幸七様御一緒ニ再応御見分被成鯨尋数等 委細御改之趣御絵図面之通少茂相違無御 座候惣而鯨者小寒ニ相成候而より取候と内々及 承申候左候得者去冬歟当二月三月之頃ニ茂 取候ものニ御座候哉殊ニ匂ヒ茂甚敷頭尾ハ可成ニ 相分り候得共背腹聢と相分り不申候畢竟 長く海中ニ漂候もの故売船漁船之もの共 見当り次第切取流候ものかと奉存候、有体之 物ニ御座候ニ付直ニ例之通浦々并町場江入札 触廻状御差出被成候御吟味之上落札之もの江 御渡被成候迄者浦役人ハ不及申浦人共代りゝ 昼夜番仕少茂麁末無之様可仕旨厳敷 被仰付承知奉畏候然上ハ少ニ而茂盗とられ
書き下し文
御見分に御越し成され、直ちに鯨繋ぎ置きそうろう場所へ御出で 一通り御見分の上、浦中取〆り仰せ渡され鯨見付けそうろう もの共御吟味成され尚又私共召し出され御番人 島田幸七様御一緒に再応御見分成され、鯨尋数等 委細御改めの趣御絵図面の通り少しも相違御 座無くそうろうそうじて鯨は小寒にあい成りそうろうてより取りそうろうと内々 承りに及び申しそうろう、さそうらえば去る冬か当二月三月の頃にも 取りそうろうものにござそうろうや、ことに匂い甚だしく頭尾はかなりに あい分りそうらえども、背腹しかとあい分り申さずそうろう、ひっきょう 長く海中に漂いそうろうものゆえ売船漁船のものども 見当り次第切り取り流しそうろうものかと存じ奉りそうろう、有体の 物にござそうろうに付き、直ちに例の通り浦々ならびに町場ヘ入札 触れ廻状御差し出し成されそうろう、御吟味の上、落札のものへ 御渡し成されそうろう迄は、浦役人は申すに及ばず、浦人共代りがわり 昼夜番仕り、少しも麁末これ無き様仕るべき旨厳しく 仰せ付けられ、承知畏み奉りそうろう、然る上は少しにても盗みとられ
現代語訳
そうしたところ、(柳原平蔵が)御見分に御越しになられ、すぐに鯨を繋ぎ留めて置いた場所へ出て一通り御見分した上、 浦中を取り締まるよう仰せ渡され鯨をみつけた者たちを吟味なされました。 その上さらに私たち浦役人を召し出し御番人島田幸七様と御一緒に再度御見分をし、 鯨尋数など詳細について取り調べたことは絵図面通り少しも違いございませんでした。 一般的に鯨は小寒の季節になってから取るものであると内々に伝え聞いています。そうい うことなので去年の冬か今年の二月三月の頃にも取ったものでしょうか。とくに匂いはひどく、 頭や尾の部分はよくわかるのですが、背や腹ははっきりとはわかりません。 結局、長く海中に漂っているため売船や漁船に乗った人たちが見つけ次第、(鯨を)切り取って流したものかと思います。 これまでよくあることでございますので、すぐに今までの例と同じように (鯨の買い取り募集)の入札を触れ知らせる廻状を御差し出しになられました。 そして、「(入札する者を)吟味したのち、落札が決まったものに鯨を御渡しになられるまでは、 浦役人は言うまでもなく、浦人たちが交代で日夜(鯨の)番をし、少しも粗末のないようにせよ。」と厳しく命じられ、 (私たちは)つつしんで承知申し上げました。
9枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
候歟何ニ而茂麁末之取計被及御聞候ハヽ 私共何分之儀ニ茂可被仰付候依之御請 印形差上申候以上 明和八年卯十一月八日 石見国迩摩郡 吉浦長 清左衛門 印 同年寄 助兵衛 印 柳原平蔵殿
書き下し文
そうろうか、何にても麁末の取り計らい御聞き及ばれそうらわば、 私共何分の儀にも仰せ付けらるべくそうろう、これに依り、御請け 印形差し上げ申しそうろう、以上、 明和八年卯十一月八日 石見国迩摩郡 吉浦長 清左衛門 印 同年寄 助兵衛 印 柳原平蔵殿
現代語訳
そうであるからには、少しでも盗みとられるか、いずれにしても粗末なあつかいを(お上が)御聞きになられましたら、 私たちにどんな処置でも御命じ下さい。このため承知の押印をした文書を差し上げ申し上げました。 明和八年卯十一月八日 石見国迩摩郡 吉浦長 清左衛門 印 同年寄 助兵衛 印 柳原平蔵殿
10枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
今浦始 福光湊 同釜野 小浜 温泉津 湯湊 馬路 神子路 仁万 宅野 大浦 魚津 和江 鳥井 新田 西川 久手 柳瀬 波根東 嶋津屋迄 〆廿ヶ浦江壱通 吉浦始 黒松 尾浜 浅利 塩田 加戸 江津迄 〆七ヶ浦江壱通 西田町 大家町 銀山町 大森町 川合町 大田南町 大田北町
11枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
鯨長六尋壱尺 横六尺 但右ヲ下タニ致候形 黒身少茂なし 尾肉少も□ 但□ 此所五尺程肉有之 但肉色白キ方飛々赤所有之 此所腹ニ而わたなと不残 出少々残有之分如此ニ出ル
書き下し文
鯨長六尋壱尺 横六尺 但し右を下に致しそうろう形 黒身少しもなし 尾肉少しも□ 但□ 此の所五尺程肉これ有り 但し肉色白き方飛々赤き所これ有り 此の所腹にてわたなど残らず 出少々残之有る分かくの如くに出る
現代語訳
鯨体長六尋壱尺 横六尺 但し右を下にした形 黒身は少しもない。 尾肉は少しも□ 但□ この部分は五尺程肉がある。 但し肉色が白い方。飛々で赤い所がある。 この部分は腹で、内臓などは残らず 出ており、少々残りがある分はこのように出ている。
12枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
此所多骨ニ而 赤肉少しツヽ有之 鰭肉少もなし骨斗 但三尺ホと 此所頭ニ而眼□ 骨斗 差上申一札之事 一 丁銀七百四拾五匁壱分 鯨壱本 弐拾匁 札披キ前せり増 内 拾匁 落札之上吟味増 右者当月六日迩摩郡吉浦江漕込候鯨御払入札被仰触 今日御札披キ被遊私高札ニ御座候得共入札前ニ而難被仰付 糶上増銀之義段々御吟味被仰渡候得共右鯨之義 日数を経候ものニ而取捌候内ニ茂追々腐爛其上
書き下し文
此の所多く骨にて 赤肉少しずつこれ有り 鰭肉少しもなし骨ばかり 但し三尺ほど 此の所頭にて眼□ 骨ばかり 差し上げ申す一札の事 一 丁銀七百四拾五匁壱分 鯨壱本 弐拾匁 札披き前せり増し 内 拾匁 落札の上吟味増し 右は当月六日迩摩郡吉浦へ漕ぎ込みそうろう鯨御払い入れ札仰せ触れられ 今日御札披き遊ばれ私高札に御座そうらえども、入れ札前にて仰せ付けられ難く せり上げ増し銀の義段々御吟味仰せ渡されそうらえども、右鯨の義 日数を経そうろうものにて、取り捌きそうろう内にも追々腐爛其の上
現代語訳
この部分は多くが骨で、 赤肉が少しずつある。 鰭肉は少しもなく骨ばかりである。 但し三尺ほど。 この部分は頭で、眼□ 骨ばかりである。 差し上げ申し上げるせりの札のこと 一、丁銀七百四十五匁壱分 鯨壱本 二十匁 札を披く前のせり増し分 その内 十匁 落札の上に吟味の増し分 右は今月六日に迩摩郡吉浦に漕ぎ入れた鯨の肉を、お払い下げになられるため、入札をご周知なさいました。 今日、札をお開きなされ、私が高札でございましたが、 札を入れる前にはおっしゃりにくかった入札価格のせり上げについて吟味を命じになられました。 しかしその鯨は(死んでから)日数が経っているので、取り捌いている間にも、段々と腐敗していく上、
13枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
小鯨殊ニ切流故肉茂薄く御座候故 入札吟味之外 一向増銀難仕段申上候得共 御吟味増無之候而者 不被仰付旨段々利害被仰聞候ニ付 書面之通り 増銀可仕候此上少二而茂相増引請候望一向無御座候間 縦弐番札三番札御吟味之上相増落札被仰付候而茂 私ニおゐて一向申分無御座候依之奉書付差上ゲ 候以上 迩摩郡吉浦 卯十一月十二日 落札人 清左衛門 銀山方 御役所 差上申一札之事 一吉浦江漕込候鯨入札被仰触今日御札披キ御座候処 私三番札ニ付被仰渡候ハ此上せり込増銀仕候ハヽ 私江可被仰付候間増銀可仕旨再応御吟味被仰 渡候得共随分せり込入札仕其上御札披キ前格
書き下し文
小鯨殊に切れ流し故肉も薄く御座そうろう処入札吟味の外 一向増銀仕り難き段申し上げ候えども、御吟味増しこれ無く候ては 仰せ付けられざる旨段々利害仰せ聞けられ候に付き、書面の通り 増銀仕るべく候、此の上少しにても相増し引き請け候望み一向御座無く候間 縦い弐番札三番札御吟味の上、相増し落札仰せ付けられ候ても、 私において一向申し分御座無く候、之依り書き付け差上げ奉り 候以上 迩摩郡吉浦 卯十一月十二日 落札人 清左衛門 銀山方 御役所 差し上げ申す一札の事 一つ、吉浦へ漕ぎ込み候鯨入れ札仰せ触れられ、今日御札披き御座候処、 私三番札に付き仰せ渡され候は、この上せり込み増銀仕り候わば、 私へ仰せ付けらるべく候間、増銀仕るべき旨再応御吟味仰せ 渡され候えども、随分せり込み入れ札仕り、その上御札披き前、格
現代語訳
鯨が小さく、切れ流しの物であるので、肉は薄いのでございます。 そのため当初の入札額より 更に値上げすることは出来ないと申し上げました。 しかし、値上げしなければ払下げはしがたいと説得されたので、 書面の通り増額することに同意致します。 これよりは少しも増額するという望みはありませんので、 たとえ二番札、三番札の者が吟味を受けて落札価格を引き上げ、 落札人が変 わったとしても、私はこれについて異論はございません。 以上について書き上げを申し上げるものでございます。 迩摩郡吉浦 卯十一月十二日 落札人 清左衛門 銀山方 御役所 差し上げ申します一札の事 一つ、吉浦へ入れた鯨の入札のお知らせがあり、 今日入札の公開がございましたが、 私は三番目に高い値で入札していました。そこでおっしゃられたのは、 これ以上にせり上げて値を付ければ、 私へお払い下げになるということで、増額することを検討するように何度も仰せられました。 しかし、随分せり上げて入札し、その上入札の公開前に格別に 頑張って高値を付けた仕儀にございまして、これ以上は少しも 増額する望みはございません。これをもって文書を差し上げます。 以上 卯十一月十二日 大森町 次兵衛 銀山方 御役所
14枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
別 出情増銀等も仕候義ニ御座候得者此上少シニ而茂 相増引請候望一向無御座候依之書付奉差 上候以上 卯十一月十二日 大森町 次兵衛 銀山方 御役所
差上申一札之事 一吉浦江漕込候鯨入札被仰触今日御札披キ御座候処 私弐番札ニ付被仰渡候者此上せり込増銀仕候ハヽ 私江可被仰付候間増銀可仕旨再三御吟味被仰渡 候得共随分せり込入札仕其上御札披前格 別せり増等仕候儀ニ御座候得者此上少ニ而茂 相増引請候望一向無御座依之書付奉差 上候以上
書き下し文
別 出情増銀等も仕り候義に御座候えば、この上少しにても 相増し引き請け候望み一向御座なく候、これにより書き付け差し 上げ奉り候、以上 卯十一月十二日 大森町 次兵衛 銀山方 御役所
差し上げ申す一札の事 一吉浦へ漕ぎ込みそうろう鯨入札仰せ触れられ、今日お札披き御座そうろう処 私二番札に付き仰せ渡されそうろうは、この上せり込増銀仕りそうらはば 私へ仰せ付けらるべくそうろう間、増銀仕るべき旨再三御吟味仰せ渡され そうらえども、随分せり込入札仕り其上御札披き前、格 別せり増等仕りそうろう儀ニ御座そうらえばこの上少しにても 相い増し引請けそうろう望一向ござなく、これにより書付差し上げ奉り そうろう以上
現代語訳
格別に 頑張って高値を付けた仕儀にございまして、これ以上は少しも 増額する望みはございません。これをもって文書を差し上げます。以上 卯十一月十二日 大森町 次兵衛 銀山方 御役所
差し上げ申します一点の文書でございます 一、吉浦へ漕ぎ入れられた鯨売却のお知らせがあったことについて、今日お札披きがありました。 私は二番目に高い値だったので、「私に鯨を渡すので、もう少し値を上げてはどうか」と再三言われました。 しかしながら、すでに高い値で入札しその上札開き前に特別にせり上げておりましたので、 お札披き後にこれ以上値を上げることはできません。 これ以上少しでも高い値にして落札人になるという望みは全くありません。 よってこの書付をお渡しいたします。
15枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
吉浦 仲右衛門 卯十二月一二日 銀山方 御役所 差上申一札之事 一丁銀七百四拾五匁壱分
書き下し文
吉浦 仲右衛門 卯十二月一二日 銀山方 御役所 差し上げ申す一札の事 一丁銀七百四拾五匁壱分
現代語訳
吉浦 仲右衛門 卯十二月一二日 銀山方 御役所 差し上げ申します一点の文書でございます。 一丁銀七百四拾五匁壱分
16枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
内 六百七拾匁五分九厘 取揚候者江御定之通被下候分 残七拾四匁五分壱厘 十歩一御運上 外壱匁七分九厘 歩合銀 此判銀 右者此度吉浦江漕込候鯨入札被仰触今日御札 披キ被遊候処私落札ニ付右代銀之義来辰二月 廿二日限少茂無不足急度上納可仕候万一右日限 少ニ而茂相滞候ハヽ請相人より弁上納可仕候為其 請相人連印を以書付奉差上候以上 明和八年卯十一月十二日 落札人吉浦 清左衛門 請相人同浦
惣右衛門
同浦年寄 助兵衛 銀山方 御役所
書き下し文
内 六百七拾匁五分九厘 取り揚げ候者へ御定めの通り下され候分 残り七拾四匁五分壱厘 十歩一御運上 外壱匁七分九厘 歩合い銀 此の判銀 右は、此の度吉浦へ漕ぎ込み候鯨入れ札仰せ触れられ今日御札 披き遊ばされ候処、私落札に付き右代銀の義来たる辰二月 二十二日限り少しも無足無くきっと上納仕るべく候、万一右日限 少しにても相滞り候わば請相人より弁上納仕るべく候、其の為め 請相人連印を以て書き付け差し上げ奉り候、以上 明和八年卯十一月十二日 落札人吉浦 清左衛門 請相人同浦 惣右衛門 同浦年寄 助兵衛 銀山方
御役所
現代語訳
その内 六百七拾匁五分九厘 捕獲した人たちにお定めの通りにお金が下されることになった分です。 残りは七拾四匁五分壱厘 十分の一の価格を上納しました。 ほかに壱匁七分九厘 歩合い銀 この判銀 右は、此の度吉浦へ漕ぎ入れられた鯨の売却についてお知らせがあり、 今日お札披きがありました。 そして、私が落札したので来年辰の二月までに間違いなく少しも不足ないよう上納いたします。 万一、右の日にちまでに支払いが少しでも滞れば、請相人の方から上納いたします。 そのため、請相人は連印をもって書き付けを差し上げます。以上。 明和八年卯十一月十二日 落札人吉浦 清左衛門 請相人同浦 惣右衛門 同浦年寄 助兵衛 銀山方 御役所
17枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
書き下し文
現代語訳
18枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
書き下し文
現代語訳
19枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
書き下し文
現代語訳
20枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
書き下し文
現代語訳
21枚目(全21枚の内)
文書画像と釈文
書き下し文
借用申す銀子のこと 丁銀二拾五貫目なり 但し申三月元日十二月切 利ノ分一割半ニシテ 右は二の丸お蔵入り米我ら共へ、仰せつけられ候ところ 才覚相ならず。貴殿へ御頼み申し入れ候へば、前書の銀御貸し 下され、たしかに借用つかまつり、米上納仕り候所、実正なり、しかる上は三月より 十二月まで一割半の加利にて元利不足なく返済仕るべく候 万一本人不埒仕り候はば、請け人より日限にきっとらち明け申すべく候 返弁方の儀ご念を入れられ候につき、この月当神門郡にて二十 四ヵ村より別紙証文相渡し候とおり少しも相違なく返弁仕るべく候 かようあい定め候上はたとえいかようの不慮新規 御国法しゅったい候とも、もうとう相違申すまじく候条後日 請け人ならびにお役所御奥書きこれを取り相渡し申すところ よって件のごとし 前書きのとおり承り届けお返弁の儀 相違これ無きよう きっと申しつくべく候御奥書き件のごとし
現代語訳
松江城ニの丸のお蔵入り米を私どもに仰せつけられたけれども 算段がつきませんので、あなた様へ御頼みいたしましたところ、前書きの銀子をお貸し くださることにことになり、たしかに受け取りました。 お借りしたうえは、3月から12月まで1割半の利息で元利ともに不足なく返済いたします。 万一私ども借主がお返しできなかった時には、請け人が日限迄にきっとお返し致します。 間違えなくお返しいたします。返済について御念を入れられたので、宝暦14年11月、神門郡にて 24ヵ村より別紙証文をお渡しした通り、少しも相違無くお返し致します。 このように決めたうえは、いかなる別の新しい法律ができたとしても、間違えなくお返し致します。以上の通り、後日、 請け人及びお役所の奥書きを取りお渡ししました。 宝暦14年申4月(明和元年・1764年)[2]
ニの丸お蔵入り米を才覚できず、丁銀25貫目の借用申し込みをする。 これによって米を上納した 3月~12月まで一割半の利で返済を約束する
■借主 雲州神門郡大津の山田又右衛門、森廣幾太
■保証人 雲州郡知伊宮の山本仁兵衛、杵築の藤間久左衛門、松江の森脇甚右衛門
■貸主 西田屋幾六、角屋庄十郎
■松江藩勝手方役人、奉行が連著保証の奥書きをしている
勝手方役人 和田理八、岡本彦助、田中幸平、後藤九兵衛、荒井助市
勝手方奉行 磯崎丈太夫、湯川治兵衛、山本覚兵衛
脚註
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