浜原村の売渡證文

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
2016年11月10日 (木) 03:34時点におけるSakurae (トーク | 投稿記録)による版 (→‎2枚目(全6枚の内))
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目録番号:ま1-2

担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ

担当:古文書に親しむ会 in 桜江

担当:古文書に親しむ会 in 松江


文書画像と釈文・書き下し文

1枚目(全6枚の内)

P1030116.JPG

(端裏書)「久喜原養宗寺」

売渡シ申畑方林山之事

所ハ久喜原村おそをおくしたい取
    (印)
 一畑方三舛前
所ハ同断(印)
 一林山壱ケ所        但シ境目 かみハ平十郎ゟ御買被成候
                    山境しもハ長庵ゟ此度
                    買被成候山境そらハ大そね
                    限りしたハ谷限此内
    (印)             何而も無残り成
 一山役銀壱分 但シ判銀也
 〆    (印)
  此代丁銀四百目定                
右者要用銀子指支申ニ付貴殿へ断申候得者
私抱所書面之畑方林山売渡シ代丁銀四百目
慥ニ請取申候只今迄之御公納諸払等迄相済し御
公儀表内証共ニ少シ茂相障り無御座候故売渡シ
申候然上ハ当申年ゟ御公儀御年貢并ニ地下入用
等迄貴殿ゟ御勤被成御才判可被成候


(端裏書)「久喜原村養宗寺」
売り渡し申す畑方林山の事

所は久喜原村おそをおくしたい取
   (印) 
一畑方三舛前
所は同断
    (印)
一林山壱ケ所    但し境目 かみは平十郎より御買いなされそうろう
               山境、しもは長庵よりこのたびお
               買いなされそうろう山境、そらは大そね
               限り、したは谷限り、この内
   (印)          何にても残りなきなり、(印)
一山役銀壱分 但し判銀なり
〆     (印) 
 この代丁銀四百目に定む
右は要用銀子さしつかえ申すに付き、貴殿へ断り申しそうらえば、
私抱え所書面の畑方・林山売渡し、代丁銀四百目
たしかに請け取り申しそうろう、只今までの御公納諸払いなどまで相済まし御
公儀表、内証共に少しもあい障り御座なくそうろうゆえ、売り渡し
申しそうろう、然る上は当申年より御公儀御年貢并に地下入用
などまで、貴殿より御勤め成され御才判成さるべくそうろう、


2枚目(全6枚の内)

P1030117.JPG

尤三年目戌ノ十
月廿五日限ニ本銀四百匁返済仕り候ハヽ右畑谷方林山共ニ
御返し可被下候請返し仕候共只今有毛上は者へ之分ハ
御切取可被成候若右日限ニ本銀相定不申候ハヽ流地ニ
相成候定別紙不及捨証文此証文ヲ以幾々
貴殿御抱所可被成候其時我等儀ハ不及申候子々
孫々指相より少し茂出入ケ間敷儀一切無御坐候
為後念村役人証人連判ヲ以畑林山売
証文相渡し申所仍而如件

    宝暦拾四年      売り人久喜原村
     甲申四月           養宗寺(印)
               証人同村
                   重右衛門(印)
               同 同 三右衛門(印)
               同 同 儀助 (印)
               同 同 久兵衛(印)
                頭百姓 利重郎(印)
          浜原村  同村庄屋 庄左衛門(印)
            西田屋 幾六殿 

 

尤も三年目戌の十月二十五日限りに、本銀四百匁返済仕り候わば、
右畑谷方林山共に御返し下さるべく候。請け返し仕り候共、只今
有る毛上壱はへの分は御切り取り成さるべく候。若し右日限に本銀
相定申さず候わば流地に相成り候、定て別紙捨て証文に及ばず、
此の証文を以て幾々貴殿御抱所に成さるべく候。其の時我等儀は申すに
及ばず子々孫々指相より少しも出入りがましき儀一切
御坐なく候。後念の為め村役人証人連判を以て畑林山売り証文相
渡し申す所、よって件の如し。 

3枚目(全6枚の内)

P1030121.JPG

4枚目(全6枚の内)

P1030122.JPG

5枚目(全6枚の内)

P1030124.JPG

6枚目(全6枚の内)

P1030125.JPG     

書き下し文

借用申す銀子のこと

 丁銀二拾五貫目なり   但し申三月元日十二月切
               利ノ分一割半ニシテ

右は二の丸お蔵入り米我ら共へ、仰せつけられ候ところ
才覚相ならず。貴殿へ御頼み申し入れ候へば、前書の銀御貸し
下され、たしかに借用つかまつり、米上納仕り候所、実正なり、しかる上は三月より
十二月まで一割半の加利にて元利不足なく返済仕るべく候
万一本人不埒仕り候はば、請け人より日限にきっとらち明け申すべく候
返弁方の儀ご念を入れられ候につき、この月当神門郡にて二十
四ヵ村より別紙証文相渡し候とおり少しも相違なく返弁仕るべく候
かようあい定め候上はたとえいかようの不慮新規
御国法しゅったい候とも、もうとう相違申すまじく候条後日
請け人ならびにお役所御奥書きこれを取り相渡し申すところ
よって件のごとし

前書きのとおり承り届けお返弁の儀 相違これ無きよう
きっと申しつくべく候御奥書き件のごとし


現代語訳

松江城ニの丸のお蔵入り米を私どもに仰せつけられたけれども 算段がつきませんので、あなた様へ御頼みいたしましたところ、前書きの銀子をお貸し くださることにことになり、たしかに受け取りました。 お借りしたうえは、3月から12月まで1割半の利息で元利ともに不足なく返済いたします。 万一私ども借主がお返しできなかった時には、請け人が日限迄にきっとお返し致します。 間違えなくお返しいたします。返済について御念を入れられたので、宝暦14年11月、神門郡にて 24ヵ村より別紙証文をお渡しした通り、少しも相違無くお返し致します。 このように決めたうえは、いかなる別の新しい法律ができたとしても、間違えなくお返し致します。以上の通り、後日、 請け人及びお役所の奥書きを取りお渡ししました。 宝暦14年申4月(明和元年・1764年)[1]

ニの丸お蔵入り米を才覚できず、丁銀25貫目の借用申し込みをする。 これによって米を上納した 3月~12月まで一割半の利で返済を約束する

■借主 雲州神門郡大津の山田又右衛門、森廣幾太

■保証人 雲州郡知伊宮の山本仁兵衛、杵築の藤間久左衛門、松江の森脇甚右衛門

■貸主 西田屋幾六、角屋庄十郎

■松江藩勝手方役人、奉行が連著保証の奥書きをしている

    勝手方役人 和田理八、岡本彦助、田中幸平、後藤九兵衛、荒井助市

    勝手方奉行 磯崎丈太夫、湯川治兵衛、山本覚兵衛


脚註

  1. 脚註のダミーです。


コメント

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