「浜田領渡利村書付」の版間の差分
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+ | 当御料浜原村の幾六への訴えである。この民事訴訟のことは | ||
+ | 西田屋久左衛門から右の幾六へ渡しておきました譲り証文に | ||
+ | 私たち村役人の判がしてあったことで、先日大森代官に召し出され右の証文 | ||
+ | の事について事情聴取を受け知っていることを全て話しましたところ、 | ||
+ | もう一度召し出されより詳しく御吟味を受けました。右の譲り証文に私たちの判がございますのは、 | ||
+ | 幾六、代吉の知己の者で幾六から頼まれ | ||
+ | 判を押したそうで、幾六と通じ合ってはかりごとをなそうとしていることを藤左衛門が訴え出た。 | ||
+ | 差し上げました文書のおっしゃることは私も承知しました。 | ||
+ | ならびに、幾六に渡された譲り証文に間違いはないという事は、 | ||
+ | 別紙のご吟味口書きに申し上げた通りです。 | ||
+ | しかしながら、私たちは役職を務めていて、時々は代官の大切な御用も勤めたり、 | ||
+ | 村方の事も治めるような役筋であるのに、他領の藤座衛門から謀り事を企てている村役人共と御上に申し立てられては、 | ||
+ | 御上の思し召しも甚だ恐れ多く、又、村内の取り治めもできなくなり、 | ||
+ | 全く村役人の役目も難しくなります。藤左衛門が、右のような謀り事を企んだなどと申すのは、どのような訳なのでしょうか。 | ||
+ | このことについて、藤左衛門をご吟味してください。 | ||
+ | 私たちの仕事が成り立つように、幾重にも御勘弁くださるよう、お願い致します。以上。 | ||
== 脚註 == | == 脚註 == |
2017年1月16日 (月) 12:00時点における版
目録番号:
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
文書画像・釈文・書下し文
1枚目(全5枚の内)
乍恐以書付御願申上候 一 大貫村西田屋之儀二付浜田御領渡里村藤左衛門 より当御料浜原村幾六江相掛候出入之儀 西田屋久左衛門より右幾六へ相渡置候。譲証文二 私共役判仕候二付先達而被召出右譲証文 之義御尋ニ付有掛逐一申上候所此度被召出 御吟味被仰聞候右譲証文二私共加判仕候ハ 私とも幾六代吉縁合之もの故幾六ゟ被相頼 加判仕候義二而幾六与馴合謀計相工み候旨藤左衛門 差上候書付之趣被仰聞承知仕右縁合之訳
恐れながら書き付けを以て御願い申し上げ候 一 大貫村西田屋の儀に付き浜田御領渡里村藤左衛門 より当御料浜原村幾六へ相掛かり候。出入りの儀 西田屋久左衛門より右幾六へ相渡し置き候。譲り証文に 私ども役判仕り候に付き、先だって召し出され、右譲り証文 の義お尋ねに付き有り掛かり逐一申し上げ候所、この度召し出され 御吟味仰せ聞けられ候。右譲り証文に私ども加判仕り候は 私ども幾六、代吉縁合のもの故幾六より相頼まれ 加判仕り候義にて、幾六と馴れ合い謀計相工み候旨、藤左衛門 差し上げ候書き付けの趣仰せ聞けられ承知仕り、右縁合之訳
2枚目(全5枚の内)
并譲証文相違無之段ハ別紙御吟味口書ニ 役義 申上候然ル処私義 相勤候得者時々大切成 御用向相勤并村方取納も仕候役筋ニ御坐候所 他領之藤座衛門ゟ謀計相工ミ候村役人共と御上ミ 被申立候而者御上之思召之程も甚恐多 猶又村内取納も不相成一向役筋難相立 義ニ御坐候へ者右謀計相工ミ候与申訳合 何様之義ヲ以右体藤座衛門申立候哉此段 藤左衛門御吟味被成下私共役筋相立候様 幾重ニも御勘弁奉願上候以上 申 五月 庄屋 幸十郎 百姓代 重五郎 会田伊右衛門 様 御役所
ならびに譲り証文相違これなき段は別紙御吟味口書に 申し上げ候。然る処私義役義相勤め候えば、時々大切成る 御用向相勤め、ならびに村方取り納めも仕り候役筋に御坐候所 他領の藤左衛門より謀計工み候村役人共と御上み 申し立てられ候ては、御上の思し召しの程も甚だ恐れ多く 猶又村内取り納めも相成らず、一向役筋相立ち難き 義に御坐候えば、右謀計相工み候と申す訳合 いかようの義を以って右体藤座衛門申し立て候や、この段 藤座衛門御吟味成し下され、私共役筋相立ち候様 幾重にも御勘弁願い上げ奉り候 以上 申 五月 庄屋 幸十郎 百姓代 重五郎 会田伊右衛門 様 御役所
3枚目(全5枚の内)
4枚目(全5枚の内)
5枚目(全5枚の内)
現代語訳
恐縮ですが文書を持ちまして御願い申し上げます。 一 大貫村西田屋のことで浜田御領渡里村藤左衛門から 当御料浜原村の幾六への訴えである。この民事訴訟のことは 西田屋久左衛門から右の幾六へ渡しておきました譲り証文に 私たち村役人の判がしてあったことで、先日大森代官に召し出され右の証文 の事について事情聴取を受け知っていることを全て話しましたところ、 もう一度召し出されより詳しく御吟味を受けました。右の譲り証文に私たちの判がございますのは、 幾六、代吉の知己の者で幾六から頼まれ 判を押したそうで、幾六と通じ合ってはかりごとをなそうとしていることを藤左衛門が訴え出た。 差し上げました文書のおっしゃることは私も承知しました。
ならびに、幾六に渡された譲り証文に間違いはないという事は、 別紙のご吟味口書きに申し上げた通りです。 しかしながら、私たちは役職を務めていて、時々は代官の大切な御用も勤めたり、 村方の事も治めるような役筋であるのに、他領の藤座衛門から謀り事を企てている村役人共と御上に申し立てられては、 御上の思し召しも甚だ恐れ多く、又、村内の取り治めもできなくなり、 全く村役人の役目も難しくなります。藤左衛門が、右のような謀り事を企んだなどと申すのは、どのような訳なのでしょうか。 このことについて、藤左衛門をご吟味してください。 私たちの仕事が成り立つように、幾重にも御勘弁くださるよう、お願い致します。以上。
脚註
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