「大貫村丑年村入用帳」の版間の差分
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村高百九拾弐石五斗壱升四合 | 村高百九拾弐石五斗壱升四合 | ||
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右者大貫村丑正月ゟ | 右者大貫村丑正月ゟ | ||
十二月迄村入用之品々 | 十二月迄村入用之品々 |
2015年11月24日 (火) 11:30時点における版
目録番号:
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
文書画像,釈文,書下し文
1枚目(全6枚の内)
宝暦八年 石見国邑智郡大貫村丑年村入用帳 寅
2枚目(全6枚の内)
覚 一銀三匁四分四り 是ハ牢番給米五升六合代 一同弐拾目五分 是ハ大家組座頭こせ 飯米三斗九升四合弐勺 代丑二月渡シ分 一同六匁壱分弐り 是ハ去ル子閏十一月ゟ丑ノ 六月迄伝馬場入用郡中 割大森六右衛門江相渡申候 一 同弐拾目七分九り 是ハ御役所修復入用 品々郡中割御役所江上 納仕候 一 同弐拾目五分 是ハ大家組座頭こせ 飯米三斗九升四合弐勺 代丑六月渡シ分
覚 一銀三匁四分四り 是は牢番給米五升六合代 一同弐拾目五分 是は大家組座頭ごぜ 飯米三斗九升四合弐勺 代丑二月渡し分 一同六匁壱分弐り 是は去る子閏十一月より丑の 六月まで伝馬場入用郡中 割り大森六右衛門へ相渡し申しそうろう 一 同弐拾目七分九り 是は御役所修復入用 品々郡中割、御役所へ上納仕りそうろう 一 同弐拾目五分 是は大家組座頭ごぜ 飯米三斗九升四合弐勺 代、丑六月渡し分
3枚目(全6枚の内)
一 同拾九匁 拾匁 伊勢 内 五匁 杵築 弐匁 高野 弐匁 熊野 五穀豊饒為祈祷前々 上ヶ来申候 一 同拾九匁八分七り 是ハ大家組座頭無こせ 飯米三斗八升弐合壱勺 代十月渡シ分 一 同拾九匁五分 是ハ村役人百性代 大森郷宿賄代 十五泊分 一 同拾八匁 是ハ御用諸書帳面仕立候 筆墨紙代百性立会 入用等如斯相定庄屋 方へ相渡申候
一 同拾九匁 拾匁 伊勢 内 五匁 杵築 弐匁 高野 弐匁 熊野 五穀豊饒祈祷のため前々より上げ来たり申しそうろう 一 同拾九匁八分七り これは大家組座頭こせ 飯米三斗八升弐合壱勺 代十月渡し分 一 同拾九匁五分 これは村役人百性代 大森郷宿賄い代 十五泊分 一 同十八匁 これは御用諸書帳面仕立てそうろう 筆墨紙代、百性立会 入用等かくのごとくあい定め、庄屋 方へあい渡し申しそうろう
4枚目(全6枚の内)
一 同三拾目 下夫給銀 是ハ御用御廻状持送り 触催促等仕候給銀如レ此 相究相渡申候 一 同三拾目 是ハ僧社人荷物送り 并年諸往来者世話賃等 如レ此相究相渡申候 一 同百目分 是ハ庄屋壱歩米壱石 九斗弐升五合代但壱石ニ付 五十二匁かへ 一 同七拾弐匁三分六り 是ハ去丑春川除入用 一 同七拾目 是ハ当村浅平亀右衛門 申者へ右之賃銀相渡 年中猪鹿防仕候 尤百姓共も立会候而 方々狩仕候
一 同三拾目 下夫給銀 是は御用御廻状持たせ送り 触れ催促仕りそうろう給銀此くの如く 相究め相渡し申しそうろう 一 同三拾目 是は僧社人荷物送り ならびに諸往来者世話賃等 此くの如く相究め相渡し申し候 一 同百目分 是は庄屋壱歩米壱石 九斗弐升五合代、但し壱石に付き 五十二匁かへ 一 同七拾弐匁三分六り 是は去る丑春川除け入用 一 同七拾目 是は当村浅平亀右衛門 申す者へ右の賃銀あい渡し、 年中猪鹿防ぎ仕しそうろう、 もっとも百姓共も立ち会いそうろう、しかるに 方々狩仕そうろう
5枚目(全6枚の内)
一 同壱匁八厘 是ハ銀山大森座頭こせ 飯米一升七合九勺ニ才代 丑二月六月十月三度分 〆四百九拾六匁弐分六厘 村高百九拾弐石五斗壱升四合 但壱石ニ付弐匁三分七厘 右者大貫村丑正月ゟ 十二月迄村入用之品々 書面之通り其時々 私共立会割賦仕相 違無御座候尤右之外 村入用一切無御座候若 右入用之儀ニ付御願ヶ間 敷儀申出候ハヽ私共何分 之儀ニも可被仰付候為其 村中連判帳面差 上ヶ申候以上
一 同壱匁八厘 是は銀山大森座頭こせ 飯米壱升七合九勺二才代 丑二月六月十月三度分 〆四百九拾六匁弐分六厘 村高百九拾弐石五斗壱升四合 但し壱石に付き弐匁三分七厘 右は大貫村丑正月より 十二月まで、村入用の品々 書面の通り其の時々 私共立ち会い割賦仕り相 違御座無くそうろう。尤も、右の外 村入用一切御座無くそうろう。若し 右入用の儀に付き御願いがま しき儀申し出でそうらわば、私共何分 の儀にも仰せ付けらるべくそうろう。其の為、 村中連判帳面差し 上げ申しそうろう、以上。
6枚目(全6枚の内)
現代語訳
これはお役所の修復に使う諸費用を、銀山領の村々に割り当てられた金額の自村負担分、お役所へ上納しました。 これは大家組の座頭(盲目の男性、女性)の飯米三斗九升四合弐勺 丑年六月に渡した分の代金です。 五穀豊饒の祈祷のために前々から上納して来ております。 一 同じく十九匁八分七厘 これは大家組の座頭とごぜに対し、食料米三斗八升二合一勺を十月に配給したものの 代金である。 一 同じく十九匁五分 これは村役人と百姓代が、大森の郷宿に宿泊するために支給したものの代金十五泊分である。 一 同じく十八匁 これは御用に関わる諸帳面を仕立てましたので、筆と墨や紙に必要な費用を百姓の立ち会いの下でこのように決定し、庄屋方へ渡し申し上げたものです。 一、 同じく三拾目 下夫に支給した銀についてです。 これは御用のため、御廻し状を持たせ送らせたり、 お触れや催促などをするものへ支給した銀をこのよう決めてお渡ししました。 一、 同じく三拾目 これは僧や社人の荷物を送ったり、行き来する者の世話をしたりする賃銀として、 このように決めてお渡ししました。 一、 同じく百目壱分 これは庄屋の一歩米である壱石、九斗弐升五合の代金です。 但し、一石ごとにつき五十二匁と換算いたしました。
一 同じく七十二匁三分六り これは去る丑年の春の川除けに使ったものの代金である。 一 同じく七十目 これは当村の浅平と亀右衛門と申す者に右の賃銀を渡し、一年間猪や鹿を防ぐようにしたものである。 もっとも、百姓達の立ち合いの下で彼らは狩りをあちこちで行いました。 一 同じく一匁八厘 これは銀山町・大森町の座頭とごぜに対し、食料として米一升七合九勺二才を配給したものの代金で、 丑の年の二月、六月、十月の三度の支給分である。 〆以上四百五十六匁二分六厘、 村高は百九十二石五斗一升四合である。 ただし一石につき二匁三分七厘である。
脚註
コメント
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