「竹村と地頭所村の証文」の版間の差分

提供:石見銀山領33ヵ寺巡り
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      弐年季本銀戻シ売渡申田畑草山之事
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所ハ地頭所村六百田    但境かミハ徳右衛門分五百田境しも畑境
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一、田方弐石七斗弐升前  うへ者道境沖ハ川限り此内
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                      無残
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所ハ同村同所       但境かミハ此度渡ス田境しもハ徳右衛門
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一、畑方五斗八升前    畑石ならべ有之所境うへハ道境
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             したハ川限り此内無残
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所ハ同村同所       但境かミハ徳右衛門山大岩限しもしたハ
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一、山壱ヶ所       ゑこ限同そらハ尻なし曽根
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             限大段之かた小谷村金三郎山境したハ
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                      横道境此内無残
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田畑合三石三斗前 古證文弐札相添渡
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  此代丁銀壱貫三百六拾目只今慥ニ請取申候
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    弐年季本銀戻し売り渡し申す田畑草山の事
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所は地頭所村六百田
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一、田方弐石七斗弐升前
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但し、境かみは徳右衛門分五百田、境しも畑境、うへは道、境沖は川限り、この内残り無く
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所は同村同所
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一、畑方五斗八升前
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但し、境かみは此の度渡す田、境しもは徳右衛門畑石ならべこれ有る所、境うへは道、境
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したは川限り、この内残り無く
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所は同村同所
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一、山壱ヶ所
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但し、境かみは徳右衛門山大岩限、しもしたはゑこ限、同そらハ尻なし曽根限、
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大段のかた小谷村金三郎山境、したは横道境、この内残り無く
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田畑合三石三斗前  古証文弐札相添渡す
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この代丁銀壱貫三百六拾目只今慥ニ請取申し候
  
 
=== 4枚目(全6枚の内) ===
 
=== 4枚目(全6枚の内) ===

2017年5月30日 (火) 02:52時点における版

目録番号:ま

担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ


文書画像と釈文、書き下し文

1枚目(全6枚の内)

1030129.JPG

     

2枚目(全6枚の内)

1030130.JPG

右者前々諸払方不相成ニ附地頭所村ニ所持仕候
田畑山質入ニ致置候処銀子返済不相成ニ附此度
得心之上田畑山地之上之もの何ニ而茂無残リ流地ニ
致申候然上者当戌之年ゟ御公儀様御役目
者不及申ニ村入用等貴殿ゟ相勤御裁判可
被成候尤去酉御年貢皆済迄者私方ゟ御
上納可仕候ケ様ニ得心之上流地ニ致シ申候得者
私儀者不申ニ及一門子孫ニ至迄少茂難渋
出入ケ間敷儀申もの無御座候為後念村役人
加判を以田畑山流地証文相渡シ申所依而如件
宝暦四年甲戌二月     田畑山流地河本
                    吉兵衛(印)
              同証人河本   
                    清兵衛(印)
              同小谷村
                    金三郎(印)
              同吾郷村湊
                    徳右衛門(印)
              同地頭所村
                    安兵衛(印)
              同頭百性
                    甚兵衛(印)
              同庄屋
                    貞右衛門(印)
       竹
         八郎兵衛殿


右は、前々諸払方相成らざるに附き、地頭所村に所持仕り候
田畑山質入れに致し置き候処、銀子返済相成らざるに附き、此の度
得心の上、田畑山地の上のもの何にても残り無く流れ地に
致し申し候。然る上は、当戌の年より御公儀様御役目
は申すに及ばず、村入用等貴殿より相勤め御裁判
成さるべく候。尤も、去る酉御年貢皆済迄は私方より御
上納仕るべく候。か様に得心の上、流れ地に致し申し候えば、
私儀は申すに及ばず、一門子孫に至る迄少しも難渋
出入がまじき儀申すもの御座無く候。後念の為、村役人
加判を以って田畑山流れ地証文相渡し申す所、依って件の如し。


3枚目(全6枚の内)

1030132.JPG

     弐年季本銀戻シ売渡申田畑草山之事

所ハ地頭所村六百田    但境かミハ徳右衛門分五百田境しも畑境
一、田方弐石七斗弐升前  うへ者道境沖ハ川限り此内
                      無残

所ハ同村同所       但境かミハ此度渡ス田境しもハ徳右衛門
一、畑方五斗八升前     畑石ならべ有之所境うへハ道境
             したハ川限り此内無残

所ハ同村同所       但境かミハ徳右衛門山大岩限しもしたハ
一、山壱ヶ所        ゑこ限同そらハ尻なし曽根
             限大段之かた小谷村金三郎山境したハ
                      横道境此内無残

田畑合三石三斗前 古證文弐札相添渡
  此代丁銀壱貫三百六拾目只今慥ニ請取申候
   弐年季本銀戻し売り渡し申す田畑草山の事
所は地頭所村六百田
一、田方弐石七斗弐升前
但し、境かみは徳右衛門分五百田、境しも畑境、うへは道、境沖は川限り、この内残り無く

所は同村同所
一、畑方五斗八升前
但し、境かみは此の度渡す田、境しもは徳右衛門畑石ならべこれ有る所、境うへは道、境
したは川限り、この内残り無く

所は同村同所
一、山壱ヶ所
但し、境かみは徳右衛門山大岩限、しもしたはゑこ限、同そらハ尻なし曽根限、
大段のかた小谷村金三郎山境、したは横道境、この内残り無く

田畑合三石三斗前  古証文弐札相添渡す
この代丁銀壱貫三百六拾目只今慥ニ請取申し候

4枚目(全6枚の内)

1030133.JPG

5枚目(全6枚の内)

1030134.JPG

     

6枚目(全6枚の内)

1030135.JPG

    


現代語訳

以前から色々な物の支払いができていなかったので、地頭所村に所持している田畑や山を担保として質入れしておきました所、
借銀の返済ができないので、この度納得の上、田畑山地の上の物もどんな物であっても残り無く手放し申し上げます。
そうであるからには、今年の戌の年から幕府の年貢や諸役は言うまでも無く、村の経費などについてもあなた様から勤めていただき土地を管理していってください。
ただし、去年の年貢を完納するまでは私の方から上納致します。
このように納得した上で、担保を手放すことに致しましたので、私自身は言うまでもなく、
親族や子孫に至るまで少しも迷惑をかけるようなことや争いを申しかけるようなことは致しません。
また念のため、村役人も加判して田畑山流れ地証文を渡し申し上げるところでございます。以上。

 宝暦四年甲戌二月     田畑山流地河本
                    吉兵衛(印)
              同証人河本   
                    清兵衛(印)
              同小谷村
                    金三郎(印)
              同吾郷村湊
                    徳右衛門(印)
              同地頭所村
                    安兵衛(印)
              同頭百性
                    甚兵衛(印)
              同庄屋
                    貞右衛門(印)
       竹
         八郎兵衛殿

脚註


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