「浜原村西田屋借銀并家督取調分散一件」の版間の差分
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数代鉄山等手広ク相稼村々御年貢御納所 | 数代鉄山等手広ク相稼村々御年貢御納所 | ||
方之為ニ茂相成猶又末々之もの | 方之為ニ茂相成猶又末々之もの | ||
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左ニ書記申候 | 左ニ書記申候 | ||
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是者志学村吉右衛門殿ゟ借用銀弐貫目之質ニ入ル | 是者志学村吉右衛門殿ゟ借用銀弐貫目之質ニ入ル | ||
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鉄山三ヶ所 | 鉄山三ヶ所 | ||
残田畑高三拾六石六斗五升九勺 | 残田畑高三拾六石六斗五升九勺 | ||
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気之毒ニ奉存候得者数代商売柄相 | 気之毒ニ奉存候得者数代商売柄相 | ||
働候家柄之儀ニ茂候間前書之通銀主中 | 働候家柄之儀ニ茂候間前書之通銀主中 | ||
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同 同 | 同 同 | ||
勘左衛門 | 勘左衛門 | ||
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== 書き下し文 == | == 書き下し文 == | ||
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== 現代語訳 == | == 現代語訳 == | ||
− | + | 1798年,浜原村西田屋の借金がいかに膨大であったかがわかります. | |
+ | 借金の内容は中略しています. | ||
== 脚註 == | == 脚註 == |
2021年1月3日 (日) 03:24時点における最新版
目録番号:ら258
担当:古文書に親しむ会 in 桜江
文書画像と釈文[編集]
1枚目(全8枚の内)[編集]
午六月 浜原村西田屋借銀并家督取調分散一件
2枚目(全8枚の内)[編集]
浜原村幾六殿儀近年御公借并内借 相嵩身請難相成候ニ付去巳暮諸家督 銀主中江差出ニ被成度所隣村拾ヶ 村余ゟ 御役所被申上候者幾六殿儀ハ 数代鉄山等手広ク相稼村々御年貢御納所 方之為ニ茂相成猶又末々之もの
3枚目(全8枚の内)[編集]
多分作間之節者幾六働方江手寄り 渡世仕候処同人相潰候而者右等之 もの多勢必至与供に極難仕候段 御歎申上候ニ付以御慈悲私共被召出 被 仰付候者幾六諸家督并内借等 相調世話方仕取引相済候様被仰付 依之私共立会諸敷検談仕候趣 左ニ書記申候 覚
4枚目(全8枚の内)[編集]
一 田畑高合百四拾八石弐斗六升八合三勺 一 林山合七拾八所 一 鉄山合三ヶ所 〆 是者浜原村御帳面前并他村越石共幾六持所無残出シ申候 内 浜原村之内 一 田畑高五石九斗壱升弐合六勺 是者銀山方御役所拝借銀弐貫目之質ニ入ル 同村 一 田畑高拾三石弐斗弐升壱合八勺 林山六ヶ所 是者右同断拾貫目之質ニ入ル 同村 一 田畑高拾五石弐斗九合五勺 外 林山壱ヶ所 〆
5枚目(全8枚の内)[編集]
是者潮村茂兵衛殿浜原村重右衛門殿右両人より 借用銀拾五貫目之質ニ入ル 同村 一 畑高五石七斗弐升壱合四勺 外 林山壱ヶ所 是者吾郷村宗七殿久喜原村次右衛門殿両人ゟ借用銀 六貫目之質ニ入ル 同村 一 鉄山三ヶ所 広瀬領不残 是者広瀬拝借米代六貫目引当 同村 一 畑高九斗九升八合 是者粕淵村清作ゟ借用銀四貫目之質ニ入ル 同村 一 田畑高拾三石五斗六升 是者志学村吉右衛門殿ゟ借用銀弐貫目之質ニ入ル 同村 一 田畑高八石壱斗五合 是者志学村吉右衛門殿ゟ借用銀弐貫目之質ニ入ル
6枚目(全8枚の内)[編集]
質地小以 田畑高百拾壱石五斗八升七合四勺 合 林山七拾壱ヶ所 鉄山三ヶ所 残田畑高三拾六石六斗五升九勺
7枚目(全8枚の内)[編集]
右者私共并銀主中浜原村役人中 幾六殿御親類中立会諸家督検談 いたし候処余程之大借ニ候得者迚茂返銀 余分不足ニ相成銀主中御損方ニ相見へ 気之毒ニ奉存候得者数代商売柄相 働候家柄之儀ニ茂候間前書之通銀主中
8枚目(全8枚の内)[編集]
御勘弁を以幾六殿名跡株絶不致 名跡ヶ成之相続被致候様幾重ニも 御勘弁被成奥書御得心印形可被成下候以上 寛政十午六月 世話方都賀行村 嘉四郎 同 波積本郷 文野右衛門 同 乙原村 瀬左衛門 同 大森町 庄右衛門 同 同 民右衛門 同 同 勘左衛門 銀主衆中
書き下し文[編集]
現代語訳[編集]
1798年,浜原村西田屋の借金がいかに膨大であったかがわかります. 借金の内容は中略しています.
脚註[編集]
コメント[編集]
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