「潮村の鹿猟について詫書」の版間の差分
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+ | 右様相成候而者如何様之迷惑ニ可相成も難斗 | ||
+ | 何分幾重ニも御勘弁被成下様中石原栄助殿 | ||
+ | 三反谷貞右衛門殿両人を以色々御詫申入候得ハ | ||
+ | 格別之御勘弁を以御内済ニ被成下忝仕合奉存候 | ||
+ | 然ル上者以来御村内者申ニ不及何方ニ而も | ||
+ | 貴殿御立会場所鹿猟ニ者一円罷出申間敷候 | ||
+ | 若此表相背候ハゝ此書附を以如何様ニも御取 | ||
+ | 斗可被成候為其連判を以御誤書一札 | ||
+ | 相渡申所如件 | ||
+ | 天保十二年丑正月日 本人九日市村 | ||
+ | 西之原 | ||
+ | 礒平(爪印) | ||
+ | 詫人同村 | ||
+ | 中石原 | ||
+ | 栄助(印) | ||
+ | 同断同 | ||
+ | 三反谷 | ||
+ | 貞右衛門(印) | ||
+ | 地改 | ||
+ | 虎助(印) | ||
+ | 潮村 | ||
+ | 喜次郎殿 | ||
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+ | 右様相成り候ては、如何様の迷惑に相成るべきも斗り難く、 | ||
+ | 何分幾重にも御勘弁成し下さる様、中石原栄助殿 | ||
+ | 三反谷貞右衛門殿両人を以て、色々御詫び申し入れ候えば、 | ||
+ | 格別の御勘弁を以て御内済に成し下され忝き仕合せに存じ奉り候、 | ||
+ | 然る上は以来御村内は申すに及ばず、いず方にても | ||
+ | 貴殿御立ち会い場所、鹿猟には一円罷り出で申すまじく候、 | ||
+ | もし此の表相背き候はば此の書き附けを以て如何様にも御取 | ||
+ | 斗らい成さるべく候、其の為連判を以て御誤り書き一札、 | ||
+ | 相渡し申す所件の如し | ||
+ | 天保十二年丑正月日 本人九日市村 | ||
+ | 西之原 | ||
+ | 礒平(爪印) | ||
+ | 詫人同村 | ||
+ | 中石原 | ||
+ | 栄助(印) | ||
+ | 同断同 | ||
+ | 三反谷 | ||
+ | 貞右衛門(印) | ||
+ | 地改 | ||
+ | 虎助(印) | ||
+ | 潮村 | ||
+ | 喜次郎殿 | ||
== 現代語訳 == | == 現代語訳 == | ||
− | + | お渡しする謝罪証文のこと | |
+ | 私はこの度村内から鹿猟に出ました。そうしたところ艾谷の出口で | ||
+ | あなたが突き止めた女鹿を、射止めているものを他の人が捕えることは出来ないと | ||
+ | 言われているのを振り切って突いたところ、あなたの着物の袖を突き通して | ||
+ | 手肘の下に少し疵をつけました。すぐさま鑓を引き止められ、 | ||
+ | それについてお叱りを受けました。ところが私の方が筋の通らない返答をして | ||
+ | 言い争いになりました。しかし「元々私が悪い事をしているので、私が村役人の元へ | ||
+ | 出頭する」と偽って抜け出しました。そうしたところあなたが後ろから追いかけてきて、 | ||
+ | 四丁ばかりも追い掛けられ、捕えられました。大切な人間に | ||
+ | 傷をつけて筋の通らない言い争いとした上に、逃げようとしたことは | ||
+ | 大変不届きなことで、あなたの方から村役人の元へ報告 | ||
+ | されるということは、ごもっともな事で、一言も反論することは出来ません。 | ||
+ | 右の様になりましたらどんな困ったことになるか分かりません。 | ||
+ | なにとぞ何度もよく考慮いただきますよう、中石原栄助殿 | ||
+ | 三反谷貞右衛門殿両人により色々お詫び申し入れましたところ、 | ||
+ | 格別のご配慮をもって示談にしていただきました。ありがたく幸せに思います。 | ||
+ | そうであるからには、これからはご村内であっても、どこにおいても | ||
+ | あなたの鹿猟に赴く場所には一切向かいません。 | ||
+ | もしこれに背いた場合は、この書き付けによりどのようなご処置をしてくださってもかまいません。そのため、その連判により謝り書きを作成して | ||
+ | 渡すことはこのようでございます。 | ||
+ | 天保十二年丑正月日 本人九日市村 | ||
+ | 西之原 | ||
+ | 礒平(爪印) | ||
+ | 詫人同村 | ||
+ | 中石原 | ||
+ | 栄助(印) | ||
+ | 同断同 | ||
+ | 三反谷 | ||
+ | 貞右衛門(印) | ||
+ | 地改 | ||
+ | 虎助(印) | ||
+ | 潮村 | ||
+ | 喜次郎殿 | ||
== 脚註 == | == 脚註 == |
2018年1月23日 (火) 12:37時点における最新版
目録番号:
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
画像・釈文・書き下し文[編集]
1枚目(全2枚の内)[編集]
相渡申詫書之事 一、私義此度御村内ゟ鹿猟参候所艾谷出口ニ而 貴殿御突留被成候女鹿矢所ハ外人被致候義ニ而 不相成候様被申候所押而突かけ貴殿着物袖江突 通り手ひじ之下タ少々見疵付候付直様鑓を 御引留其段御差当ヲ受候所色々不当之返答 仕申争候得共元来私不埒之取計仕候義ニ付役 元へ出候様申偽リ抜かけ出候所道ゟ急敷 追掛被成道リ四丁斗茂御追掛ケ捕られ大 切成人間ニ見疵ヲ付不当之申争其上抜 掛等致候段不埒之義ニ付村御役元へも御申出 可成候趣御尤千万一言半句申訳茂無御座候
相渡し申す詫び書きの事 一つ、私義この度御村内より鹿猟参り候所、艾谷出口にて 貴殿御突き留め成され候女鹿、矢所は外人致され候義にて 相成らず候様申され候所、押して突きかけ貴殿着物袖へ突き 通り手ひじの下少々見疵付け候に付き、すぐさま鑓を 御引き留めその段御察当を受け候所、色々不当の返答 仕り申し争い候えども、元来私不埒の取り計らい仕り候義に付き、役 元へ出候様申し偽り抜けがけ出候所、道より急しく 追い掛け成され道(の)り四丁ばかりも御追い掛け捕えられ、大 切成る人間に見疵を付け不当の申し争い、その上抜け 掛けなど致し候段、不埒の義に付き、村御役元へも御申し出 成さるべく候趣、御尤も千万一言半句申し訳も御座無く候、
2枚目(全2枚の内)[編集]
右様相成候而者如何様之迷惑ニ可相成も難斗 何分幾重ニも御勘弁被成下様中石原栄助殿 三反谷貞右衛門殿両人を以色々御詫申入候得ハ 格別之御勘弁を以御内済ニ被成下忝仕合奉存候 然ル上者以来御村内者申ニ不及何方ニ而も 貴殿御立会場所鹿猟ニ者一円罷出申間敷候 若此表相背候ハゝ此書附を以如何様ニも御取 斗可被成候為其連判を以御誤書一札 相渡申所如件 天保十二年丑正月日 本人九日市村 西之原 礒平(爪印) 詫人同村 中石原 栄助(印) 同断同 三反谷 貞右衛門(印) 地改 虎助(印) 潮村 喜次郎殿
右様相成り候ては、如何様の迷惑に相成るべきも斗り難く、 何分幾重にも御勘弁成し下さる様、中石原栄助殿 三反谷貞右衛門殿両人を以て、色々御詫び申し入れ候えば、 格別の御勘弁を以て御内済に成し下され忝き仕合せに存じ奉り候、 然る上は以来御村内は申すに及ばず、いず方にても 貴殿御立ち会い場所、鹿猟には一円罷り出で申すまじく候、 もし此の表相背き候はば此の書き附けを以て如何様にも御取 斗らい成さるべく候、其の為連判を以て御誤り書き一札、 相渡し申す所件の如し 天保十二年丑正月日 本人九日市村 西之原 礒平(爪印) 詫人同村 中石原 栄助(印) 同断同 三反谷 貞右衛門(印) 地改 虎助(印) 潮村 喜次郎殿
現代語訳[編集]
お渡しする謝罪証文のこと 私はこの度村内から鹿猟に出ました。そうしたところ艾谷の出口で あなたが突き止めた女鹿を、射止めているものを他の人が捕えることは出来ないと 言われているのを振り切って突いたところ、あなたの着物の袖を突き通して 手肘の下に少し疵をつけました。すぐさま鑓を引き止められ、 それについてお叱りを受けました。ところが私の方が筋の通らない返答をして 言い争いになりました。しかし「元々私が悪い事をしているので、私が村役人の元へ 出頭する」と偽って抜け出しました。そうしたところあなたが後ろから追いかけてきて、 四丁ばかりも追い掛けられ、捕えられました。大切な人間に 傷をつけて筋の通らない言い争いとした上に、逃げようとしたことは 大変不届きなことで、あなたの方から村役人の元へ報告 されるということは、ごもっともな事で、一言も反論することは出来ません。 右の様になりましたらどんな困ったことになるか分かりません。 なにとぞ何度もよく考慮いただきますよう、中石原栄助殿 三反谷貞右衛門殿両人により色々お詫び申し入れましたところ、 格別のご配慮をもって示談にしていただきました。ありがたく幸せに思います。 そうであるからには、これからはご村内であっても、どこにおいても あなたの鹿猟に赴く場所には一切向かいません。 もしこれに背いた場合は、この書き付けによりどのようなご処置をしてくださってもかまいません。そのため、その連判により謝り書きを作成して 渡すことはこのようでございます。 天保十二年丑正月日 本人九日市村 西之原 礒平(爪印) 詫人同村 中石原 栄助(印) 同断同 三反谷 貞右衛門(印) 地改 虎助(印) 潮村 喜次郎殿
脚註[編集]
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