「浜田領渡利村書付」の版間の差分
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+ | 此段御察当ニ者御座候得共久左衛門藤左衛門 | ||
+ | 間柄不宜互ニ行来も不仕段者先達而御 | ||
+ | 吟味之節有体申上候趣少も相違無御座候 | ||
+ | 然所此度藤左衛門ゟ久左衛門并幸蔵ゟ之書状差 | ||
+ | 出シ不和ニ而無之睦敷相交候所私并幾六与 | ||
+ | 馴合譲証文ニ加判ニ不及段久左衛門遺言与申 | ||
+ | 立候趣強而相願候旨被仰聞御吟味ニ御座候得共 | ||
+ | 右書状取遣り仕候訳合者不奉存候得共右譲証文 | ||
+ | 加判相頼候節藤左衛門等加判不及段久左衛門申 | ||
+ | 聞候意味者不和之間柄故譲地之趣彼等 | ||
+ | 一流ニ相談ニも不及旨申之候処私共義も下地 | ||
+ | 藤左衛門往来不仕候義者承知仕罷在候 | ||
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+ | 此の段ご察当には御座そうらえども、久左衛門藤左衛門、 | ||
+ | 間柄宜しからず、互いに行き来も仕らざる段は先達て御 | ||
+ | 吟味の節有体申し上げ候趣、少しも相違御座なく候、 | ||
+ | 然る所、此のたび藤左衛門より、久左衛門并に幸蔵よりの書状差し | ||
+ | 出し不和にてこれ無く、睦まじく相交わり候所、私并に幾六と | ||
+ | 馴合い、譲り証文に加判に及ばざる段、久左衛門遺言と申し | ||
+ | 立候趣、強いて相願い候旨、仰せ聞けられ御吟味に御座候えば | ||
+ | 右書状取遣り仕り候訳合は存じ奉らずそうらえども、右譲り証文 | ||
+ | 加判相頼み候節、藤左衛門等加判及ばざる段、久左衛門申し | ||
+ | 聞け候意味は、不和の間柄ゆえ譲り地の趣、彼等 | ||
+ | 一流に相談にも及ばざる旨、これを申し候処、私ども義も下地 | ||
+ | 藤左衛門往来仕らず候義は承知仕り罷り在り候 | ||
=== 5枚目(全5枚の内) === | === 5枚目(全5枚の内) === | ||
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久左衛門宅で藤左衛門を見掛けたことがないと申し上げました。しかし、今回藤左衛門が願った内容には、久左衛門と仲が悪いということは決してなく、 | 久左衛門宅で藤左衛門を見掛けたことがないと申し上げました。しかし、今回藤左衛門が願った内容には、久左衛門と仲が悪いということは決してなく、 | ||
この証拠に久左衛門の息子の幸蔵から藤左衛門に出された手紙があり、また、久左衛門から藤左衛門に出された返しの手紙があります。 | この証拠に久左衛門の息子の幸蔵から藤左衛門に出された手紙があり、また、久左衛門から藤左衛門に出された返しの手紙があります。 | ||
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+ | これらのことについてお叱りを受けましたのですけれども、久左衛門と藤左衛門の仲が良くなく、 | ||
+ | 互いに行き来もしていないことは、先達て、ご吟味の時にありのまま申し上げた通り間違いはございません。 | ||
+ | しかし、この度、久左衛門と幸蔵から藤左衛門への書状を(役所に)差し出し、藤左衛門と久左衛門は不和ではなく睦まじく交際していたこと、 | ||
+ | かつ、村役人と幾六がなれ合い、久左衛門の譲り証文に「藤左衛門が加判するには及ばない」 | ||
+ | と久左衛門の遺言にあると村役人が申し立てていると藤左衛門が主張しているとのことで、ご吟味されることになりました。 | ||
+ | しかし、右の書状のやり取りについては存じませんが、 | ||
+ | 右の譲り証文に久左衛門が村役人に加判を頼んだ際に「藤左衛門たちは加判する必要はない」と久左衛門が言った趣旨は、 | ||
+ | 「藤左衛門と久左衛門は仲が良くないので、譲り地の事は彼ら一族に相談する必要もない。」とのことでした。 | ||
+ | 私たち(村役人)も、もとから久左衛門と藤左衛門は行き来をしていないという事を知っていました。 | ||
== 脚註 == | == 脚註 == |
2017年1月19日 (木) 01:09時点における最新版
目録番号:
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
文書画像・釈文・書下し文[編集]
1枚目(全5枚の内)[編集]
乍恐以書付御願申上候 一 大貫村西田屋之儀二付浜田御領渡里村藤左衛門 より当御料浜原村幾六江相掛候出入之儀 西田屋久左衛門より右幾六へ相渡置候。譲証文二 私共役判仕候二付先達而被召出右譲証文 之義御尋ニ付有掛逐一申上候所此度被召出 御吟味被仰聞候右譲証文二私共加判仕候ハ 私とも幾六代吉縁合之もの故幾六ゟ被相頼 加判仕候義二而幾六与馴合謀計相工み候旨藤左衛門 差上候書付之趣被仰聞承知仕右縁合之訳
恐れながら書き付けを以て御願い申し上げ候 一 大貫村西田屋の儀に付き浜田御領渡里村藤左衛門 より当御料浜原村幾六へ相掛かり候。出入りの儀 西田屋久左衛門より右幾六へ相渡し置き候。譲り証文に 私ども役判仕り候に付き、先だって召し出され、右譲り証文 の義お尋ねに付き有り掛かり逐一申し上げ候所、この度召し出され 御吟味仰せ聞けられ候。右譲り証文に私ども加判仕り候は 私ども幾六、代吉縁合のもの故幾六より相頼まれ 加判仕り候義にて、幾六と馴れ合い謀計相工み候旨、藤左衛門 差し上げ候書き付けの趣仰せ聞けられ承知仕り、右縁合之訳
2枚目(全5枚の内)[編集]
并譲証文相違無之段ハ別紙御吟味口書ニ 役義 申上候然ル処私義 相勤候得者時々大切成 御用向相勤并村方取納も仕候役筋ニ御坐候所 他領之藤座衛門ゟ謀計相工ミ候村役人共と御上ミ 被申立候而者御上之思召之程も甚恐多 猶又村内取納も不相成一向役筋難相立 義ニ御坐候へ者右謀計相工ミ候与申訳合 何様之義ヲ以右体藤座衛門申立候哉此段 藤左衛門御吟味被成下私共役筋相立候様 幾重ニも御勘弁奉願上候以上 申 五月 庄屋 幸十郎 百姓代 重五郎 会田伊右衛門 様 御役所
ならびに譲り証文相違これなき段は別紙御吟味口書に 申し上げ候。然る処私義役義相勤め候えば、時々大切成る 御用向相勤め、ならびに村方取り納めも仕り候役筋に御坐候所 他領の藤左衛門より謀計工み候村役人共と御上み 申し立てられ候ては、御上の思し召しの程も甚だ恐れ多く 猶又村内取り納めも相成らず、一向役筋相立ち難き 義に御坐候えば、右謀計相工み候と申す訳合 いかようの義を以って右体藤座衛門申し立て候や、この段 藤座衛門御吟味成し下され、私共役筋相立ち候様 幾重にも御勘弁願い上げ奉り候 以上 申 五月 庄屋 幸十郎 百姓代 重五郎 会田伊右衛門 様 御役所
3枚目(全5枚の内)[編集]
再 御吟味ニ付申上候書付 一大貫村西田屋久左衛門与浜田領松浦屋藤左衛門与 拾ヶ年余も不和ニ而互ニ行来等も不致趣先達而 幾六申上候二付其節私共御吟味之節御答 申上候者年数者何程ニ相成候や不奉存候得共 近来間柄も宜無御座行来も不仕別而浅右衛門 義者久左衛門与軒並ニ御座候得共久左衛門宅ニ而 藤左衛門見掛ケ候義者無御座旨申上候然所此度 藤左衛門相願候者久左衛門与不和之義決無御座 右証拠者久左衛門忰幸蔵ゟ藤左衛門江差遣候 書状有之猶又久左衛門ゟ藤左衛門江遣候返状等有之
再び御吟味に付き申し上げ候書き付け 一、大貫村西田屋久左衛門と浜田領松浦屋藤左衛門と 拾ヶ年余りも不和にて互いに行き来なども致さざる趣先達て 幾六申し上げ候に付き、その節私共御吟味の節お答え 申し上げ候は、年数はいかほどに相成り候や存じ奉らずそうらえ共、 近来間柄も宜しく御座なく行き来も仕らず、別して浅右衛門 義は久左衛門と軒並みに御座そうらえ共、久左衛門宅にて 藤左衛門見掛け候義は御座なき旨申し上げ候、然る所此の度 藤左衛門相願候は、久左衛門と不和の義決して御座なく、 右証拠は久左衛門忰幸蔵より藤左衛門へ差し遣わし候 書状之あり、猶お又久左衛門より藤左衛門へ遣わし候返し状等之あり、
4枚目(全5枚の内)[編集]
此段御察当ニ者御座候得共久左衛門藤左衛門 間柄不宜互ニ行来も不仕段者先達而御 吟味之節有体申上候趣少も相違無御座候 然所此度藤左衛門ゟ久左衛門并幸蔵ゟ之書状差 出シ不和ニ而無之睦敷相交候所私并幾六与 馴合譲証文ニ加判ニ不及段久左衛門遺言与申 立候趣強而相願候旨被仰聞御吟味ニ御座候得共 右書状取遣り仕候訳合者不奉存候得共右譲証文 加判相頼候節藤左衛門等加判不及段久左衛門申 聞候意味者不和之間柄故譲地之趣彼等 一流ニ相談ニも不及旨申之候処私共義も下地 藤左衛門往来不仕候義者承知仕罷在候
此の段ご察当には御座そうらえども、久左衛門藤左衛門、 間柄宜しからず、互いに行き来も仕らざる段は先達て御 吟味の節有体申し上げ候趣、少しも相違御座なく候、 然る所、此のたび藤左衛門より、久左衛門并に幸蔵よりの書状差し 出し不和にてこれ無く、睦まじく相交わり候所、私并に幾六と 馴合い、譲り証文に加判に及ばざる段、久左衛門遺言と申し 立候趣、強いて相願い候旨、仰せ聞けられ御吟味に御座候えば 右書状取遣り仕り候訳合は存じ奉らずそうらえども、右譲り証文 加判相頼み候節、藤左衛門等加判及ばざる段、久左衛門申し 聞け候意味は、不和の間柄ゆえ譲り地の趣、彼等 一流に相談にも及ばざる旨、これを申し候処、私ども義も下地 藤左衛門往来仕らず候義は承知仕り罷り在り候
5枚目(全5枚の内)[編集]
現代語訳[編集]
恐縮ですが文書を持ちまして御願い申し上げます。 一 大貫村西田屋のことで浜田御領渡里村藤左衛門から 当御料浜原村の幾六への訴えである。この民事訴訟のことは 西田屋久左衛門から右の幾六へ渡しておきました譲り証文に 私たち村役人の判がしてあったことで、先日大森代官に召し出され右の証文 の事について事情聴取を受け知っていることを全て話しましたところ、 もう一度召し出されより詳しく御吟味を受けました。右の譲り証文に私たちの判がございますのは、 幾六、代吉の知己の者で幾六から頼まれ 判を押したそうで、幾六と通じ合ってはかりごとをなそうとしていることを藤左衛門が訴え出た。 差し上げました文書のおっしゃることは私も承知しました。
ならびに、幾六に渡された譲り証文に間違いはないという事は、 別紙のご吟味口書きに申し上げた通りです。 しかしながら、私たちは役職を務めていて、時々は代官の大切な御用も勤めたり、 村方の事も治めるような役筋であるのに、他領の藤座衛門から謀り事を企てている村役人共と御上に申し立てられては、 御上の思し召しも甚だ恐れ多く、又、村内の取り治めもできなくなり、 全く村役人の役目も難しくなります。藤左衛門が、右のような謀り事を企んだなどと申すのは、どのような訳なのでしょうか。 このことについて、藤左衛門をご吟味してください。 私たちの仕事が成り立つように、幾重にも御勘弁くださるよう、お願い致します。以上。
再びの御吟味について申し上げる書き付け 一つ。大貫村西田屋の久左衛門と浜田領松浦屋の藤左衛門とは十年余りも仲が悪くお互いに行き来などもしていないということを先日幾六が申し上げたので、 その際私共が御吟味を受けたときお答えしたのは、年数はどのくらいか分かりませんが、 近頃二人の仲がよろしくなく、行き来もせず、特に浅右衛門が久左衛門と隣の家でありますが、 久左衛門宅で藤左衛門を見掛けたことがないと申し上げました。しかし、今回藤左衛門が願った内容には、久左衛門と仲が悪いということは決してなく、 この証拠に久左衛門の息子の幸蔵から藤左衛門に出された手紙があり、また、久左衛門から藤左衛門に出された返しの手紙があります。
これらのことについてお叱りを受けましたのですけれども、久左衛門と藤左衛門の仲が良くなく、 互いに行き来もしていないことは、先達て、ご吟味の時にありのまま申し上げた通り間違いはございません。 しかし、この度、久左衛門と幸蔵から藤左衛門への書状を(役所に)差し出し、藤左衛門と久左衛門は不和ではなく睦まじく交際していたこと、 かつ、村役人と幾六がなれ合い、久左衛門の譲り証文に「藤左衛門が加判するには及ばない」 と久左衛門の遺言にあると村役人が申し立てていると藤左衛門が主張しているとのことで、ご吟味されることになりました。 しかし、右の書状のやり取りについては存じませんが、 右の譲り証文に久左衛門が村役人に加判を頼んだ際に「藤左衛門たちは加判する必要はない」と久左衛門が言った趣旨は、 「藤左衛門と久左衛門は仲が良くないので、譲り地の事は彼ら一族に相談する必要もない。」とのことでした。 私たち(村役人)も、もとから久左衛門と藤左衛門は行き来をしていないという事を知っていました。
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