「竹村と地頭所村の証文」の版間の差分
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それについて私は申すに及ばず子孫縁者に至るまで一言もなく、訴える者はありません。後々のため前の証文に次ぎ添えて、 | それについて私は申すに及ばず子孫縁者に至るまで一言もなく、訴える者はありません。後々のため前の証文に次ぎ添えて、 | ||
証人を立て村役も加判をした一札をお渡し申す所で御座います。 | 証人を立て村役も加判をした一札をお渡し申す所で御座います。 | ||
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+ | 今日は印を持っておりません。重ねていつでも押すことができることをご報告します。 金三郎 | ||
== 脚註 == | == 脚註 == |
2017年6月29日 (木) 11:19時点における版
目録番号:ま
担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ
文書画像と釈文、書き下し文
1枚目(全6枚の内)
相渡シ申田畠山流地証文之事 所ハ地頭所村あき六百田 一、田方弐石七斗弐升 前 但 かミハ徳右衛門分五百田境しもハ此度流地之 畑境うへハ道境沖ハ川限 所ハ同村同所 一、畑方五斗八升 前 但 境かミハ此度流地田堺しもハ徳右衛門畑 石ならべ有之所境うへハ道堺したハ川限 所ハ同村同所 一、山壱ケ所 但境同 かミハ徳右衛門山大岩限しもハゑこ限 そらハ尻なしそね限うへハ大段之かた 小谷村金三郎境したハ横道境 田畑合三石三斗前 此代丁銀壱貫弐百目
相渡し申す畠山流れ地証文の事 所は地頭所村あき六百田 一、田方弐石七斗弐升 前 但し かみは徳右衛門五百田境、しもはこの度流れ地の 畑境、上は道境、沖は川限り 所は同村同所 一、畑方五斗八升 前 但し 境かみは此の度流れ地田堺、しもは徳右衛門畑 石ならべこれ有る所境、上は道堺、下は川限り 所は同村同所 一、山壱ケ所 但し 境同 かみは徳右衛門山大岩限り、しもはゑこ限り 空は尻なしそね限り、上は大段のかた 小谷村金三郎境、下は横道境 田畑合せ三石三斗前 此代丁銀壱貫弐百目
2枚目(全6枚の内)
右者前々諸払方不相成ニ附地頭所村ニ所持仕候 田畑山質入ニ致置候処銀子返済不相成ニ附此度 得心之上田畑山地之上之もの何ニ而茂無残リ流地ニ 致申候然上者当戌之年ゟ御公儀様御役目 者不及申ニ村入用等貴殿ゟ相勤御裁判可 被成候尤去酉御年貢皆済迄者私方ゟ御 上納可仕候ケ様ニ得心之上流地ニ致シ申候得者 私儀者不申ニ及一門子孫ニ至迄少茂難渋 出入ケ間敷儀申もの無御座候為後念村役人 加判を以田畑山流地証文相渡シ申所依而如件 宝暦四年甲戌二月 田畑山流地河本 吉兵衛(印) 同証人河本 清兵衛(印) 同小谷村 金三郎(印) 同吾郷村湊 徳右衛門(印) 同地頭所村 安兵衛(印) 同頭百性 甚兵衛(印) 同庄屋 貞右衛門(印) 竹 八郎兵衛殿
右は、前々諸払方相成らざるに附き、地頭所村に所持仕り候 田畑山質入れに致し置き候処、銀子返済相成らざるに附き、此の度 得心の上、田畑山地の上のもの何にても残り無く流れ地に 致し申し候。然る上は、当戌の年より御公儀様御役目 は申すに及ばず、村入用等貴殿より相勤め御裁判 成さるべく候。尤も、去る酉御年貢皆済迄は私方より御 上納仕るべく候。か様に得心の上、流れ地に致し申し候えば、 私儀は申すに及ばず、一門子孫に至る迄少しも難渋 出入がまじき儀申すもの御座無く候。後念の為、村役人 加判を以って田畑山流れ地証文相渡し申す所、依って件の如し。
3枚目(全6枚の内)
弐年季本銀戻シ売渡申田畑草山之事 所ハ地頭所村六百田 但境かミハ徳右衛門分五百田境しも畑境 一、田方弐石七斗弐升前 うへ者道境沖ハ川限り此内 無残 所ハ同村同所 但境かミハ此度渡ス田境しもハ徳右衛門 一、畑方五斗八升前 畑石ならべ有之所境うへハ道境 したハ川限り此内無残 所ハ同村同所 但境かミハ徳右衛門山大岩限しもしたハ 一、山壱ヶ所 ゑこ限同そらハ尻なし曽根 限大段之かた小谷村金三郎山境したハ 横道境此内無残 田畑合三石三斗前 古證文弐札相添渡 此代丁銀壱貫三百六拾目只今慥ニ請取申候 右者我等御公納指支申ニ付前書之田畑草山共ニ 弐年季本銀戻シ売渡代丁銀壱貫三百六拾目慥ニ 請取御納所小払等相済忝存候然上ハ年季 之間貴殿より御公儀様御役目并村入用等迄 貴殿より御勤田畑御裁配可被成候弐年季目子 十二月十三日限右本銀相立申候ハヽ売渡申田畑 草山共ニ無相違御返シ可被下候 若シ右日限ニ本銀 相立申事不相成候ハバ其時別紙捨証文ニ不及 此証文を以幾久敷御抱所ニ可被成候共又ハ賣地ニ 被成候共我等儀者不及申親類一門ニ至迄一言申 分出入申者無御座候為後念村役人証人加判を以田畑 賣証文相渡申所仍而如件
弐年季本銀戻し売り渡し申す田畑草山の事 所は地頭所村六百田 一、田方弐石七斗弐升前 但し、境かみは徳右衛門分五百田、境しも畑境、うへは道、境沖は川限り、この内残り無く 所は同村同所 一、畑方五斗八升前 但し、境かみは此の度渡す田、境しもは徳右衛門畑石ならべこれ有る所、境うへは道、境 したは川限り、この内残り無く 所は同村同所 一、山壱ヶ所 但し、境かみは徳右衛門山大岩限、しもしたはゑこ限、同そらハ尻なし曽根限、 大段のかた小谷村金三郎山境、したは横道境、この内残り無く 田畑合三石三斗前 古証文弐札相添渡す この代丁銀壱貫三百六拾目只今慥ニ請取申し候 右は我ら御公納指し支え申すに付き、前書の田畑草山共に 弐年季本銀戻し売り渡し、代丁銀壱貫三百六拾目、慥かに 請け取り御納所払い等相済み忝く存じ候。然る上は年季 の間、貴殿より御公儀様御役目並びに村入り用等迄 貴殿より御勤め田畑御裁配成なさるべく候。弐年季目子 十二月十三日限り、右本銀相立て申し候わば、売り渡し申す田畑 草山共に相違無く御返し下さるべく候。 若し右日限に本銀 相立て申す事相成らず候はば、其の時別紙捨証文に及ばず 此の証文を以て幾久しく御抱え所に成さるべく候へども又は賣地に 成され候へども我等儀は申すに及ばず、親類一門に至る迄一言申し分 出入り申す者御座無く候。後念の為村役人証人加判を以て田畑 賣証文相渡し申す所、仍って件の如し
4枚目(全6枚の内)
本人乙原村竹 八郎兵衛(印) 明和四丁年二月 同 世忰 亥 次郎兵衛(印) 証人吾郷村湊 徳右衛門(印) 追而右地之内ニ有之候竹木年季 同 小谷村 内ニ而茂入用前ハ御伐リ被成約束ニ 金三郎(印) 御座候已上 地頭所村百姓代 権右衛門(印) 同村頭百姓 忠左衛門(印) 同村庄屋 甚兵衛(印) 内田村 伊右衛門殿
本人乙原村竹 八郎兵衛(印) 明和四丁年二月 同 世忰 亥 次郎兵衛(印) 証人吾郷村湊 徳右衛門(印) 追って右地の内に之有り候竹木、年季 同 小谷村 内にても、入用前は御伐りなさる約束に 金三郎(印) 御座候。已上。 地頭所村百姓代 権右衛門(印) 同村頭百姓 忠左衛門(印) 同村庄屋 甚兵衛(印) 内田村 伊右衛門殿
5枚目(全6枚の内)
前書田畑山共ニ貴殿我等半分宛もやいニ所持 仕候御公納諸払方差支申ニ付我等持分 半分之所当酉壱年季御買被下候様ニ 貴殿へ断申候得者則御買被下代銀六百八十目 限銀慥ニ請取御公納諸払方迄相済シ 忝存候然上ハ右田地無相違当酉年ゟ 御公納村入用等迄貴殿ゟ御勤御存分ニ 尤当暮酉ノ十二月十三日限 右本銀少し茂無滞相立申候ハゝ田地御戻し 可被下候若日限ニ銀子壱分ニ而も相滞儀 御座候ハゝ田地請返シ得不仕候間此証文 ヲ以幾久敷貴殿御抱所ニ被成候共売地ニ成共 貴殿御存分ニ御才判可被成候其節我等儀 ハ不及申ニ子孫縁者ニ至迄一言難催 出入申もの無御座候為後念古証文ニ 次添仕証人ヲ立村役加判ヲ以一札相渡シ申所 如件 田地売人内田村 安永六年 弥右衛門(印) 酉二月 請人 小谷村 金三郎 (貼紙)今日印形無御座候 重而何時ニ而茂押可 申候 金三郎 地頭所村 善蔵(印) 同 同村百性代 甚兵衛(印) 同 同村頭百性 佐兵衛(印) 同 同村庄屋 安兵衛(印) 浜原村西田屋 幾六殿
前書田畑山共に貴殿我等半分ずつ、もやいに所持 仕り候。御公納諸払方差し支え申すに付き、我等持ち分 半分の所、当酉壱年季御買い下され候様に 貴殿に断り申し候えば、則ち御買い下され、銀六百八十目 限り、銀慥かに請取り、御公納諸払方迄相済まし、 忝く存じ候。然る上は右田地相違無く、当酉年より 御公納村入用等迄貴殿より御勤め、御存分に 尤も、当暮れ酉十二月十三日限り 右本銀少しも滞りなく相立て申し候わば、田地御戻し 下さるべく候、若し日限に銀子壱分にても相滞る儀 御座候わば、田地請け返し得仕らず候間、此の証文 をもって幾久しく貴殿御抱え所に成され候共、売り地になさる共 貴殿御存分に御才判なさるべく候その節我等儀 は申すに及ばず子孫縁者に至るまで一言催し難く 出入り申す者御座なく候、後念の為古証文に 次添え仕り、証人を立て村役加判をもって一札相渡し申す所 件のごとし
今日印形御座無く候、何時にても押し申すべく候。 金三郎
6枚目(全6枚の内)
現代語訳
あなたにお渡しする田畑山を質流れ地とする証文でございます 場所は地頭所村あき六百田 一、田方弐石七斗弐升 前 但し、かみは徳右衛門五百田境、しもはこの度流れ地の畑境、上は道境、沖は川限りでございます。 場所は同村同所 一、畑方五斗八升 前 但し、境については、かみは此の度流れ地田堺、しもは徳右衛門畑石並べが有る所境、上は道堺、下は川限りでございます。 場所は同村同所 一、山壱ケ所 但し、空は尻なしそね限り、上は大段のかた小谷村金三郎境、下は横道境でございます。 田畑合せ三石三斗前 此代丁銀壱貫弐百目
以前から色々な物の支払いができていなかったので、地頭所村に所持している田畑や山を担保として質入れしておきました所、 借銀の返済ができないので、この度納得の上、田畑山地の上の物もどんな物であっても残り無く手放し申し上げます。 そうであるからには、今年の戌の年から幕府の年貢や諸役は言うまでも無く、村の経費などについてもあなた様から勤めていただき土地を管理していってください。 ただし、去年の年貢を完納するまでは私の方から上納致します。 このように納得した上で、担保を手放すことに致しましたので、私自身は言うまでもなく、 親族や子孫に至るまで少しも迷惑をかけるようなことや争いを申しかけるようなことは致しません。 また念のため、村役人も加判して田畑山流れ地証文を渡し申し上げるところでございます。以上。 宝暦四年甲戌二月 田畑山流地河本 吉兵衛(印) 同証人河本 清兵衛(印) 同小谷村 金三郎(印) 同吾郷村湊 徳右衛門(印) 同地頭所村 安兵衛(印) 同頭百性 甚兵衛(印) 同庄屋 貞右衛門(印) 竹 八郎兵衛殿
二年間元銀を戻す条件で売り渡す田畑や草山のこと 場所は地頭所村六百田 一、田方二石七斗二升前 ただし、上の境界は徳右衛門の分は五百田堺まで。下は畑までが境界。 上は道が境界。沖は川までが境界。この内残りなくすべて。 場所は同じ村同じ場所 一、畑方五斗八升前 ただし、上はこのたび渡す田の境まで。下は徳右衛門の畑がある石をならべてある所までが境。上は道が境界。 下は川までが境界。この内残りなくすべて。 場所は同じ村、同じ場所 一、山一か所 ただし、上の境界は、徳右衛門が山の大岩まで。 下と下はゑこまで。同じく空は尻なし、曽根までを限りとする。 大段のかた、小谷村金三郎の山の境界まで。下は横道が境界。この内残りなくすべて。 田畑を合わせて三石三斗前 古い証文二札をあわせて添えて渡します。 この代金の丁銀一貫三百六〇目とただいまたしかに請け取り申し上げました。 右に述べたように、私たちが幕府にお納めするものに困っていますので、 前書の田畑と草山を一緒に売り、二年間で元銀を戻す条件で売り渡した代金丁銀一貫三百六十目をたしかに受け取り、 納税や諸負担を済ましましたことは、誠にありがたいことでございます。そうであるからには、 期限までの間、あなた様から年貢や諸役並びに村の経費などまで勤めていただき、田畑を管理してください。 十二月十三日を限りに、前述の元銀を返済いたしましたら、売り渡した田畑や草山を一緒に相違なくお返しください。 もしも右の期限までに元銀の返済ができなかった場合、その時には捨証文を作成するには及びません。 この証文を長い間所有するところのものになさっても、または売地になさっても私は何も申す事はありません。 親類一門にいたるまで一言の申し分も、訴訟を起こす者もありません。 後年のために村役人と証人の捺印をもって、田畑の売証文を渡し申し上げることは以上のことでございます。
追記。右に書かれている土地の中にある竹や木は、年季内であっても必要があれば伐採してもよいという約束です。以上。
前書にある田畑と山はあなた様と私とで半分ずつ共同で所持しておりました。しかし、 御年貢の公納入や諸負担の支払いに困っていますので、私の持ち分の半分を今年一年間を期限にお買い下さるように申し入れましたところ、 買って下さり銀六百八十目を確かに受け取り、御公納や諸負担を済ましたことはありがたいことでございます。 そうである上は、右で述べた田地を相違なく今年の酉年から御公納や村の経費支払いまで、あなた様からお勧めになり、思う存分管理なさってください。 ただし、年末の十二月十三日限り右の元銀を少しも滞ることなく返済致しましたならば田地をお戻しくださいませ。 若し日限に銀子壱分でも滞りましたならば、田地を返して頂くことは出来ません。 どうぞ此の証文をもってあなたの所有地になさるとも売り地になさるともあなたの思い通りになさって下さい。 それについて私は申すに及ばず子孫縁者に至るまで一言もなく、訴える者はありません。後々のため前の証文に次ぎ添えて、 証人を立て村役も加判をした一札をお渡し申す所で御座います。
今日は印を持っておりません。重ねていつでも押すことができることをご報告します。 金三郎
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