諸願書扣帳

提供:桜江古文書を現代に活かす会
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目録番号:箱1-20

担当:島根大学法文学部社会文化学科歴史と考古コース古文書ゼミ


文書画像・釈文・書下し文[編集]

1枚目(全15枚の内)[編集]

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 明和六年丑ゟ

諸願書控帳

2枚目(全15枚の内)[編集]

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  乍恐書付を以奉願上候
一私共鉄山稼仕候ニ付大勢之者共年中夫食手
 当として買請米奉願是迄御引付之通買
 請被仰付家業相続仕難有奉存候然ル所
 去丑年奉願御買請米之儀御引付之
 御直段ニてハ難被仰付候而直段糴増石数之
 儀も減少可仕旨再応御呼出被仰渡候得共
 石数之儀者年中入用程積立石数相願候

 

    恐れながら書き付けを以て願い上げ奉りそうろう
一私共鉄山稼ぎ仕りしそうろうに付き、大勢の者共年中夫食手
 当として、買請米願い奉り、これ迄御引き付けの通り、買
 請け仰せ付けられ、家業相続ありがたく存じ奉りそうろう、然る所、
 去る丑年、願い奉る御買請米の儀、御引き付けの
 御直段にては仰せつけられがたくそうろうて、直段糶り増し石数の
 儀も減少仕るべき旨再応お呼び出し仰せ渡されそうらえども、
 石数の儀は年中入用程積み立て石数あい願いそうろう

3枚目(全15枚の内)[編集]

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ニ付減少仕候而ハ甚召抱候人数相減稼所も
相減候ゟ外無御坐候所当年俄ニケ所相減
人数減少仕候儀も難仕御直段糴(糶ヵ)増
御請仕候儀も前々御引付之御直段ニて可被
仰付儀と相心得大勢抱置鉄山稼仕罷在候所
御糴(糶ヵ)増被仰付候而ハ是又覚違ニ罷成行積リ
鉄山稼相続難仕迷惑至極仕間御糴(糶ヵ)増
御免被成下候御引付之通浜田松江去丑十月十五日ゟ
同晦日迄日々上米平均直段買請被仰付
石数之儀も先達而御願申上候通被成下候様幾
重ニも奉願候再応御吟味之趣御断奉申上候
段恐入奉存候へども鉄山師共家業相続
難相成極難之義ニ御坐候故恐ヲも不顧
御歎申上候御聞済被成下前々之通被仰付
被下置候ハバ一統難有奉存候以上
明和七年寅閏六月
          鈩師拾弐人連判
 川崎市之進様銀山方御役所
に付き、減少仕りそうろうては甚だ召し抱えそうろう人数相減じ、
稼ぎ所も相減じそうろうより外御坐無くそうろう所、
当年俄にケ所相減じ、人数減少仕りそうろう儀も仕り難く、御直段
糶り増し御請けそうろう儀も、前々御引き付けの御直段にて仰せ付けらる
べき儀とあい心得、大勢抱え置き、鉄山稼ぎ仕り罷り在りそうろう所、
御糶り増し仰せ付けられそうろうては、これ又覚え違いに罷り成り、行き
積もり鉄山稼ぎ相続仕り難く、迷惑至極仕る間、御糶り増し御免し
成し下されそうろう。
御引き付けの通り、濱田松江去る十月十五日より
同晦日まで、日々上米平均直段買い請け仰せ付けられ
石数の儀も先達てお願い申し上げそうろう通り成し下されそうろうよう幾
重にも願い奉りそうろう。再応御吟味の趣お断り申上げ奉りそうろう
段、恐れ入り存じ奉りそうらへども、鉄山師共家業相続
相成り難く、極難の義に御座そうろうゆえ、恐れをも顧みず
お歎き申し上げそうろう。お聞き済み成し下され、前々の通り仰せ付けられ
下し置かれそうらわば、一統有り難く存じ奉りそうろう。以上。
明和七年寅閏六月
           鈩師拾弐人連判
 川崎市之進様銀山方御役所

4枚目(全15枚の内)[編集]

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     差上申口書之事
一、私共鉄山稼仕候ニ付前々ゟ御買請米被仰付候ニ付去
  丑年之義も奉願候処御直段之義御引付之通
  二て難被仰付候間糴増仕候様石数之義も相減候様
  当春御吟味御座候得共前々之通被仰付被下候様
  達而御歎申上候所猶又此度被仰聞候者松江浜田
  上米平均直段ニ五匁高を以買請石数減少不仕
  旨被仰渡候処両様共ニ御免被成下候様達而御願
   申上候ニ付御察斗被成候者私共願通石数被仰
   付御直段之儀も前々御引付之通是迄被成下候
   得共此度再応御吟味之上ハ何分糴増御請
   可仕所強而御断申上候段如何之訳ニ候哉御答可
   申上候旨御吟味ニ御座候
   此段私共鉄山稼之義ハ所々手広仕候家業
   ニ而莫大人数抱置鉄山一式家業仕候ニ付
   年中飯米年内ニ心当仕置候ニ御坐候処少分
   之儀ニ無御座候得ハ石州地米所々ニて調候儀ハ
     差し上げ申す口書の事
一、私共鉄山稼ぎ仕りそうろうに付き、前々より御買請米仰せ付けられそうろうに付、去る
  丑年の義も願い奉りそうろう所、御直段の義御引付の通り
  ニて仰せ付けられ難くそうろう間、糴増仕りそうろう様、石数の義も相減じそうろう様
  当春御吟味御座そうらえども、前々の通り仰せ付けられ下されそうろう様
  達て御歎き申上げそうろう所、猶又、此の度仰せ聞けられそうろうは、松江浜田
  上米平均直段に五匁高を以て買い請け、石数減少仕まつらざる
  旨仰せ渡されそうろう所、両様共に御免し成し下されそうろう様、達て御願
   申し上げそうろうに付き、御察斗(当ヵ)成されそうろうは、私ども願い通り石数仰せ付けられ、
   御直段の儀も前々御引き付けの通りこれ迄成し下されそうら
   えども、この度再応吟味の上は、何分糶り増し御請け
   仕るべき所、強いてお断り申し上げそうろう段、いかがの訳にそうろうや。お答え
   申し上ぐべきそうろう旨御吟味に御座そうろう。
    此段、私ども鉄山稼ぎの義は所々手広に仕りそうろう家業
     にて、莫大の人数抱え置き鉄山一式家業仕りそうろうに付き、
     年中飯米年内に心当て仕り置きそうろうに御座そうろう処、少分
     の儀に御座無くそうらえば、石州地米所々にて調えそうろう儀は

5枚目(全15枚の内)[編集]

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難仕勿論御公納之外売買地米
払底成国柄ニて多分之石数難相調夫食
手当不足ニて大勢之人数抱置候儀難
成左候而ハ稼方差支難儀仕候ニ付買請
米奉願前々ゟ浜田松江御城下町其年
上米平均直段を以買請被仰付来り候
去丑年買請米之米之儀も鉄山稼一式
之人数ニ応シ石数相究買請米奉願
当寅年夫食心当仕置候へハ今更
石数減少仕候而ハ夫食差支行当リ必至と
難儀仕候間石数之義先達而奉願候通被
仰付被下候様達而御歎申上候儀ニ御座候且又
直段御糴増之儀御請仕度奉存候ヘ共
鉄山稼之儀鉄損シ等有之余程損失
相立候節も有之候ヘ共年中鉄払直段相
応御座候得ハ格別之儀も無御坐所近年
銑直段殊外引下ケ仕当ニ合兼候故
吹損シ等損失も有之鉄山師共一統ニ
仕り難く、勿論御公納の外売り買い地米
払底成る国柄にて多分の石数相調え難く、夫食
手当て不足にて大勢の人数抱え置きそうろう儀成り難く、
さそうらいては、稼ぎ方差し支え難儀仕りそうろうに付き買い請け
米願い奉り、前々より浜田・松江御城下町其の年
上米平均直段を以て買い請け仰せ付けられ来りそうろう。
去る丑年買い請け米の米の儀も、鉄山稼ぎ一式
の人数に応じ石数相究め買い請け米願い奉り、
当寅年夫食心当て仕り置きそうらへば、今更
石数減少仕りそうらいては、夫食差し支え行き当たり必至と
難儀仕りそうろう間、石数の義先達て願い奉りそうろう通り仰せ付けられ
下されそうろう様達て御歎き申し上げそうろう儀に御坐そうろう。且つ又、
直段御糴り増しの儀御請け仕りたく存じ奉りそうらえども、
鉄山稼ぎの儀鉄損じなどこれあり、余程損失
あい立ちそうろう節もこれありそうらへども、年中鉄払い直段相応
御坐そうらえば、格別の儀も御坐無き所、近年
銑直段殊の外引き下げ仕当てに合い兼ねそうろう故、
吹き損じなど損失もこれあり、鉄山師ども一統に

6枚目(全15枚の内)[編集]

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  難儀仕鉄山稼相続無覚束候得共此以後
  銑直段引上ヶ候様相成候ハヽ取続可申と奉存候故
  去冬買請願候節も人別減不申是迄
  之通相稼候積を以御願申上候相替儀無御坐
  家業仕罷有候所今以銑直段不宜難儀
  仕候是迄月々上納仕候買請米代銀両
  城下平均御直段之積ニてさへ漸〱上納仕候
  体ニ御坐候間此上御直段相増候てハ御上納
  皆済も差支え家業も仕当ニ
  追々稼方相減候様罷成難儀
  至極仕候ニ付御糴増之義も御免被成下
  候様強而御歎申上候儀ニ御座候
 一前條之通申上候所猶又被仰聞候ハ此度御
  吟味之儀買請米一切難被仰付と申ニ而ハ
  無之直段糴増候様御吟味ニ御座候尤石数
  之儀も減少可成𠀋ハ相減候様ニとの儀に御坐候
  所石数減少仕候儀不相成直段糴増之義
  御請難仕段申之両様共ニ御断申上候而ハ
  難儀仕り鉄山稼ぎ相続覚束なくそうらえども、此れ以後、
  銑直段引き上げそうろう様、相成りそうらわば取続き申すべきと存じ奉りそうろう故、
  去る冬買請願そうろう節も人別相減じ申さず、これ迄
  の通り相稼ぎそうろう積を以てお願い申し上げそうろう。相替る儀御坐無く
  家業仕り罷り有りそうろう所、今以て銑直段宜しからず難儀
  仕りそうろう。これ迄月々上納仕りそうろう買請米代銀両
  城下平均御直段の積りにてさへ、ようよう上納仕りそうろう。
  体に御坐そうろう間、此の上御直段相増しそうらいては御上納
  皆済も差し支え、家業も仕当てに
  追々稼ぎ方相減じそうろう様、罷り成り難儀
  至極仕りそうろうに付き、御糴り増しの義も御免し成し下され
  そうろう様、強いて御歎き申し上げそうろう儀に御座そうろう、
一、前條の通り申し上げそうろう所、猶又仰せ聞けられそうろうは、此度
  御吟味の儀買請米一切仰せ付けられ難くと申すにては
  これ無く、直段糴り増しそうろう様、御吟味に御座そうろう、
  尤石数の儀も減少なるべきだけは相減そうろう様にとの儀に
  御坐そうろう所、石数減少仕りそうろう儀相成らず直段糴り増しの義
  御請け仕り難き段これを申し、両様共に御断り申し上げそうろうては

7枚目(全15枚の内)[編集]

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御吟味趣一向御違背仕候様ニ共罷成候得者
買請米一向難被仰付段被仰渡候而も御願
之筋有之間布旨御吟味ニ御座候此段石数
減少仕候儀も難相成御直段糴増之儀も御請
難仕候両様共ニ御断奉申上候御吟味之趣一向ニ
御違背仕候様思召候段私共一統奉恐入候如何様
ニも御請仕度奉存候へ共私共家業相続難
相成筋ニ罷成必至と難儀
不顧両様共ニ御免之儀奉願上候右之儀者
当春ゟ度々被召出委細被仰渡御吟味之趣
逐一御尤至極御断可申上様兼而以無御座候得ハ
達而御歎申上候段私共家業相続難相成様ニ
罷成候段一所懸命之難儀罷成十方ニ暮レ
罷在候仕合乍恐御慈悲ヲ以前々之通御引付
之御直段ニ而買請被仰付、石数之儀御願之通
被仰付可被下候ハヽ難有存候勿論買請米之願
一向相立不申候而ハ大勢之者当時ゟ夫食無御坐


御吟味の趣一向御違背仕りそうろう様にとも罷り成りそうらえば、
買請米一向仰せ付けられ難き段仰せ渡されそうらいても、御願い
の筋これ有るまじき」旨御吟味に御座そうろう。この段、石数
減少仕りそうろう儀も、あい成り難く、御直段糴増の儀も御請け
仕り難くそうろう、両様ともに御断り申し上げ奉りそうろう、御吟味の趣一向ニ
御違背仕りそうろう様思し召しそうろう段、私ども一統恐れ入り奉りそうろう、いかよう
にも御請け仕りたく存じ奉りそうらえども、私ども家業相続
あい成り難き筋に罷り成り、必至と難儀
顧みず、両様ともに御免しの儀、願い上げ奉りそうろう。右の儀は
当春より度々召し出され、委細仰せ渡され、御吟味の趣
逐一御も尤至極御断り申し上ぐべき様、兼て以て御座無くそうらえば、
達て御歎き申し上げそうろう段、私ども家業相続あい成り難き様に
罷り成りそうろう段、一所懸命の難儀罷り成り十方に暮れ
罷り在りそうろう仕合、恐れながら御慈悲を以て前々の通り、御引き付け
の御直段にて買い請け仰せ付けられ、石数の儀、御願いの通り
仰せ付けられ下さるべくそうらわば、有り難く存じそうろう。勿論買請米の願い
一向あい立ち申さずそうろうては、大勢の者当時より夫食御座無く

8枚目(全15枚の内)[編集]

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餓死仕候ゟ外ハ無御座候間、御憐愍ヲ以買請米
被仰付候様ニ奉願上候、私共稼方之儀、前々ハ
銑直段も宜米穀直段ハ下直ニ御座候故、余程
勝手ニ罷成候所、近年打続米穀高直ニ御座候所、
銑直段ハ下直罷成候故、仕当合兼難仕候
得共、致懸り之家業相延候儀も難成、如何様
ニも相続罷有候ハヽ、豊作ニ相続穀物下直
ニも相成銑直段も
立直可申と奉存候二付仕入銀等余程他借等ヲ
以家業相続仕罷在体ニ御座候得ハ此段御聞
済被成下鉄山師相続仕候様御慈悲奉願候
当御役所ニ而御聞済難被成候儀御座候ハヽ江戸表
迄も罷出御訴訟申上度奉存候間候間御添状被成下候
様ニ奉願上候
右之通り少も相違無御座候以上
 明和七年寅閏六月
             浜原村  幾六
             都賀本郷 権右衛門
             都賀行  小兵衛
             畑田村  善左衛門 


餓死仕りそうろうよりほかは御座無くそうろう間、御憐愍をもって買請米
仰せ付けられそうろう様に願い上げ奉りそうろう、
私共稼方の儀前々は銑直段も宜しく米穀直段は下直に御座そうろう故、余程
勝手に罷り成りそうろう所、近年打ち続き米穀高直に御座そうろう所、
銑直段は下直罷り成りそうろう故、仕当合い兼ね仕り難くそうらえども、
致し懸りの家業相延びそうろう儀も成り難く、如何様
にも相続罷り有りそうらはば、豊作に相続穀物下直にも相成り、銑直段も
立ち直り申すべくと存じ奉りそうろうに付仕入れ銀等余程他借等を
以て家業相続罷り在る体に御座そうらえば此の段御聞き
済成し下され鉄山師相続仕りそうろう様御慈悲願い奉りそうろう
当お役所にてお聞き済み成され難くそうろう儀ござそうらはば江戸表
迄も罷り出でお訴訟申し上げたく存じ奉りそうろう間お添え状成し下されそうろう
様に願い上げ奉りそうろう
右の通り少しも相違御座なくそうろう以上
明和七年寅閏六月
             浜原村  幾六
             都賀本郷 権右衛門
             都賀行  小兵衛
             畑田村  善左衛門

9枚目(全15枚の内)[編集]

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 田窪村   喜左衛門
                 南佐木   佐左衛門
                 渡津    政右衛門
                 温泉津   忠太
                 磯竹    吉右衛門
                 静間    浅右衛門
                 鳥井    孫六
                 波根西村  吉右衛門
 川崎市之進様銀山方
      御役所
       御手代  井口清助様
            名和伴六様
       銀山方御懸り
             中西与左衛門様

乍恐以書付奉願上候
一 乙原村柳原御林山宝暦六子ゟ当寅迄拾五年
  御請仕置候所御林山之儀私鈩数之儀ニ御座候ヘハ
  買木炭不自由之節茂御坐候得者其節指支無之
  様囲山ニ仕置候而鈩無懈怠吹続仕候様ニ相働
  申候ニ付此御林山も今少残木罷成申候何共
  恐多御願ニ御座候得共来卯ゟ先キ拾六ヶ年
  之間年延御請被仰付被下候様ニ奉願上候左候ハ﹅
  右申上候通リ鈩囲山ニ仕置鈩稼無指支
   恐れながら書き付けを以て願い上げ奉りそうろう
一 乙原村柳原御林山宝暦六子より当寅迄拾五年
  御請け仕り置きそうろう所、御林山の儀、私鈩数の儀に御座そうらへば、
  買木炭不自由の節も御坐そうらえば、其の節指し支えこれ無き
  様囲山に仕り置きそうらいて、鈩懈怠無く吹き続け仕りそうろう様に相働き
  申しそうろうに付き、此の御林山も今少し残り木罷り成り申しそうろう。何とも
  恐れ多き御願いに御座そうらえども、来る卯より先拾六ヶ年の
  間年延び御請け仰せ付けられ下されそうろう様に願い上げ奉りそうろう、左そうらはば
  右に申し上げそうろう通り鈩囲山に仕り置き鈩稼ぎ指し支え無く

10枚目(全15枚の内)[編集]

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相続仕度乍恐御慈悲奉願上候以上
寅閏六月     浜原村鈩師
              幾六
銀山方
  御役所
前書乙原村銅ヶ丸付柳原御林前請通
を(衍)ヲ以年延御願申上候所此度被召出御吟味
之上無拠年延願之趣ニ候得共年上無之
候而ハ御伺難相成旨被仰渡承知仕併
是迄高運上之場所候故多分増銀仕難
ニ付壱ヶ年丁銀拾匁増銀年上可仕旨
申上候所猶又セリ増被仰渡色々御断申候得共
御吟味被詰被仰付候ニ付弐匁五分
年上増銀仕候右御吟味之趣奥州表ヘ
御伺之上可仰渡候ヘ共年季等之儀者


相続仕り度恐れながら御慈悲願い上げ奉りそうろう、以上
寅閏六月     浜原村鈩師
              幾六
銀山方
  御役所
前書き乙原村銅ヶ丸付柳原御林前請通り
を(衍)を以て年延び御願い申し上げそうろう所、此の度召しされ御吟味
の上拠ろ無き年延び願いの趣にそうらえども、年上これ無く
そうらいては御伺いあい成り難き旨仰せ渡られ承知仕り、併し
これ迄高運上の場所そうろう故、多分増銀仕り難き
に付き、壱ヶ年丁銀拾匁増銀年上げ仕る旨
申し上げそうろう所、猶又セリ増し仰せ渡られ、色々御断り申しそうらえども
御吟味詰められ仰せつけられそうろうに付き、弐匁五分
年上増銀仕りそうろう。右御吟味の趣、奥州表へ
御伺いの上、仰せ渡すべくそうらへども、年季等の儀は

11枚目(全15枚の内)[編集]

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前請之通之外相成間敷候何連共ニ
追而御伺之上御指図次第可仰渡候いさい
承知奉畏候依之印形差上申候以上
 寅閏六月        __ ___
                                幾六
 銀山方
   御役所
 右銅ヶ丸柳原山壱ヶ年拾弐匁五分ツヽ年上ケ被仰付
 明和八卯ゟ巳迄拾五年御請被仰付候御運上一年分百四拾目五分也
   
鉄類当時直段付覚
一 長割拾貫目     大坂売直段 
                    代銀四拾目位ゟ  
                      三拾壱弐匁位迄
  是ハ鉄善悪ニより直段高下御坐候
一 細割拾貫目    
                   同断   
                    代銀四拾匁位ゟ 
                    三拾目位迄
  是ハ右同断
一 銑壱駄      
                   同断
                    代銀四拾目ゟ壱匁位 
                     但シ三拾貫目二付
右御吟味の趣、奥州表へ
 御伺いの上、仰せ渡すべくそうらへども、年季等の儀は
 前請けの通りの外相成るまじくそうろう、何れ共に
 追て御伺いの上御指図の次第仰せ渡すべくそうろう、いさい
 承知畏み奉りそうろう、これに依り印形差し上げ申しそうろう、以上
  寅閏六月             __ ___
                      幾六
  銀山方
    御役所
  右銅ヶ丸柳原山壱ヶ年拾弐匁五分ずつ年上げ仰せ付けられ、
  明和八年卯より巳迄拾五年御請け仰せ付けられそうろう、御運上一年分百四拾目五分也

 鉄類当時直段付き覚え
 一 長割拾貫目     
            大坂売直段  
              代銀四拾目位より  
                三拾壱弐匁位迄。
  これは鉄善し悪しにより直段高下御坐そうろう。
一 細割拾貫目     
           同断  
             代銀四拾匁位より  
                三拾目位迄。
  これは右同断。
一 銑壱駄    
          同断
             代銀四拾目より壱匁位 
   但し三拾貫目に付き。

12枚目(全15枚の内)[編集]

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〆長割細割銑共相場多之義ニ御座候得者時之直段
高下御座候
右鉄類当時直段御尋ニ付申上候以上
                 畑田村鈩師
明和七年寅七月            善左衛門
                 都賀本郷鈩師
銀山方                権右衛門
 御役所             浜原村鈩師
                   幾六

 乍恐書付を以奉願上候
一当寅御買請米之儀例年ゟ願石高相減シ
 御直段之儀是迄両御城下平均直段ニ而被仰付候
 所当寅年ゟハセリ増被仰付候間兼而其趣
 相心得被仰付次第増直段を以銀納可仕旨
 被仰渡承知奉畏候此儀当夏去丑年分
 セリ増被仰渡段々御吟味被遊候ニ付委細書付
 を以御断申上候得ハ前々之通御免被成下

 


 〆長割細割銑共相場多くの義に御座そうらえば、時の直段
  高下御座そうろう。
  右鉄類当時直段御尋ねに付き申上げそうろう以上。
                     
 明和七年寅七月 
                            畑田村鈩師           
                                善左衛門
                 都賀本郷鈩師
                     権右衛門
                  浜原村鈩師
                   幾六
 銀山方 
  御役所

 恐れ乍ら書き付けを以て願い上げ奉りそうろう
一 当寅御買請米の儀、例年より願い石高相減し、
  御直段の儀、これ迄両御城下平均直段にて仰せ付けられそうろう
  所、当寅年よりはせり増し仰せ付けられ候間、兼ねて其の趣
  相心得、仰せ付けられ次第増し御直段を以て銀納仕るべき旨
  仰せ渡され、承知畏み奉りそうろう、この儀当夏去る丑年分
  せり増仰せ渡され、段々御吟味遊ばされそうろうに付き、委細書き付け
  を以てお断り申し上げそうらえは、前々の通り御免成し下され

13枚目(全15枚の内)[編集]

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難有奉存候其節御歎申上候通鈩稼之義ハ
作方を相放レ多勢相抱置候商売御座候所
元来所米払底之国柄殊ニ荒津ニ而冬春
之内他国舟入込候義無御座穀類働方
甚指支大勢之渡世難相成御座候得共
御慈非を以御米御貸渡被下候ニ付是迄
商売体相続仕御運上ヲも奉指上候
然ル所此上御直段御セリ増被仰付候而ハ
御米買請仕候而も難引合然ル時ハ冬春大勢
有り難く存じ奉りそうろう。其の節御歎き申し上げそうろう通り、鈩稼ぎの義は
作方を放れ、多勢相抱え置きそうろう商売に御座そうろう所、
元来所ろの米払底の国柄、殊に荒津にて冬春
の内他国舟入り込みそうろう義御座無く、穀類働方
甚だ指し支え、大勢の渡世相成り難く御座そうらえども、
御慈悲を以て御米御貸し渡し下されそうろうにつき、これ迄
商売体相続仕り、御運上をも指し上げ奉りそうろう、
然る所此の上御直段御セリ増し仰せ付けられそうらいては、
御米買い請け仕りそうらいても引合い難く、然る時は冬春
    

14枚目(全15枚の内)[編集]

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15枚目(全15枚の内)[編集]

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現代語訳[編集]

恐れながら文書をもちましてお願いを申しあげます
一 私どもは製鉄を経営している関係で、大勢の者たちに一年の食糧を手
当として与えるために、買請米をお願いしております。これまでは、御公布の通りに買い
請けをご命じになり、家業の相続ができ、ありがたく思っています。しかしながら、
去年の丑年に願いました買請米の御公布の
御値段では命じがたいとのことで、値段のせり上げ石数
も減少するとのご趣旨を再び呼び出され、言い渡されました。
石数は一年に必要なだけを算し願っていますので、
それが減少することとなれば、召し抱えております人数を減らし、
稼ぎ所も減らすしかございません。
今年、突然その鈩の場所を減らし、人数を減少いたしますことは難しいです。
また、お値段のせり上げをお引き受けすることについても、以前お引き受けしたお値段でご命じになる と心得て、
大勢を抱え置き製鉄を経営してしまっております。
御せり上げをご命じになってしまうと、これまた見込み違いになってしまい、
製鉄を元々のとおりに継続することが難しくなり、大変困りますので、御せり上げはどうぞお許しください。
事前の御引き付けの通り、濱田松江での去る丑年十月十五日より、

お示しされた通り、明和六年丑年の十月十五日から晦日までの松江と浜田の相場における上米の平均価格で買い受けするように命じられ、
石数についても以前お願いし申し上げた通りにして下さるよう、何度もお願いしております。
再度御吟味していただいたことをお断りするのは恐れ入りますが、鉄山師が家業を相続できなくなり、
大変に困ってしまうので、恐れをかえりみず、お願い申し上げたことをお聞き届け下さり、
前々之通り仰せ付け下さるならば一同有り難く存じます。
 明和七年寅閏六月
           鈩師拾弐人連判
 川崎市之進様銀山方御役所
一、私達製鉄を経営している者に、以前から御買請米を仰せ付けられていましたので、
昨年丑年にもお願いしましたところ、御示しの値段では命じがたいので、
値段をせり上げ、石数も減少する様にとご指示がございました。しかし、前々の通り仰せつけられますよう、強いて嘆願しました。
それでもなお、このたび仰っしゃられたのは、松江浜田の米平均値段より五匁高く買うこと、
但し、払い下げる米の石数の減少はしないということでございました。
しかし、やはり二つとも困ります。お受けできませんと達てお願い
お受けできませんと、つよくお願い申し上げておりました。
そうしましたところ、お問い詰められましたのは、
「これまでは私達のお願い通りに石数をお命じになり、お値段も、事前の公示通りにこれまでは対応してきたけれども、
今回は再びお諮りになられたということであるので、いくらか価格の引き上げをお請けすべきであるにもかかわらず、
強いて断わるというのはどういう訳なのか」、というご趣旨でございました。
 このことについてですが、私達の製鉄経営は、あちこちで手広に行っている家業で、
莫大な人数を抱え置いて、製鉄に関わる一連の仕事をしています。
そのため、一年分の米は年内に手配しております。
少しの量ではございませんので、地元の米をあちこちで調達するには難しく、
もちろん年貢米の外に売り買いしている地元産の米が無くなりがちな土地柄なので
、多くの米を調達するのは難しく、食糧の手当が不足して大勢の人数を抱えることが難しくなってしまいます。
経営に支障が生じ困難なことになってしまいますので、買い請け米をお願いしております。
この買い請け米以前から浜田松江の御城下町のその年の相場における上米の平均値段でご購入することを命じられております。
昨年丑年の買い請け米としての米についても、一連の鉄山稼ぎの人数に応じて石数も決めて買い請け米を願っております。
寅年の食糧のあてにしていますので、今更石数を減らされては食糧に支障が生じ、
これからのめどが必ず困難になってしまいますので、
石数のことは先日お願いしました通りご命じくださいますように強いて嘆願いたします。
さらにまた値段の引き上げについては、お引き受けしたいところですけれども、
製鉄では鉄が上手くできないことなどがありまして、かなりの損失が起きることもあります。
それでも一年の鉄の売り払い値段がつり合っておりましたら、これといった問題はないのですが、
近年、銑の値段がとても引き下がり、採算を合わせるのが難しく、
吹き損じなどの損失もあって、鉄山師共は皆困っております。製鉄の経営は厳しい
状況ですけれども、今後、銑値段が上昇するようになれば、経営を存続していくことが
できますので、去年の冬に買い請け願いを出しました時も、鉄山で働く人々を減らさず、
これまでのように、経営を続けていくつもりでお願い申し上げておりました。
これまでと変わらず家業を存続していましたところ、いまだに銑の値段がよろしくなくて、困っております。
これまで月賦割りで上納しておりました買請米の代銀も両城下平均お値段を基準にした額でさえなんとかやっと上納している有様でございます。
この上、お値段をお引上げになられては上納を皆済するのにも差支え、家業も追々稼ぎも減少していくようになり
大変でございますので値段の競り上げで免除くださるよう、しいて嘆願申し上げるのでございます。
一、ここまでこのようにに申し上げました所、それでもなおお聞かせになったのは、
今回の御吟味というのは、買請米すべてを売らないというわけではなく、買請米の値段をせり上げるとのことである。
また、石数についても減少可能な分だけは減らすようにとのことであるにもかかわらず、
石数を減らすことだけでなく、値段のせり上げることについてもお受けするのは難しいなどと申し上げ、
どちらについても断るということになれば、
要請の内容をすべて背くことになってしまうので、
買請米をすべて停止してしまうとういうことになっても願い出る筋合はなくなってしまうぞ」と問い詰められました。
このことについてですが、米の量を減らすことも、値段を上げることも承服しがたいです。
両方ともお断りしましたが、趣旨に全くかなわないと思いになられたことについては、私たちも恐れ入っています。
なんとかしても御請けしたいのですが、家業の相続が難しくなってしまい、困ってしまうことは間違いないので
顧みず、二つながら御免除願い上げるものです。右の件については、
この春から私達をお呼び出しになり詳しくお話になっていますが、ご要請の趣旨
はすべて至極もっともで、お断りすることは本来できないものであります。
しかし、それでもなお、強く嘆願しますのは、私達の家業の相続ができないようになってしまうからで、
私達が生きるか死ぬかの困難となってしまい、途方に暮れてしまう
次第です。恐れながら、ご慈悲によって以前の通りの公示価格
での購入をお命じ下さり、米の量についても御願いした通り
にしてくださるならばありがたく思います。勿論買請米の願いが
一向に出来なくなってしまいますと、現在大勢の者は食糧がなくなって
餓死するよりほかはございませんので、お憐れみをもって買請米をご命じになるようお願い申し上げます。
私たちの経営は、以前は銑の値段は高く米穀の値段は安かったので、
利益が得られ上手くいっていました。近年は米穀の値段は高く、
銑の値段は安くなっており、採算をとることが難しいのですが、家業を休止することもできません。
なんとか相続していれば、豊作がきて穀物の値段が下がることになり、銑の値段も、
穀物の値段が下がり銑値段が上がれば立ち直ると思い、仕入れ銀をたくさん借りて家業を続けている有様です。
どうか鉄山師としての経営を続けることができるようお願いいたします。もしお役所でお聞きいただけないなら、
江戸表まで出向いて訴えたいと思いますのでお添え状を発行してくださいますようお願いいたします。
右の通り少しも相違ございません。
 明和七年寅閏六月
           浜原村  幾六
             都賀本郷 権右衛門
             都賀行  小兵衛
             畑田村  善左衛門

恐れながら文書に書き付けてお願い奉ります。
一 乙原村柳原御林山は宝暦六年の子年から寅年まで一五年の間、請け負って利用させていただいておりましたが
私はいくつもの鈩を経営しており、木炭が必要になります。木炭を調達するのが難しいこともありますので、
御林山については、差支えのないように囲山としておいておき、鈩が滞りなく吹き続けられるようにしたいと思っております。
そのため、この御林山についても、もう少し木を残しておきたいのです。何とも恐れ多いお願いではございますが、
来年の卯年から十六年の間延長して請け負わせていただきたくお願い奉ります。もしこれが認められるなら、
右に申し上げる通りに木炭を採る囲山としておいておき、いつでも鈩を経営できるように相続したいため、
恐れながら御慈悲をお願い奉ります。以上。
                              
濱原村鈩師 幾六
       寅閏六月
銀山方 
御役所
前に書いてある乙原村銅ヶ丸付柳原の御林は以前請けていた通りの条件をもちまして年延べをお願い申し上げましたところ、
この度召し出されました。御吟味の結果、致し方のない年延べの願いであるけれども、
年上げがないと御伺いは難しいという旨を仰せ渡られ、これについては承知いたしました。
しかし、これまでも運上金の価格が高い所でありましたので、多くの増銀は難しいため、
一ヶ年に丁銀拾匁に増銀し、年上げいたします旨を申し上げましたところ、
それでもなお、せり増しを仰せ渡られ、色々お断り申し上げたのだけれども、さらにお求めになられましたので、
二匁五分年上げとして増銀することにしました。右の御吟味の内容については、
代官のおられる奥州表の方へお伺いの上、命ずることになるであろうけれども,
年季などの条件はこれまで通りの外にはできないであろう。いずれにせよ、追ってお伺いの上御指図があり次第命ずることになるであろう。
以上の内容について詳しく承知して恐れ入ります。これにより、印判を押し、差し上げ申し上げます。
  寅閏六月                      _ __ 
                                               幾六
  銀山方
    御役所

右の銅ヶ丸柳原山は一ヵ年に十二匁五分ずつの増額を命じられ、明和八年卯より巳までの十五年間御請けするようお命じになられた。
御運上は一年分で百四十目五分である。
鉄類の現在の値段について
一 長割十貫目   大坂での売り値段は代銀四十目ぐらいより、三十一、二匁くらいまで。
  これは鉄の善し悪しにょり、値段が上下いたします。
一 同様に細割十貫目   代銀四十匁ぐらいより、三十目くらいまで。
  これは右と同様にございます。
一 銑一駄   同様に代銀四十目より一匁くらい、但し三十貫目につき。
以上、長割、細割や銑の相場は種類が多くございますので、時によって値段が
上下いたします。
右は、鉄類の現在の値段を御尋ねになられたので、申し上げた次第にございます。
              畑田村鈩師
明和七年寅七月            善左衛門
                 都賀本郷鈩師
銀山方                権右衛門
 御役所             浜原村鈩師
                   幾六

恐れながら文書によってお願い申し上げます
 一ことし寅年の買請米については、例年よりもお願いする石高を減らし、
  お値段についてはこれまでと同様に両御城下の平均値段でご命じなさいました。
  しかし、この当寅年からは、価格の引き上げを御命じになるとこことであらかじめ
  心得ておき、御命じになり次第、引き上げた値段で銀を納められるようにという旨を
  言い渡され、承知しおそれいっております。このことについては、今年の夏、去年の丑年分について、
  価格の引き上げをお言い渡しになり段々と御吟味なさいましたので、詳しく書き付け
   をもちましてお断り申し上げたところ、前々の通りにお許し下さり、ありがたく思っております。
その際にお歎き申し上げましたとおり、鈩の経営というのは、農業をせず、大勢を召し抱えている商売でございます。
元々石見国は米がなくなりがちの国柄です。特に海が荒れる冬、
春は他国から船が入ることはありません。穀物の調達の差支えかちのため、
大勢の生業が難しいですが、代官のご慈悲によりお米を貸し出されているため、
商売も続き、運上という税も差し上げてきました。しかしながら、価格を引き上げの命令をされたら、
米を買うとしても冬と春は大勢

  



    

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